①母の「医者になれ」から意識し始めた医学部への道

このシリーズでは、医学部を目指した話を書きたいと思います。

医者を目指したのは、再受験時代と社会人時代の2度です。

話はとても長くなりますので、今日は、子供時代の話からご紹介していきたいと思います。

 

 

医者に憧れるという本当の意味

僕がまだ子供の当時、医者に憧れる子供はそんなに多くなかったと思います。

むしろ親が子供に期待するパターンが多いのではないでしょうか?

 

実際、子供も大きくなるにつれ、世の中を良く知るようになると憧れる人が増えてきます。

地位と名誉と財産です。

でも、医者になるって、そんなレベルの動機で大丈夫でしょうかね?

なんか違う気がしますが、そういうケースが多いのも事実です。

 

実は子供の頃は、医者への憧れはそれほど強いものではなく、

「いや、別に医者になりたくて目指してるわけじゃないし」って感じでした。

いや、そもそも最初の大学受験までは目指してもいませんでした。

 

たまに母親が「医者になれ」とぼくに言っていたので意識していた程度です。

なぜ母がそんなことを言ったかというと、ぼくが、そこそこ勉強ができる人だったからです。

母親ももちろん冗談で言っていたのです。

 

その一方で自分の将来のことなんて全く考えていませんでしたし、

具体的な職業なんか、考えたこともありませんでした。

とくに医者という職業に対しては

「勉強ができる人が医者になるんでしょ?」

って認識レベルだったのです。

 

 まったく勉強しなかった小学校時代

しかも小学校時代は勉強なんてまったくしませんでした。

図鑑とか学研の歴史マンガや科学の本が好きで、よく読んでました。

それと「学研の科学」という雑誌を毎月配達してもらっていたのと、

問題集みたいなのも一緒に配達してもらってました。

でも、ほとんど白紙でしたけどね。。。

 

小学校時代は家で勉強をしなくてもテストでいい成績は取れたんです。

ふだんのテストはほぼ100点で、滅多に90点を下まわりませんでした。

また、校外模試でも200人中10番以内には必ず入ってました。

 

勉強しなくてもテストができたのは理由があります。

授業をしっかり聞いていたので、その場で覚えてしまっていたのです。

小学生の勉強では覚えることなんて僅かですから授業で吸収できてしまうのです。

 

あと、図鑑や学研の漫画なども小学生の教科書レベルの知識がそのまま入ってきます。

そういうところでも吸収していたので、勉強しなくても済んだのです。

 

初めて意識した医者という選択

小学生の頃、勉強ができたので親は嬉しかったでしょうね。

今でも子供時代の僕の話をするときは嬉しそうに話してます。

 

さて、突然ですが、ここで小学生時代の母親の口癖をご紹介します。笑

「勉強しないなら丁稚奉公に行け!学校なんて行かなくてもいい!」

す、すごい。。。苦笑

 

みなさんは「丁稚奉公」ってご存知でしょうか?

今はもう、そんな言葉を使ってる人はいないんじゃないでしょうか?

 

要するに、学校に行かずに働きに出ろってことです。

丁稚、つまり、子供のうちから働けって意味です。苦笑

 

そう言われて、実は子供ながらに怯えていたんですよね。。。苦笑

しかし、それでも勉強なんてしなかったんですねー。

だって、テストでほぼ100点だったから家で勉強する意味がわからなかったのです。

 

なので答案用紙を母親に見せて、

「勉強しろ」と言われないために自慢をするわけです。

 

「ほら、勉強なんかしなくてもできるでしょ!?」

すると母親が、ちょっと笑顔な感じでいうのです。

「おぉ、すごいねえ、あんた医者になればいいじゃん。」

「なんで?」

「医者は勉強ができないと、なれん仕事だから。」

「ふーん」

「儲かるし、お母さんをラクにさせてくれ。笑」

「ふーん、じゃあ医者になろっかな?」

「おぉ、なれ、なれ。笑」

 

そんな感じでしたね。

もちろん、医者なんてなりたいとも思ってませんが、親が言うので目指す、みたいな感じですね。

丁稚奉公の話が100回くらいあると、医者の話が2回か3回くらい出ましたかね。笑

 

草野球ばかりの中学時代

そして中学時代。

この頃も、ほとんど家で勉強をしませんでした。

近所のガキや友達と草野球ばかりしてました。

中間試験や期末試験になると学校も半日になったりして、

絶好の野球日和といわんばかりに草野球ばかりやってました。

(さすがに高校受験前は、周りのみんながやってるので自分も勉強しましたけどね。)

 

というわけで、中学も基本的には授業で覚えるスタンスでした。

中間・期末はたいてい500人中50番前後でした。

でも実力テストとなると、たいてい10番以内でした。

 

なぜ実力テストでは順位が上がるのか?

