直下型大地震の体験談(心の準備)

先月(1月31日)に怖い夢を見まして。

津波が来るから「早く逃げろ」って父の声が聞こえたと思ったら、

僕の実家(愛知県)が津波に襲われる夢でした。

そんなこともありましたので、今日は地震の話です。

 

三河地震の話(母との会話)

5年ほど前、正月に帰省した時に父はまだ元気だったのに、

その2週間後には意識不明で寝たきりになってしまうなどとは思ってもなくて、

元気なうちにもっと話をしておけばよかったなと後悔……。

 

死後、せめて父の夢でも見ないかなと思っても、

なかなか父の夢を見ることはありませんでした。

夢って狙って見れるものでもないですし。

 

ところが、ある時にやっと見ることができたのです。

でも、その夢がかなり怖い内容だったのです。

 

実は、亡くなってから最初に見た父の夢は、僕の健康不安を警告した夢だったのです。

その時の話はこちらに書いています。

この夢で見た医療器具の名称、聞いたことのないものでしたが、

ネットで調べたら出てきたんですねえ・・・。

正直、怖かったですね、ヤバイかもと思いましたね。

かなり思い当たる節がありましたからね。

 

ま、結果として大病にもなってなければ、死んでませんけどね。笑

その時から少し運動の時間を増やしたりしましたし。

実家(愛知県)まで津波が来る夢を見た

で、しばらく父の夢を見なかったのですが、

今年に入って先月1月31日に2回目の父の夢です。

実家あたりまで津波が来た夢を見たのです。

 

って、実はこの夢はよく見るんです。

 

というのも、割と昔から地震、とくに津波のことは気にしていて、

2005年に田舎暮らしするときも津波が来ても大丈夫な土地を探してたくらいです。

当時の不動産屋さんに「さすがにこんなところまでこないよ」と言われて安心したものです。

なので、普段から気にしてるからか、ちょいちょい地震や津波の夢を見ます。

今回の1月末の夢もその類かなと思ったんですが、

夢にめったに出てこない父親が出てきたので、

最初は父親の夢が見られて嬉しかったんですが、

後々になって、だんだんと気になってしまったのです。

 

それもありまして、実家で一人で暮らす母に翌日に電話しまして、

家具の配置とか避難ルートとか、地震の準備をしておいた方がいいよと伝えたのです。

まあ、何もないと思いますけどね。

三河地震と昭和東南海地震

で、その時に母との電話で三河地震の話になりました。

愛知県の(現在体験者のいる)地震で凶悪なやつナンバーワンといえば三河地震でして、

その当時の話になりました。

が、母は三河地震の時は2,3歳くらいだったみたいで、ほとんど覚えてないそうです。

でも避難して戻ってきたら自宅が倒壊してたのは覚えてるそうです。

ちなみに、三河地震の直前に起こった昭和東南海地震の話は、

母が子供の頃から今まで、あまり話に聞かなかったそうです。

昭和東南海地震では津波も発生したようですが、

津波の話もほとんど聞いたことないと言ってましたから、

愛知県ではやはり三河地震が一番すごかったんだろうと思います。

 

でも、そういう話を聞いても、どれくらいすごいのかわかりませんよね。

自分が経験したわけではないですし。

 

僕が子供の頃にも、母は三河地震と伊勢湾台風の話をよくしてくれました。

あと、台風13号だったかな? すごい台風の話。

でも、まったくピンと来ないんですよね。

子供の自分としては台風が来ると学校が休みになるから嬉しかったくらいです。

三河地震の体験談

話を戻して、、、その三河地震ですが、どれくらいすごかったのか、

ネットを色々探してみたら、情報がありましたので、

その中から特徴的なものを、いくつか引用したいと思います。

詳しい情報はそのサイトに飛んで読んでみてください。

三河地震は二回あり、一回目は12月初めごろ、当時小学校1年生だったうちのおばあちゃんは、下校途中でした。- 中略 - マグニチュードは、3ぐらいだったらしく、死者も、崩壊した家も、なかったけど、おばあちゃんはそのとき、恐怖心をおぼえ、それから、余震が何ども続いたので、おばあちゃんたちは、わらで作った家で、次の1月13日の地震までの1ヶ月間、暮らしたそうです。1月13日の地震は、マグニチュード7.1という大きな地震で、死者は2、3066名、住居破壊2、3776戸、形原
町、西浦町での死者は237名にのぼったということです

 

これを読むと、三河地震は前震があったタイプの地震だったことがわかります。

東日本大震災や熊本地震も前震がありましたので、

何日か前の小さな揺れが大きな揺れのサイン(前兆)になることがあるってことですね。

 

