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久しぶりに長期の旅行に行ってきました
今年の夏は妻と旅行に行ってきました。
しかも長旅です。
一泊や二泊くらいの旅なら、たま~に行くのですが、ここまでの長い二人旅は、過去には北海道旅行、そして新婚旅行以来です。
一人旅であれば過去に何回かありました。
北日本を回る旅、西日本を回る旅と称して、運転が大好きな僕は、車で北海道から九州まで行き当たりばったりに走り抜けました。
しかも当時は高速道路を使わずに、しかも「車中泊」でしたから非常に安上がりな旅でした。
ま、さすがに今回は妻がいるので車中泊でなく、きちんと宿をとって計画を立てましたが。苦笑
それでも、一人旅に勝るとも劣らない「冒険」感たっぷりの旅となりました。
「気分転換」どころの話ではない
ところで、結局、長旅に限らず短い旅でも、家に帰れば「やっぱり家はいいね~」となるものですよね。
その都度、「旅という非日常と、家(日常)とのギャップは、体感として凄まじいな」と毎度思うわけです。
例えていえば、旅行前と、旅行後を完全にぶった切ってしまう「線」が心の中に引かれたような感覚になるのです。
よく、旅は「気分転換」になるという話を聞きますが、気分転換どころの話ではありません。
どういうことかと言いますと、気分転換というのは、一時的に気分が変わるだけで、再び元の気分に戻りますよね。
でも、旅、特に長旅のあとは、そうそう簡単には元の「気分」に戻らないのです。
いや元の「自分」に戻らないと言ってもいいかもしれません。
何かが自分に付き加わって、人が少し変わってしまったのではないかとすら思います。笑
もしかしたら、僕と同じような思いを持っている人は、他にもたくさんいらっしゃるかもしれません。
そして、これこそが「旅の魅力」の一つだと個人的には思っています。
悩みや迷いがある人に旅を勧める理由
この「旅の魅力」を知ったのは、20年以上前に初めて一人旅をした時にさかのぼります。
当時の僕はサラリーマンをしており、いわゆる「激務」で精神的にまいっていました。
当時はプロジェクトのリーダーをしていたので責任感も半端なかったのです。
いや、正確には、それでも仕事自体は好きだったし、イヤじゃなかったのですが、プライベートで大きな問題を抱えていたことが一番の理由でしょうね。
一つのことが原因で「何もかもがイヤになる」って心境、誰にでも一度はあるのではないでしょうか……。
そんな時に上司から「たまった有休を全部消化せよ」という指令が出まして。
それもあって、一度行ってみたかった一人旅に出たのです。
車中泊もやってみたかったので、初めての車中泊の西日本一人旅となったのです。
気分が恒常的に変わると行動が変わる
僕の行動が変わったのはこの後ですね。
「興奮冷めやらぬ」とはこの時のための言葉だと言わんばかりの心境が長らく続きました。
そして、ついに、旅で見た田舎の景色が忘れられず、学生時代からの夢だった田舎暮らしを画策するようになるのです。
土日になれば、都内の喧騒から離れた某県の過疎地に物件を見にいき、そして半ば勢いで田舎の土地を買ってしまい、小さな家まで建ててしまったのです。
今でこそ普通ですが、当時は「一人で田舎にやってくる若者」など奇妙な目で見られる時代でした。
しかし、自分としては夢の新天地を手に入れた気分で、周りの目などどうでもよかったというのが正直な思い。
その後、都内に通うのが面倒になった僕は、「なんとかなるでしょ」程度の軽い気持ちで脱サラして独立開業をしてしまうのです。
「こうなったら、やりたいことをやろう」という吹っ切れた気持ちでそうしたのですが、そうは思ってもなかなか行動に移せないのが普通ですよね。
それができてしまったという点につき、何が自分の心に影響したのか、いまだにわかりません。
が、、、しいて言えば、単に「気分」なのかなと思うわけです。
人間というのは感情の生き物です。
すべての行動の動機は、ひとつの感情から始まります。
その感情=気分が旅によって(一時的でなく)恒常的に変わったということが、その原因なのかなと思ったのです。
「決断」を「後押し」したのは、旅の後の「気分」だった、そう思うわけなのです。
タイムライン(世界線)を変える「旅」の効用
よく「世界線が変わる」という表現をします。
このフレーズは、いわゆる「パラレルワールド」理論に基づいた表現です。
パラレルワールドというのは、一分一秒、その瞬間に世界線が無数に分かれて、それぞれの世界線が同時並行的に存在するという考え方です。
例えば、こんなケースでよく使われたりします。
つい先日、たつき諒氏の「7月5日の大災害予言」がありましたが、特に大災害は起きずに7月5日が過ぎました。