それはつまり、中間期末は一夜漬けの人が強いので、何も勉強しない僕は順位が落ちるんです。

でも、実力テストは試験範囲が広いですから一夜漬けできません

結果として何も勉強してない僕の順位が相対的に上がるのです。

 

先生から「実はこっそり勉強してるだろ?」と言われる(苦笑)

三者面談では、ウチの母親は決まって「家で全く勉強しない」と先生にグチります

ぼくは、ニヤニヤしながら先生と親の顔を見ながら黙っています。

先生も内心「成績は良いし、問題ないだろ」って思ってるんでしょうね。

ニヤニヤしながら、机に向かう習慣を付けましょう、などと母にありきたりのアドバイスをします。

 

あるとき掃除の時間に草むしりをしてましたら、先生がやってきました。

「本当は家でこっそり勉強してるんだろ?」

って小声で質問されて、ビックリしたことがあります。笑

もちろん、してませんよって伝えたんですが、

先生も「そうかー、不思議だなあ」って言って去っていきました。

先生からすれば、「成績は勉強しないと上がらないもの」と信じていたのでしょうね。。。

 

中学校の頃からでしょうか、勉強って頑張ってもできない人と、

何もしなくてもできる人と2タイプいるんだって思いはじめました。

良い悪いは別として、そうとしか思えないのです。

そして、これこそが個人差です。

勉強もスポーツもなにもかも「個人差」というものがあると明確に意識したのです。

 

落ちこぼれた高校時代(でも勉強せず…)

高校は市内の公立高校に入りました。

市内ではトップの高校です。

とはいえ、県全体から見たら上の下のレベルです。

毎年、旧帝大には10人くらい、東大には一人行けるかどうか(ほぼ行けない)ってレベルですね。

 

そんな中途半端な進学校と言えども、自分と同じくらいのレベルの人が集まってくるので、試験の順位は驚くほど落ちました。

ひどい時は、中間・期末試験で500人中300番くらいにまで落ちたこともあります。

ちょっとへこみましたね。苦笑

 

でもまあ、平均して、150~200番くらいでしたから、

何もしなくても、真ん中の上、平均以上はキープできてたんです。

 

それにしても、ここまで落ちるとは想定外でした。

赤点で追試とかも経験しましたからねえ。苦笑

 

今までの優等生っぷりはどうなったんだと、ウチの両親なんかは思ったでしょうね。

でも、自分としては挫折とか、そういう思いはありませんでした。

勉強してないんだから、当然の結果だと思っていました。

 

大学受験の暗記量は小中学校の比じゃない

そもそも、高校の授業って難しいんですよ。

小中学校の授業は100%理解できてましたが、

英語や数学なんか30%くらいは「ちょっとなに言ってるかわかんない」レベルでした。

なので、ちょっとでも聞き逃したらアウトなんです。

居眠りするとか、おしゃべりするとか、漫画書くとか。

そんなことしてたら、あっという間にわからなくなります。

 

しかも暗記量が半端なく多いです。

小中学校とは比べ物にならないくらいです。

 

今まで勉強なんてしたことない人だったので、

相変わらず高校に入っても勉強しなかったのですが、

そんなことしてたら、雪だるま式にわからない部分が増えてしまったのです。

 

そしてついに、「勉強ってつまらないなあ」って思ってしまったんです・・・。苦笑

人間、うまくできなくなると「つまんない」って思い始めるんです

 

でも、こんな調子なんですが、あいかわらず中間・期末よりも実力テストのほうが成績がよかったんです。

県内であれば、そこそこ上位の国立大学に入れるレベルでした。

普通ならここで満足しちゃうんでしょうが、実は結構、劣等感を感じてたのです。

アホかと思われるでしょうが、「旧帝大くらいは、勉強しなくても行ける」と本気で思っていましたからね。。。汗

 

大敗北の大学受験・・・

そして大学受験を迎えました。

我が家では「私立」に行く経済的な余裕はないので、国公立のみ受験しました。

 

僕の当時は前期、後期、C日程と、国公立大学を3つ受験できました。

ちなみに当時のぼくは理系でして、3つとも理学部です。

 

でも結局、第一志望の大学には落ちてしまいました。

受けたのは妥協して旧帝大一歩手前くらいの難易度の地方の国立大学だったんですが、

見事に撃沈しましたね。

模試でB判定くらいでしたから、たぶん、受かると思ったんですよね。汗

 

なので、ショックで受験後は学校をサボって、図書館で勉強と称して読書にふけっていたくらいです。

先生が心配して親に電話したみたいで、バレて怒られましたけどね。。。

それくらい、受かると思っていたのです。

今思えば自分って、相当「楽観的」だったんでしょうかね。。。苦笑

 

とにかく、あまりにショックがデカすぎて、浪人しようと決意していました。

なので、第2志望の国立大学(後期試験)は受験に行かずに放棄しました。

親には受けろと言われたんですがねえ・・・。

 

そして、浪人生活が始まると思いきや、大どんでん返し・・・。

 

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