次は三河地震が発生した瞬間の体験談です。

まさに直下型の大地震であることがわかります。

それは、おばあちゃんたちが丁度眠っている、真夜中のことでした。突然グラグラと、したので目が覚めて、おばあちゃんのお父さん
とお母さんが、「どうせ死ぬならみんなで死のう」と言い、家族で円くなっていたら、揺れが治まりました。そして、家の中は危険なの
で、外に出ていたら、地球の底からか、海の向こうの方から、ドーンとすごくでかく、恐ろしい音がして、その後にグラグラグラーと、
何回も揺れました。(余震)外は雪が降っていたので、それからは、小さな小屋を建てて、寝たり起きたりしていたそうです。

断層がズレた音なのか、地下で岩盤が破裂した音なのか、

何なのかわかりませんが突然ドーンとくるようです。

直下型の特徴なのかもしれません。

 

そして、こちらも興味深いです。

直下型の三河地震に対して、海溝型の昭和東南海地震を対比した体験談です。

それぞれの特徴がよくわかります。

◎1月13日の三河地震は下から突き上げるようなゆれで,東南海地震とは揺れ方が全然違った
◎12月の東南海地震はガッタンガッタンと大きく横揺れしたが,家は倒壊せず目立った被害もなかった

12月7日の東南海地震の際には,自宅の中庭にいた.横揺れが来て立っていられなくなり,何かにつかまった記憶がある.だが,幸いなことにこの地震では自宅に目立った被害はなく,家族にけが人も出なかった.

東日本大震災のような海溝型の地震は横揺れが続くが特徴で、

揺れによる被害は直下型よりも少ないようです。

その代わり海溝型は津波が怖いですけどね。

でも、直下型の方が個人的には怖いなあって思いますねー。

ドーンと来たら、逃げる時間がないんじゃないかなって思うのです。

三河地震の前兆

さて、次は三河地震に謎の前兆があったという体験談です。

それは音だったり、光だったり、読む限りはにわかに信じがたい内容です。

当時、戦争中で、祖母は西浦の、今で言うと、魚市場を少し行った所で、飛行機などを作っていた時に、ドンドンいったので、攻
めてきたと、、思っていたようです。しょっちゅうドンドンいっていて、ついに12月には地震が来ました

地震の起こる前の地震が、続いていたころ、大砲のようなドンドンッという音が、すごく鳴っていて、みんな
は、戦争中だったので、大砲の音だと思っていたそうです。おじいちゃんの知り合いだった、おじさんが居たそうで、その人は、漁師で、
海で漁をしていたら、三ヶ根山から、火柱がスゴク出ていたので、とんで帰って来て、教えてくれたそうです。その次の日に、地震が起こ
ったそうです。

ドーンという音は、

確かに戦時中の三河地震のケースでは爆弾の音かもしれず、

なんとも判断が難しいですね。

でも、何かの参考になるかもしれません。

 

しかし、三ヶ根山の火柱とは何だったのでしょう。

これについては、こんな体験談もあります。

昭和20年1月13日未明の三河大地震である。家はドンドン、バリバリ引き裂かれるような無気味な音、上へ放り上げて、下へ叩きつけるような、それが凄い速さの連続だった。家族の者達は父の誘導で、勝手口から一斉に裏庭へ飛び出した。その時、すでに勝手口のガラス戸は外へ倒れてメチャメチャに割れていた。その上をみんなは足袋はだしでパリバリと踏んで走った。いや転がり出たと言ったほうが本当だろう。頭の上から瓦が、ガラガラ落ちて来たが、お陰で誰もけがをした者はいなかった。外へ飛び出した直後、父と姉は、西の空三ヶ根山上あたりに大きな青い火柱を見たと言った。火柱は、次第に夕焼けのような色に変って、三ヶ根山が噴火したか、火事がとうとう発生したかと、びっくりしたそうだ。

三ヶ根山は低い山ですし火山ではありませんから謎です。

しかも青い火柱とは?

なぜ青?

 

あと、火柱ではなくピカっと光っていたという体験談もありました。

この光が青白かったのでしょうか?