トカラ群発やカムチャツカ半島地震による津波警報もあり、まったく何もなかったとはいえませんが、少なくとも大津波による大災害はありませんでしたよね。
でも、何も起こらなかった世界は一つの世界(線)にすぎず、同時並行して、大災害が起こった世界線も存在するのです。
スピ的に言えば、大災害の世界線を生きる人たちは、日ごろの行いが悪かった人たち。苦笑
その反対に何もなかった世界線に生きる人たちは、その逆の人たち。
と、いうような謎の使い方をされるのが、この「世界線」という考え方です。笑
パラレルワールド理論の欠点と不思議な点
もちろん、先ほどの例に挙げた通り、この「世界線」「パラレルワールド」理論は、いわゆる「なんでもあり」理論です。
後付けで、どうにでも解釈できるような使い方ができてしまいます。
使う人の都合の良いように、こねくり回せる「言ったもん勝ち」の考え方でもあります。(かつ、それを100%否定することも論理的に不可能)
これがこの考え方の欠点です。
さらに言えば、今いる世界線から別の世界線に移動するというお話しも、都合の良い考え方の一つです。
朝起きたら今までとは異なる世界が自分の目の前に現れたとか、そういうお話ですね。
これは残念ながら小説などのフィクション、もしくは月刊ムーとか巷の都市伝説などのエンタメの世界観であり、現実にそういったことが起こることはありません。
※ 都市伝説や怪談は「事実」であるとして語られなければならないという業界の不文律があることをご理解ください。苦笑
ただし、次のようなことは実際に、事実として起こりえます。
ある時を境に、世界が違って見えるようになった。
これは世界線が変わったわけではなく、世界観が変わったということです。
自分の世界観、つまり自分自身が変わったということですね。
でも、視点をどこにおくかによっては、「世界線が変わった」と表現することもできますよね。
本当は自分の世界観が変わったんだけど、あたかも世界線が変わったかのような変化が自らに訪れたということを意味しているのです。
今までは、すべてのものがイヤだった。
でも、ある時を境に、イヤだったものが気にならなくなった。
過去にさかのぼっても、イヤだった思い出が、気にならなくなった。
まるで世界線が、そっくり丸ごと入れ替わったかのように、過去も現在も、世の中がスッキリと清々しく見える。
一般に世界観が変わったと表現されるこの事象こそが、まさに本当の意味での「世界線が変わる」という体験ではないかと思うのです。
旅行でなくてもいいしパワスポでなくてもいい
ところで、今夏の旅、目的地は四国と九州でした。
古代の歴史に触れたいという思い、おいしいものを食べたり、アクティビティだったり単なる観光も主な目的でありました。(ついでに万博も行きましたし)
ですから、この記事で説明しました「自分の心の中に生じる変化」というのは、あくまで二次的な効果であり、旅の目的ではありません。
確かに、世の中的にパワースポットと呼ばれているような場所にも行きましたが、「ご利益(りやく)」を得ようとか、そういう目的はありません。苦笑
とくに大御神社や宇佐神宮は邪馬台国・卑弥呼にもからむので、歴史に触れるという意味で是非とも行きたかった場所なのです。
もっといえば、必ずしも「旅行」でなくてもいいんだろうなとさえ思うのです。
たとえば、一週間ぶっ通しでドラクエやFFなどのRPGをやり通したとか。苦笑
非日常感、達成感、どんな感覚が人の価値観を変えるか、その辺は人によってさまざまなんだろうなと思います。
(いや、RPG数日間ぶっ通しプレイは自分も経験あるけど非日常感ハンパないですよ。笑)
結局、人間にとって唯一「確実」なのは自分の経験しかないのであります。
他人が「思った」ことを否定する人がたまにいますが、「その人がそう思ったのならそれがその人にとって真実ではないですか?」というのが僕の考えです。
ですから、「旅が人を変えるのではないか」、「心に区切りの線を引いてくれる」というのも、僕の経験であり、ある意味で僕の個人的な思いにすぎません。
でも、僕にとっては紛れもない真実なのであります。
ただ、旅というのは比較的多くの人がそれを経験しており、かつ、僕と同じように「世界観が変わる」的なお話をされている方も多いです。
なので、あながち例外的でないというか、少なくとも大きく間違ったことは言ってないのではないかと思うわけです。
もしも旅に行ってみたいけど、「意味なさそう」「退屈そう」「ありふれてそう」と思っている「行かず嫌い」の人がいたら、ぜひ一度、行ってみることをお勧めします。
旅は公共交通機関でも、車でも、自転車でも、歩いてでも行けます。
ある程度の健康と時間さえあれば誰でも行けるのが旅です。