テーマは呪いと運命です

呪いって本当にあるのでしょうか?

「呪い」という言葉を聞いた時、恐らく誰もが考えると思います。

 

ちなみに、このお話の中では、「呪いなんか存在しない」というオチです。

誰かに呪われて不幸になったのなら、それは単なる偶然か、または因果応報なのです。

因果応報というのは、悪いことをすれば、その結果、悪いことが返ってくるという意味です。

つまり、犯罪を犯せば、逮捕されたり、賠償責任を負うよということです。

 

でも、お話の中に出てくるコタロウのような存在が現れたら、さすがに偶然とは言えませんよね。

本当は偶然ではなく「運命を見通す目を持っていた」というオチなんですが、こういう人、リアルに存在しそうです。笑

霊能者や占い師の人とかね。

まその辺が、この話を書くためのネタになった部分でもあります。

「呪い」について思うこと

ところで、メインチャンネルでも呪いについて語りましたが、自分個人の結論としては「呪いはある」と思うのです。

なぜなら、呪いは意識であり、意識はエネルギー的なものであると考えるからです。

もちろん、科学のお話ではありません。

 

ということは、今回のお話の方が割と現実的な見方をしていて、僕自信はスピ的な見方をしているということになります。

フィクションの方が現実的って、なんだか逆ですけどね。苦笑

 

ただし、呪いは存在すると言っても、直接的に物質に影響を与えるものではないと考えています。

このような霊や意識と物質世界との関係性については日月神示に詳しく書かれています。

意識(霊)の世界と物質世界は異なるルールで動いているのです。

だから、(物理的に)直接的にお互い影響を与えられないのです。

 

「じゃあ、やっぱり呪いなんて怖くないぜ!」

と思うかもしれませんが、そうではないのです。

 

同じく日月神示には意識(念)は永遠に残ると書かれています。

ということは、念は、物質ではないけど、まるで物質のようなものだということですよね。

よって、その念を感じることができる人、または無意識的に感じている人は、その念に影響される可能性があるということです。

もう少しわかりやすく言うと、悪想念(呪い)に意識的に、または無意識的に感応し、悪い方向に向かってしまうケースがあるということです。

ここが、呪いの怖いところなのです。

「魔が差す瞬間」に注意しなければならない

もっと具体的な例を挙げますと、仕事やプライベートで人に「強烈に」恨まれたとします。

すると恨みの念が発生します。

でも、この段階では、単に念が発生したというだけで、恨まれた人は何も被害に遭うことはありません

 

しかし、このようなケースでは話は異なります。

ある時、誰かに恨まれた人が、別の誰かと会話をしていたとします。

別の誰かが何気なく発した言葉に対して、誰かに恨まれた人が「カチン」と来たとします。

この時、心の中で葛藤がおこります。

「こいつ、オレのことバカにしてるのか?」

「いや、悪気があって言ったわけじゃないよな……、でも、そんなこと普通いうか?」

実は、この葛藤の過程で「呪いのエネルギー」が働くことがあります。

要するに悪魔の囁きですね。

 

呪いの悪想念は誰かに恨まれた人にこう言うのです。

「あいつ、絶対、ナメてるよ、許すべきじゃねえ!」

 

と、誰かに恨まれた人は、その誰かの呪いの悪想念に影響されて、怒りが爆発し、自分の周りの環境を破壊してしまうのです。

ここで、悪魔の囁き「許すべきじゃねえ!」に打ち勝って「まあ、さらっと流そう」が出てくれば呪いに影響されなかったということになるのです。

 

一般に「魔が差す」と言うと、欲望に負けて不倫しちゃうとか。(次の章でお話します)

もしかしてバレないんじゃないかと、ふと思い立って万引きしちゃうとか。

そういうケースで使われたりする慣用句ですが、このように「怒り」を誘発するケースの方が実はとても多いのではないかと個人的に思います。

呪いの念に「足元をすくわれる」ことないように

また別の例を挙げてみましょう。

「足元をすくわれる」という言葉がありますよね。

実は、これがまさに呪いの一形態なのです。

 

あ、もちろん、100%呪いの賜物だというわけでなく、呪いの可能性があるという意味ですよ。

先ほどの「魔が差す」も同様です。

 