1945年1月13日 三河地震がおこる前に、ドーンと音がした。ばくだんの実験工場が豊橋にあるのでときどき音がするから、気にしないで
寝ていて、何分かした後、さっきよりすごい音で、ドーンという音がしていきなり、下がったように揺れたので、おじいちゃんは、出ら
れなくなってしまいました。窓がもろくて、こわれた所に揺れがおさまった時に、逃げれたそうです。家から出たら、ほとんどの家がこ
われていた。三ヶ根山のほうを見たら、いきなりすごい光がでて、またすごい余震がきて、逃げていなかったら、つぶされていたという
ことです。

三河吉田の方で、三河地震が起こる前の年昭和19年12月10日にも、大きな地震があった。三河地震発生の数日前に、三ヶ根の方がピカピカ光っていた。このことについて、空しゅうかどうか聞いても、空しゅうではないと答えていた

大きな地震が起こる前に発光現象があるという話はよく聞きます。

気のせいだ、オカルトだ、などと一笑に付されてしまうような話ですが、

実際に体験した人がいることを考えると、簡単に否定はできないと思うんですよね。

地震の前兆現象の科学的根拠

これについて名古屋大学の研究論文で、このように言っています。

大きな地震の発生前に,異常な地殻活動が観測される事例がある.その多くは精密な観測機器によらねば検知できない微弱なものであるが,中には特別な機械がなくとも人体で感じられた例が知られている。
このような顕著な異常は,我が国の古文書の中にもたびたび記録されており,その内容は動物の異常行動,地面からの発光,井戸の水位変化,体に感じる地震の続発など,様々な形態が知られている(武者,1957).記録された異常現象は地震後に振り返って記述されたものが多いが,中には異常現象に基づいて事前に避難行動をとり,それによって生命や財産の損失を防いだ事例も存在する。
大地震の前に人体に感ぜられる異常現象そのものは,「いずれも見かけ上奇怪きわまるもので,したがって正統派の地震学者からは,あるいは毛ぎらいされ,あるいは余り関心をもたれない性質のものである」と武者も述べているように,そのメカニズムを物理学的に解明するのは難しいものが多い

やっぱり昔から前兆現象というものはあるけど、

結局、科学的に解明できないからオカルトだの「気のせい」扱いされてしまうのだなと思いました。

この研究論文には体験談もたくさん載っていました。

こちらにも謎のドーンという音と発光現象について書かれていますね。

1月13日の三河地震が起こる数日前に,艦砲射撃のようなドンドンという音が沖の方からした。30分か1時間に1回くらいの頻度で音がして,みんなが「艦砲射撃だな」と言っていた.揺れは感じないで,音だけがしていたように記憶しており,あれが地震だとは思わなかった。
三河地震のときは,寝ていていきなり「どしゃん」と天井が落ちてきた。ー中略ー
親せきがかけつけてくれて,明け方には助けだされた。そのまま小学校の運動場に連れていかれ,軍医の診察を受けた.近くにあった母親の実家の畑でテントをはって,しばらくの間,家族全員がそこで寝泊まりした。夜になると流れ星のような稲光が光った

思うに、三河地震は震源が三河湾とされていますし、

そこから三ヶ根山までのライン状に伸びる断層がありますから、

まさにこれが地中内部で崩壊し、ズレた時の音ではないかと推測されます。

発光現象も断層(岩盤)に圧力がかかると発生するという研究もありますからね。

謎の爆発音や夜空に光を見たら要注意かもしれません。

直下型地震にどう備えるか?

思うに直下型地震って、どう備えれば良いのでしょうか?

少なくとも最初の衝撃で家が倒壊してしまったら終わりです。

運よく隙間から脱出できればいいですけどね。

 

体験談を読むと、一階が潰れてしまったという家が多かったようです。

祖母の家もつぶれたそうです。下からつきあげられるようにして、いっしゅんにしてつぶれた。「一階だったから助かった、二階だ
ったら死んでいた」といって言いました。

寝ている時に、突然、体が跳ね上げられるような感じでした。怖くてうつぶせになって目をつむっていました。目をあけ
たときには、家の下じきになっていました。2階がおちてきていたのです。1階に寝ていた私は、埋まってしまいました。

2階に住んでいた人が、フトンを外にほかって、2階から飛び降りた。2階の家が、いっきに平屋になった。3階の家が、2階の家に

三河地震では,家が突然持ち上がったように感じた.そして「ポン」と北側へ飛んでストンと落ち,その衝撃で2階建ての1階の部分がつぶれてしまったと思っている

でも、当時の家の作りと現在の家とでは強度が異なります

新しい耐震基準で建てられた家なら大丈夫でしょうけど、

例えばウチの実家は築45年ですので、古い家は厳しいかもしれませんね…。

 

