ガースー「追悼の辞」安倍ちゃん読みかけの本の謎

今日は安倍ちゃんの国葬でした。

14時になりましたら、いったん仕事を中断しまして、テレビ中継を見守りました。

 

最初、TBSの中継を見てたのですが、肝心なシーンで鈴木紗理奈がしゃべり出して度肝を抜かれたので、慌ててリモコンの「1」ボタン押下。

NHKは淡々と国葬を放送してくれたので良かったです……。

 

しかし、総理時代を振り返る動画は感動モノでしたね。

見てて悲しくなりました……。

 

ついでに言えば、来賓の各国首脳たちの国名が印字された紙がセロテープで貼られた貧相なパイプ椅子を見て、別の意味で悲しくなりました。苦笑

もう少しどうにかならなかったんですかね?苦笑

 

いや、それよりも、ガースーの追悼の辞ですよ。

やばかったですね。

 

またしてもテレビの前で涙を少しばかり流してしまいました。苦笑

歳をとると本当に涙もろくなって困ります。(僕、そんな高齢ではないですよ、念のため。苦笑)

 

以下、ガースー弔辞の全文です。

全文読む価値あります。

 

7月の8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で同じ空気を共にしたい。

その一心で現地に向かい、そしてあなたならではのあたたかなほほえみに、最後の一瞬接することができました。あの運命の日から80日がたってしまいました。

あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつのまにか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。

季節は歩みを進めます。あなたという人がいないのに時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに私はいまだに許せないものを覚えます。

天はなぜよりにもよってこのような悲劇を現実にし、命を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。悔しくてなりません。悲しみと怒りを交互に感じながら今日のこの日を迎えました。

しかし安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。ここ武道館の周りには花をささげよう、国葬儀に立ちあおうとたくさんの人が集まってくれています。

20代、30代の人たちが少なくないようです。明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

あなたは今日よりも明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという強い信念を持ち、毎日毎日、国民に語りかけておられた。そして日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。これがあなたの口癖でした。

次の時代を担う人々が未来を明るく思い描いて初めて経済も成長するのだと。

今あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上にうれしいことはありません。報われた思いであります。

2000年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は当選まだ2回の議員でしたが「草の根の国民に届くならよいが、その保証がない限り軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。

すると記事を見たあなたは「会いたい」と電話をかけてくれました。「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため一緒に行動してくれればうれしい」とそういうお話でした。

信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。

そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと確信をしたのであります。私が生涯誇りとするのは、この確信において一度として揺るがなかったことであります。

あなたは一度持病が悪くなって総理の座を退きました。そのことを負い目に思って2度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命あなたを口説きました。それが使命だと思ったからです。

3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。私はこのことを菅義偉、生涯最大の達成としていつまでも誇らしく思うであろうと思います。

総理が官邸にいるときは欠かさず、1日に1度、気兼ねのない話をしました。今でもふと一人になると、そうした日々の様子がまざまざとよみがえってまいります。

環太平洋経済連携協定(TPP)交渉に入るのを私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見でどちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

一歩後退すると勢いを失う。前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。あなたの判断はいつも正しかった。

安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など難しかった法案を全て成立させることができました。

どの一つを欠いても我が国の安全は確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものであります。

国難を突破し、強い日本を創る。そして真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。いつも周りの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。

私だけではなく、すべてのスタッフたちがあの厳しい日々の中で、明るく生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは我が国日本にとっての真のリーダーでした。

衆院第1議員会館1212号室のあなたの机には読みかけの本が1冊ありました。岡義武著「山県有朋」です。ここまで読んだという最後のページは端を折ってありました。そしてそのページにはマーカーペンで線を引いたところがありました。

印をつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌でありました。いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

深い悲しみと寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。どうか安らかにお休みください。

菅義偉前首相「追悼の辞」全文 安倍晋三元首相の国葬

 

感動のガースー弔辞、いかがでしたでしょうか。

ちなみに赤字の部分は、僕が気になった部分です。

2カ所ありました。

1カ所目はコチラ。

 

そしてあなたならではのあたたかなほほえみに、最後の一瞬接することができました。

 

あの時、安倍ちゃん、まだ意識があったんだ……。

助かるかもしれなかったのかと思ったら、無性に残念な思いが湧いてきました。

 

