⑥IT業界に転職! 創作活動に終止符を打つ!

実家で情けない姿をさらすのを避けて上京。

上京してアルバイトを見つけたものの、またすぐに辞めてしまいました。

もちろん、創作活動もまったく成果が出ません。

そんな時、いったん創作活動は棚に上げて、

自分が本当は何ができるのか、考えてみようと思いました。

そして見つけたのがIT業界のエンジニア、プログラミングの仕事でした。

 

不運は続くよどこまでも

さて、ここでもやっぱり「さすが東京」と褒め称えたいです。

新聞広告の求人から、またしてもあっという間に、条件のよさそうな仕事が見つかったのです。

勤務先も自分が住んでる地域から電車一本で行けます。

 

さっそく面接に行きましたら、好感触です。

今までフラフラしてた自分で、しかも、IT未経験なのにぜひ来てほしいと。

ところが最終の社長面接に来てくださいと呼ばれて行ってみたらビックリ。

もうね、社長は歌舞伎町のチンピラかと・・・。汗

 

目つきの悪い、いかにもな感じの人が出てきて、言うのです。

「おれはさあ、仕事を何度もやめてるところが気に入らねえんだ」

ブツクサブツクサと、さんざん嫌味を言ってきます。

あぁ、ここは落ちたな、まあいいや、と思った瞬間です。

「よし、まあいい、明日から来なさい!頑張ってくれ!」

とのこと・・・。

 

「この社長、ちょっと嫌だなあ」と思ったんですが、バカ正直な自分は

「合格しちゃったし、明日から来いと言われたし、こりゃあ行くしかないよね・・・。」

と思いまして、流れでそこの会社の入社手続きをしちゃったのです。。。

それが悲劇の始まりだったのです。

 

勤務時間は長いわ社長はムカつくわ…

入社してからの「最低最悪エピソード」はいろいろありました。笑

同期入社の仲間と「社長マジでムカつく」トークを毎日仕事帰りにファミレスで繰り広げてましたね。

それはまたの機会に書くとしましょう。

 

しかし、なにより通勤時間が長いのはウンザリでしたね。

普通、就職した会社の所在地で働くじゃないですか?

でも、IT業界の多くは、会社の所在地と勤務地は別です。

 

出向という形で、大手企業に出向いて働くのが一般的なのです。

そんなことを知る由もない自分は、詐欺だと思いましたね。苦笑

 

でも、その会社には本当にお世話になった、人間的にも素晴らしい上司がいたんです。

その人のことは今でも尊敬してますし、感謝しています。

その人が目をかけてくれたこともあり、顔をつぶさないように、1年は頑張ろうと思ったんです。

 

そして、幸いなことに仕事自体が楽しかったんです。

ここポイントです。

仕事が楽しければ、人間関係や少々の嫌なことはチャラにできるのです。

 

漫画サークルの主催者の座を追われた日

さて、なんだかんだで1年が過ぎました。

実は僕が勤務していた出向先は神奈川県です。

僕の都内のアパートから1時間半の通勤時間です。

んなアホなという距離です。。。

 

でも、慣れるものですね。

通勤時間も苦にならなくなり、仕事の方も楽しくなってきました。

出向先の大手企業で成果を認められたのか、組織改編があり、ちょっと上の仕事を任せてもらうことになりました。

 

一方で創作活動のほうは、ほとんど進んでいませんでした。

そりゃ、毎日往復3時間の通勤ですからね、時間なんてありません。

土日も疲れちゃって、何もできませんしね。。。

 

だんだんと漫画家を目指す仲間たちとのつながりも希薄になってきました。

一部の仲間からは、「漫画を描いてない人が漫画サークルの主催者なんておかしい、辞退してくれ」と言われ始めたのもこの時期です。

一番仲のよかった仲間にそれを言われたのはショックでしたね。

まあそれも信頼の裏返しと思い、その彼に、主催者を任せて、ぼくは1メンバとして活動することにしたのです。

 

1年後、意外な形で悲劇は訪れた

 