では、足元をすくわれやすい人とはどういう人でしょう。

例えば、上に立つ人、上司、社長、教師などは恨みの対象になりやすいですから、まさにそうだと言えます。

そして中でも政治家は、いつの時代もその最たるものと言っていいかもしれません。

 

最近いましたよね。

周到に準備して選挙でうまくやって世論も味方に付けたのに、不倫問題でスキャンダル報道された政治家。笑

これこそまさに、足元をすくわれたと言えます。

 

名前は挙げませんが、この政治家には人から恨まれる要素が昔から、いや事あるごとにたくさんありました。

ご本人の人柄は良さそうなので、恐らくどっちつかずの八方美人タイプなのでしょう。

 

かくいう自分も「中立タイプ」なので似てますけどね。笑

実は中立タイプって恨まれやすいんですよ。

あっちを立てればこっちに恨まれ、こっちを立てればあっちに恨まれ、結果、どっちからも恨まれるのです。苦笑

 

ですから、常にたくさんの呪いの念が本人の周りに渦巻いていたはずです。

でも、少なくとも家族を、いや他人を傷つけてはいけないという人として基本的なモラルさえあれば、このようなことはなかったことでしょう。

 

つまり、「呪い」のネガティブな波動、人を傷つけるという波動に自ら同調することなければ、決して、影響は受けないということなのです。

言い換えれば、自分さえしっかりしていれば、呪いなど怖くないということなのです。

 

呪いと因果応報の違い

先ほどの「足元をすくわれる」例について、こう思う人もいるのではないでしょうか。

「そりゃ不倫したら、人(奥様)が嫌がることをしたんだから、報い(罰)が来るのは当たり前!」

「それは呪いじゃなくて、因果応報だよ!」

 

確かにそういう解釈もできますね。

悪いことをすれば、その報いが来る。

犯罪を犯せば、罰を受けるということです。

 

じゃあ、先ほどの例は「呪い」じゃなく、「因果応報」と見るべきでしょうか。

いや、僕が思うに、「呪い」っていうのは、つまり「因果応報」の具体例の一つではないかと思うのです。

なので、呪いと呼ぶのも、因果応報と呼ぶのも、どちらも同じことなのです。

 

例えば、相手を傷つければ、相手が怒りますよね。それが「因」です。

その怒りは自分に対する呪いとして、念として残り「報」として影響を与える場合もあれば、相手からの暴力や、嫌がらせという具体的・物質的に「報」として返ってくる可能性もあります。

どう返ってきたとしても、因果応報と言えます。

ただし、前者のように、念として残った場合は、「呪い」と言い換えることができる、ということですね。

ですので、呪いと因果応報というのは同じものなのです。

 

人を呪うのはやめましょう

ま、結論としては、「呪い」は怖くないってことです。

自分さえしっかりしていれば、という条件付きですが。苦笑

 

それに、無駄に「呪い」を恐れると、結局、自分の首を絞めるだけになります。

自らの行動を制限する足かせになったりするという意味です。

 

もう一つ言えば、人を呪うのはやめましょうってことです。

今まで読んできた人ならわかると思いますが、人を呪う人は、他人からの呪いも受けやすくなるからです。

同じ波長は引き寄せ合う、つまり、類は友を呼ぶということですね。

 

学校や会社、組織というのはどうしても利害関係が生まれ、結果、人間関係の中で争いが生まれます。

呪うというレベルまではいかないにしても、「あいつ、いなければいいのに」とか思いがちではないかと感じます。

その思いが強くなれば、いよいよ直接的な争いに発展するか、毎日恨みの念で煮えたぎるかのどちらかです。

 

まあ、一般社会では後者の方が多いでしょうけどね。苦笑

影で悪口を言ったり、遠回しに相手に嫌味を言ったり、相手を怒らせようとけん制して楽しむ、みたいな人いますよね。

大事なのは、そういう人にならないことです。

なぜなら、その行為自体が、呪いの想念と同調する行為だからです。

それを考えると「人を呪わば穴二つ」というのは、まさに真実だなって思います。

 

以上の話は、メインチャンネルの動画でもお話してます。

ブログだと文字が多くて読む気がしねえって人は、ぜひ、ご覧になってみてください。笑

 

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