④秋になって志望校が決まらず、またしても撃沈

数学のチャート式で挫折した僕は、

他の科目で気を紛らすことにしました。

しかし、英語でドカンと成績を上げた後は、

変な余裕が出てしまって、あまり集中して勉強をしなくなります。

一度、集中の糸が切れると、その後はズルズル、ダラダラと行くものです。。。

 

秋になって志望校が決まらず

いつのまにか、夏が終わりいよいよ秋になります。

英語の成績を爆上げしてからというもの、勉強時間がガクンと減ります。

 

そのあと、数学のチャート式で挫折してからというもの、

国語をやったり地理をやったり、適当に勉強を進めてる感が半端ない感じ。

 

理Ⅲに行くとか言ってるくせに、物理と化学はどうするの?って感じですよね。

しかし、もうその頃は、理Ⅲは無理だと思っていたのです。

なぜなら数学の難問が解けないからです。

 

数学で挫折したといっても、一応は数学はチャート式を全てざっと暗記したんですよ。

でも、リアルに丸暗記で、ぜんぜん応用が利かないんです。

その代わりセンター数学の模試では、180~190点くらいは取れるようになっていましたけどね。

 

でも所詮はセンター試験なので、2次試験ができなければ意味がありません。

というわけで、秋くらいからでしょうか?

英語で受かる大学を探し始めました。

もう医学部どころじゃありませんね

 

地理と国語はそこそこ成績がアップした

数学で挫折して以来、理数系の科目を完全にすっ飛ばしまして。

最初にやったのは地理でした。

地理はまず、小さな問題集を一通りマスターしました。

その後、センターの過去問を20年分くらいマスターしたでしょうか。

そのおかげで、センター模試では、毎度90点以上は取れるようになっていました。

 

それと並行して国語です。

国語は現代文の問題を1日1問くらいのペースで解いたように記憶してます。

古文、漢文も同様に1問ずつ進めましたが、

イマイチ、成果が上がってるかどうかわかりにくいんですよね。。。

これもセンターの過去問を20年分くらいやって、

センター模試では8割の160点以上はコンスタントに出していたと思います。

 

ちなみに、現役時代は、せいぜい6~7割、運が良くて8割とかだったので、大きな進歩です。

現代文の1日1問の演習が効果あったのかもしれませんが、よくわかりません。。。苦笑

 

 

1問解くのに時間がかかるからと暗記に走る過ち

地理と国語のあとは、再び数学と物理に戻ってくるんですが。

数学はチャート式で挫折しましたから次は物理です。

 

物理も「難問題の系統とその解き方」という名著があるんですよ。苦笑

で、チャート式で懲りたにも関わらず、それを始めるわけですが、1週間くらいで挫折しましたね。。。

この名著と言われる参考書は、ほんと注意しなければなりませんね。

 

ぼくの悪いパターンはこれです。

1問解くのに時間ばかりかかって効率の悪さに焦って暗記に走る。

結果、完全に理解しないままに次に進んでしまって、難問が解けなくなる。

とはいえ、センターなら解けるというレベルですね。。。

 

結局、物理も嫌になってきて、英語以外は完全にセンター対策に移行します。

もう秋ですからね、いつのまにかセンター試験も近づいてきたので、

センター対策をやらざるを得ない状況に陥ってしまったのです。

 

センター模試では8割~9割以上は固いなと

センター対策は、わりとバッチリでした。

全科目、センターの過去問は20年分はやりました。

模試の感触では、本番で8割から9割は確実に取れそうな成績でした。

 

やっぱり過去問は重要ですね。

市販の問題集も、よくよく見ると、センターの過去問から良問をピックアップして問題集にしてます。

なので、センターの過去問10~20年分と、市販のセンター用問題集を1,2冊マスターすれば、8割は確実かと思います。

実際センター試験本番でも8割以上取れましたんでね。

 

となると、志望校も、センターの配点の高いところも気になってくるんですよね。苦笑

はいはい、この辺が受験生思考なんです。

 

自分が行きたい大学に行くんじゃなくて、自分の成績で行ける大学を探すという・・・。

こんな選び方をしているうちは、所詮、子供なんですよね。

 

高級官僚になって日本を変えたい!という思い

さて、いよいよセンター試験です。

センターが終わるまで志望校をどうしようか迷っていました。

もう完全に文系確定です。

なぜなら二次試験対策は英語しか勉強してなかったからです。。。(おいおいって感じ…。)

 

でも文系にチャレンジする理由は、

必ずしも理Ⅲを諦めて英語しか二次の勉強をしてないから「だけ」ではありませんでした。

実は、その頃、あるものにはまっていたのです。

それは、政治経済の討論番組です。

一番有名なのは「朝まで生テレビ」ですね。

その他にも、NHKの日曜討論など、討論番組はいくつかありますよね。

欠かさず見ていたのです。

 

こういった番組の出演者、コメンテーターに憧れたというわけではなく、

このような討論を見るたびに思うことがあったんです。

それは、日本をもっと良くしたいという感情でした。

そして日本をよくするためには、官僚が生まれ変わらなければならない。

つまり、官僚が腐敗していると確信を得たのです。

 

当時、官僚亡国論という本が出て、かなり売れたと思います。

これなんか読むと影響されますね。

今は文庫になっているようです。

 

 

もうひとつが、こちらです。

この本はかなり面白くて、

これを読んで、ますます、官僚になりたい!