それもあってウチの実家は数年前に耐震工事をしましたけれど、

耐震工事をしてない二階建ての家の場合は、二階で寝たほうがいいかもしれませんね。

その点について先ほどの論文では、次のような見解です。

三河地震のときには揺れを感じてから外へ逃げ出す余裕はなく,逃げる間もなく家がつぶれてしまい家族に死者が出てしまった。いわゆる直下型地震では揺れはじめてから強い揺れに見舞われるまでの時間がほとんどない。このタイプの地震では,地震を感じてから外へ逃げ出すことは,ほとんど不可能である。

古い家の場合は一瞬で一階が潰れてしまうかもしれず、

そうなったら避難することは不可能ですよね。

でも二階であれば揺れがおさまるまで避難できます。

落下物などもあるし、すぐに逃げ出さず、

二階の、しかもテーブルの下などで一時避難するのも選択肢の一つですね。

 

関東大震災の体験談

古い実家の家も気になりますが、今の住林の家も大丈夫なのか気になります。

積水ハウスの家も賃貸に出してますし、両方とも壊れてしまっては困ります。

いくら火災保険があるとはいえ地震保険は補償が半額なので、

全壊してしまったら厳しいですよね。

海溝型の津波も怖いですが、我が家の場合は直下型の方が気になります。

 

そんなこともあって、他に直下型の体験談は無いかと探してみると、

関東大震災の体験談がありましたので、いくつか引用したいと思います。

関東大震災の震源地

関東大震災も内陸直下型の大地震です。

東京が火の海になったという印象があるので震源地は東京かと思ったら神奈川なのです。

相模トラフ近くのプレート境界で起きた地震です。

ちなみに相模トラフは200年周期という説があるのですが、

その周期の間にも別の近い場所(東京湾など)で関東直下の大地震が起きてます。

やはり、プレートがちょうど重なる辺りなので、

地震発生のメカニズムが複雑なのかもしれませんし、

いつ首都直下が起きても不思議ではありません。

関東大震災の体験談

さて、こちらは震源に近い秦野市がまとめた体験談です。

たくさんあるので気になる部分を一部だけ抜粋して引用します。

“ゴー・ドスン”と音がして、上・下運動が五・六分間位と思います。以後十分位横振りでした。その短時間の出来事は、何も考えられず、闇の中で起った様でした。人が地面より四・五十センチ上・下運動していました。
静かになって周囲を見回すと、どの家も半壊や全壊が目立ち、全体の四割位が被害を受けていました。電気、水道、電話、交通、全部不通、消防は、電柱や電線が倒れたり、たれ下がったり、地割れ等により全々使用出来ません。

ほぼ震源地に位置する秦野市ですから、やはり縦揺れがすごいようですね。

これがいきなり来たら、テーブルの下に隠れることすら厳しそうです。

こちらの体験談も何をすることもできなかったと書かれています。

始めのうちは、震度四位だったかと思うが、その途端上下動となり、座ってさえもいられない始末でどうすることさえも出来ず、手当り次第の物につかまっている始末だった。自分は無心に家外に出た様なものの、続いて来る大地震でどうすることも出来ず、只、地面に伏しているだけだった。自分が倒れている目の前では、家がだんだん倒れて来るのが見えているに係らず、逃げることさえ出来ない始末だった。

ただ、次の体験記では最初に(体感だと思いますが)二分ほど小さな揺れが続いたとあるので、

その間に逃げることはできたのかもしれません。

が、もしかしたら震源地から少し距離があった場所なのかもしれません。

日常ありふれた震動が二分位続いた後、「おやっ」と思う間にだんだんと大きく、ますます激しくなり、皆が酔っぱらいのような足取りで外に飛び出した。間もなく家がつぶれ、屋根は踊り、垣根のマキの木は道路に崩れ落ち、庭には大きな亀裂が二筋も出来ました。樹木は生命あるかのように樹身をよじらせ前の田んぼは土が盛り上りなんと恐るべき一大事の出来事、話にも絵にもできません。

震源地の近くでは揺れはいきなり来るので、

かなり逃げ出すのは難しいと思うのですが、

前兆的な微振動みたいなものがあったとすれば、それを見逃さないことが重要なのかもしれません。

でもその時に緊急地震速報が出ていれば逃げることもできると思いますが、

そうでなければ「小さな地震だな」で終わってしまいますし、

なんとも難しいところです。

避難経路を確認しておくこと

ただ、こちらの体験談のように当時の耐震強度の家でも全壊しない家もあったようですし、

現在の耐震基準の家であれば大丈夫なのかもしれません。

あまり怖がりすぎても良くないなと思いました。

皆、夢中で絶え間なくくる余震に怯え、近くの山を見ると、赤裸となり所々崩れていて何とも恐ろしい風景でした。幸い我家では、両親、子供は傷も無く、家は半壊ですみました。隣近所も大騒ぎでした。我家の物置は二百年以上もたっていますが、柱や梁がしっかりしていたので少しも動きませんでした