そして2カ所目。

安倍ちゃんの机の上に置いてあった読みかけの本のくだりです。

 

衆院第1議員会館1212号室のあなたの机には読みかけの本が1冊ありました。岡義武著「山県有朋」です。ここまで読んだという最後のページは端を折ってありました。そしてそのページにはマーカーペンで線を引いたところがありました

印をつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌でありました。いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 

暗殺された伊藤博文と、彼をしのんで歌を詠んだ山県有朋。

本の端を折ってあったページが何故か、そのページだなんて、そんな偶然あるでしょうか……。

しかも、詠んだ歌にマーカーペンで線を引いていた……。

 

まるで自らの死を予期するかのような話です。

ガースーは、このことを「いみじくも」と表現してますが、それをいうなら「奇しくも」だろって思っちゃいました。

この期に及んでガースーの作り話とも思えませんし、なんだかちょっとミステリーです。

 

もしかしたらガースーは暗に何かを伝えたかったのではないかとさえ思います。

もともと、この暗殺事件を背景から掘り下げると色々出てくるのですが、もはや誰も口にしなくなりましたよね。

その辺のことを口にしたいけどできない、何か事情でもあるのだろうか、そんなことを考えてしまいました。

 

トランプ氏敗北と足並みを合わせたかのような安倍ちゃん降板も個人的には不自然でした。

例の問題が原因だと言われてますが、それとは別のなにかと引き換え(交換条件)に降板したかのような不自然さでした。

横で見ていたガースーも、いったん中継ぎ登板しながらも、実は降板劇の裏を知っていて何も言えなかったのではないか。

わかってて毅然としてヒールを演じたのではないか……。

 

そんなことを考えてしまいました。

 

***

 

ちょっと余談です。

 

ちなみに国葬の賛否については、確かに決定プロセスには問題がありましたが、別に安倍ちゃんだったら国葬でもいいんじゃないかと僕は思います。

それだけ国民の支持を得た人だと思います。

 

賛否分かれると言いますが、別れたのは国葬決定プロセスの問題であり、安倍ちゃん自体は長年「賛」でした。

当たり前ですが、多数決の仕組み上、多数の「賛」がなけりゃ長年総理大臣などできません。

それに、短命で奇人変人な総理ばかりの日本では珍しくまともでしたしね。(と僕は思う)

 

国葬に反対することは別に悪いことだと思いません。

言論の自由です。

ただ、国葬当日にやかましくデモをするプロ市民のみなさん、せめて国葬の日はずらしたほうが良かったのではないでしょうかね。

自分の親の葬儀の傍で、騒音をまき散らされたらいやな気がしませんかね……。

 

死を重んるというか、そういう部分を配慮するのが日本という国じゃなかったかなって思っちゃいました。

 

それと、国葬には出ないと自慢するかの如く大々的にアピールし、招待状を踏みにじるかのごとくの野党議員も同じです。

自分の身内で同じことされたらイヤじゃないですかね……。

そういうことができてしまう神経を疑うというか、普通、「これは言うのやめとこう」って思いませんか?

怖いなと思いました……。

 

そして、人殺しである山上容疑者を擁護したり、同殺人犯を革命家のように祭り上げる映画を作ったりする人。

確かに言論の自由ではありますが、やはり、少し「怖い」世界になっているような気がします。

 

そもそも、安倍ちゃんが暗殺されなかったら、国葬なんて実施されなかったのです。

誰のせいで国葬をするハメになったのか、もう一度よく考えた方がいいと思います。

 

誤解のないように言っておきますが。

僕は別に自民党支持者でも何でもありません。

かといって立憲や維新などの野党をふくめて、参政党とか、れいわ新選組とか新興政党の支持者でもありません。

無党派・無派閥で物事は是々非々で生きていこうとする者です。

 

そんな僕でも安倍ちゃんは「一定」の評価をしております。

評価に値する人物であることは冷静に考えればわかることでありますが、そのうち誰かがわかりやすく世に示してくれるだろうと思っております。

 

ま、なにより、個人的にとても親近感の湧く政治家でありました。

「安倍ちゃん」とか言っちゃってるのは、そういう理由です。

なぜかとても身近な感じがするのです……。

それに尽きるかもしれませんね。

ご冥福をお祈りいたします。

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