官僚になって日本を変える!と思いましたね。笑

 

 

今はだいぶ霞が関の状況は変わっていると思いますが、これを読めば、

「こんなにひどい状態なら、なんとかしなければならない」と誰もが思うでしょう。笑

若い頃は影響されやすいんです。

 

2次対策は英語のみの惨状!志望校決定!

さて、話は戻りまして、志望校の話です。

センター試験までは、確定ではないんですが、おおよそ志望校を決めていました。

名前は明かせませんが、関東の国立大学2本です。(いや↓を読めばどこだかバレるだろう…。)

 

第一志望(前期)は、外国語の最高峰のような大学で、第二志望は総合大学の法科です。

今から思えば、なんでまた第一志望に単科大学を選んでしまったのかという謎は残ります。苦笑

あれほど前回、学生数の少ない単科大学の学生生活のつまらなさに嘆いていたのに。。。

その辺がブランド志向しか頭にない受験生思考なのです。

 

第二志望(後期)は、学部の種類だけでなく学生数も非常に多いマンモス大学です。

ちょっと変わった学部があったり、個性的な研究をしていたり、

全国的に有名な教授もいたり、飛び級制度もあったり、あと留学生も他校よりも多いですね。

非常に個性的な大学です。

 

なぜ、この組み合わせかというと、英語に自信のある自分は、

二次試験が英語だけで受験できる大学を選んだのです。

 

そして、どちらも国家官僚になるには申し分のない実績があります。

第一志望に受かれば外務省には絶対に行ける。

第二志望だと、残念ながら、当時の大蔵省は100%無理。

当時の通産省くらいがいいところでしたが、

まあ、外務一種試験や、国家一種試験を受けるという環境が整っているという意味では両方とも問題ない大学かなと思いました。

 

大学受験はちょっとした小旅行? 受験をナメてる自分…

センター試験の緊張の二日間が始まりました。

センター試験のため、成人式は欠席となりました。苦笑

 

さて、センター試験って、平均点が上がる年と下がる年があったり、難易度が年によって異なります。

僕の年は難しい年に当たってしまいましたが、

なんとか8割を超すことはできました。

9割くらい取りたかったんですが叶わず、残念だった記憶があります。

 

さて、続いて二次試験。

今回の受験はどちらも関東です。

現役の頃とは違って、受験場所が都会です。

これがまたちょっと嬉しくて。。。

 

なぜなら、関東、いや東京っていろんな有名人がいますよね。

 

僕がその時に読んでた哲学(心理学)の本がありまして。

マイナーな作家さんではありましたが、これは、受験の時しかチャンスはないと思いまして、

ぜひ、インタビューしたいと思っちゃったんですねえ・・・。苦笑

 

なんとアポなしで作者宅にお邪魔しちゃいまして、色々と話を聞くことができたという。。。

はい翌日は受験ですよ。

まあ、直前にアタフタしても仕方ないっていう思いはありましたけどね。

それにしても馬鹿ですよね。。。

何やってんだかという感じですが、今考えても、なぜそんなことをしたのか不思議でなりません。苦笑

アグレッシブにもほどがあります。

 

第一志望撃沈! 学部は選ぶべきだった…

さあ、合格発表の日がやってきました。

 

第一志望は、

なんと、

落ちてました・・・。

 

試験は「そこそこできたかな」って感じでしたが、やっぱり難しかった記憶があります。。。

過去問も難しかったですし、やっぱりなあ・・・って感じです。

 

落ちてから後悔したのは、なんで最も難しい学科を選んじゃったかなということ。

外国語の大学でしたから、当時は最難関の「英語科」以外にも「ベトナム語科」とか、

マイナー言語の学科もあったんですよね。。。

 

偏差値の差で言うと、10以上は開いてましたから、なんで、そっちを受けなかったんだろうと。。。

入学しちゃえば、同じ学校で学部ですから、どの学科も同じです。

受験生特有の見栄を張って最難関の学科を選択したばっかりに、不合格という残念な結果を招いてしまいました。

それを、非常に悔やんだ記憶があります。

今でも、「もしも第一志望に入っていたら、僕の人生はどうなっていただろう」と想いに耽ることはあります。笑

 

第二志望は「できた!」という感触

さて、一転して第二志望の試験は「できた!」という感触でした。

第一志望と同じく、英語の超・長文問題ばかりの試験です。

でも、わりと素直な問題が多くて、これは受かったなと思ったんです。

 

はい、案の定、合格してました。

 

合格発表は新聞に名前が載ってるのを見て知った記憶があります。

記憶があやふやですが、電報とかの速報サービスを使わなかったようで。

朝起きたら今は亡き父親が「受かってたぞ、おめでとう。」と言ってくれたのを思い出します。

 

しかし、またしても第二志望の大学です。

内心、嬉しいはずはありません。

また同じことをやってしまったというネガティブな思いしかありません。

 

でも、その反面、実は少し「ワクワク感」もありました。

前回に中退した大学よりも、かなりレベルは上ですし、

しかも現役の頃に第一志望だった大学よりも少し劣る程度で、

むしろ世間の評価的には、さほど遜色はなかったのです。

 

実際、前回の大学とは比べ物にならないくらいの楽しさ、

そして、いろんな経験をすることになります。

 

https://inumakedon.com/igakubu-zetubou/

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