その1年後のタイミングには、もう一つ重大事件がありました。

それは、なんと、僕の所属する会社が吸収合併されることになったのです。

 

どうも経営がうまくいってなかったようです。

威張っていた社長も元気がなくなり、周りから人が離れていきました。

ちょっと可哀そうに思えましたが、仕方ありませんよね。。。

 

ぼくは、「これはもう辞め時だ」と思って会社を去ることにしました。

もともと裏社会のブラックな人間たちガウヨウヨしていた会社でしたし、

長く務めることはできないなと思ってましたしね。

 

僕が尊敬していた上司も、その後、間もなくして会社を去ったようです。

一部の同僚はそのまま残ったみたいですけどね。

スッキリしたような、でも少し、世の中の悲壮感を感じてしまうような、新たな船出、そういう印象でした。

そして、ボクはまた創作活動を始めました。

 

雇用保険でしばらく暮らす最低な日々

僕は今まで長く勤務したことが無いので、今回の勤務が人生最長でした。

一年以上の勤務です。

すると、辞めた時にすごい情報が入ってきました。

なにやら、雇用保険からしばらく失業保険が出るとのこと。

 

そんなに長い期間ではありませんが、求職活動をするしばらくの間、失業保険だけで生きることができます。

あまり大きな声でいうような話ではありませんが、正直、ラッキーだと思いました。

最後の機会が与えられたと思いました。

 

つまり、次の職を探すのと同時に、漫画をもう一度本気でやろうと思ったのです。

これも漫画家になるための求職活動ではないかと?

と、変な理由を付けて今までの貯金と失業保険とで、1年間、もう一度だけ本気でやろうと思ったのです。

 

これでだめなら、いよいよ自分に才能はないと覚悟しようと思ったのですが、

当然、急に時間ができたからと言って、急にアイデアが湧いてくるわけではありません。

辛い辛い毎日が続きました。。。

 

時にはアイデアを考えるのも嫌になって一日中寝ていたこともありましたね。。。

これでもう本当にわかりました。

自分は本当に向いてないなと、ダメだなと。

これが最後の機会だと覚悟を決めたのに、ほとんど、良い作品を書けてなかったのです。。。

 

これで本当に終わり、ボクの成果は?

ところで、嫌になって一日寝てた時に、なんか悟ったような気持ちになったんですよ。

次の日、目が覚めて、布団の中で、「ああ、僕はこうして今日も生きているんだなあ」と思ったのです。

そして、この瞬間、すごく幸せだなあと思ったのです。

 

僕の周りには、ものすごくストレスフルな社会が存在して、

そして、それに飲み込まれていた自分。

でも、こうして生きているって、なんて幸せなことなんだろうと思ったのです。

 

周りの喧騒を感じたくなければ、その瞬間に遮断することができる、

天国にいるかのような幸せな安堵の気持ちに浸ることもできるのだと。

幸せか不幸かは、自分の「心」次第だということに気が付いたのです。

 

さて、ここからまた新たな就職活動を始めなければなりません。

でも、かなりスッキリした気持ちでいっぱいです。

もう完全に創作活動を、作家になるための活動を諦めましたから、肩の重荷がなくなったのです。

 

***

 

ちなみにボクの創作活動の成果はほとんどありません。

月刊アフタヌーンに名前が載りましたが、投稿した人全員の名前が載るシステムでしたし。苦笑

 

その後、ITに詳しくなった僕は自分のホームページを作りました。

そこでアップしていた過去に書いた漫画が面白いってことで、

ネットジェイという週刊アスキーの別冊のような月刊誌に掲載されたくらいです。

 

なんとも寂しい成果です。

でも、良い思い出です。

今とても毎日が充実してますからね、だからこそ、これが良い思い出に思えるのでしょう。。。

今に感謝ですね。

 

<オマケ>

むかし僕の主催してた漫画サークルの会報に載せてた4コマ漫画です。

「漫画家を目指した話」シリーズの末尾に1本ずつ載せてますので見てね。

 

 

https://inumakedon.com/manga-mochikomi/

 

 

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