最後に、こちらの体験談で語られている内容は大事だなあと思いました。

当たり前のように聞こえますが、その当たり前のことを冷静にやることですね。

当時を思い起し、震度六、七の大地震では、人の行動は止まり、その瞬間の落ちついた行動が大切であると思った。
現在の住宅は瓦屋根が多く、地震での落下は必至と考える。そしてガラスが多く使用されているので、破損等を考慮し避難する事が肝要と思う

やはり家にいても、外出中でも、仕事中でも、

避難経路をシミュレーションしておくことが大事ですね。

僕は遠出する時はたいてい避難経路を確認してます。

 

東日本大震災と阪神大震災の自分の体験

小学生の頃に地震の体験ができる車(?)のようなものが学校に来た記憶があります。

でも、代表で数名の生徒だけが体験しただけでした。

やっぱり自分が体験しないと揺れの感覚って文章を読んだだけでは理解が難しいですよね。

 

振り返ると僕が今までに体験した最大震度は4だと思います。

逆に震度2とかでも直下で縦に揺れると超・ビビります

それを考えたら直下の震度6や7とか、恐ろしいなんてものじゃないですよね。

阪神大震災(兵庫県南部地震)の時は?

直下型でもっとも記憶に残っているのが阪神大震災です。

僕は大学生でした。

関東地方にいましたから揺れは感じず、朝のニュースで知ったのですが、

大学に行ったらみんな地震の話題でもちきりでした。

テレビのニュースでは「これが日本だろうか?」という光景でしたが、

兵庫県に住んでいた友達に聞いても、それはもう凄まじかったらしいです。

と、人から話で聞くものの、やはり自分が体験したわけでなく、

やっぱりよくわからないんですけどね。

東日本大震災の自分の体験

そして東日本大震災もほとんど揺れの感覚がわからなかったです。

僕はその時は薬局に行くために車を運転していたのです。

 

すると、どうも車のハンドルをとられるというか、

微かに揺れてるような妙な感じがしたのです。

FMラジオから「地震ですね、かなり大きな揺れですね」という声がして地震だと気が付くのですが、

その時に揺れが大きかったからか、前を走ってた車が道路の真ん中で停車しちゃったんですよね。

僕も仕方なく車を止めたんですが、確かに回りを見ると標識や樹木も揺れてるし、

船に乗っているかのようにフワリフワリと揺れてるのです。

「なんじゃこりゃ?」

って思いました。

僕の住んでる場所では震度4だったみたいですが、気持ちの悪い揺れでした。

急いで家に帰ったのですが、家は全くの無傷。

飾ってあった小物が1,2個倒れてましたけどね。

 

やはり海溝型地震の揺れは一般家庭の家屋にとって直下型ほどは壊滅的ではないのかもしれません。

もちろん我が家は震度4でしたし、もっと揺れが強かったらわかりませんけどね。

心の準備をしておくこと

どうして今、大地震の体験談などを読み始めたかというと、

先ほど書きましたように怖い夢を見たからなのですが、

もちろんそれだけではありません。

首都直下地震や、東海、東南海、南海地震、北海道東方沖など、

切迫しているという話(説)をよく耳にするからです。

特に先日、東日本大震災の再来かと思わせるような大きな地震(福島沖)も起こりました。

地震予知有料サイトなどでも警戒するように伝えられています。

 

とはいえ、近々起こるとされていた東海地震も今になってもまだ発生していません。

東海地震は僕が子供の頃、つまりウン十年前から来るぞ来るぞと言われてました。

母も東海地震が来たら家がつぶれるだの言ってたのを思い出します。

 

東海地震は昭和東南海地震の割れ残りですので、そのうち揺れる運命です。

同様に東日本大震災の割れ残りの茨城・千葉沖、青森・北海道沖地震も危険性が指摘されています。

 

いつ来るかはわからないのですが、備えておかないとなあと毎年一度は思うのです。

避難経路と、あと食料と日用品の備蓄ですね、買い占めにならない程度に少しづつ準備しましょう。

そして、心の準備ですね。

いきなり来ると、ビビッて固まってしまいますから、

グラっと来たら何をするか考えておくことですね。

昼間に家で仕事中に揺れたら、タヌコさんを抱えてテーブルの下に隠れるとか、

様子を見て庭に逃げるとか、色々考えてます。

地震など災害は起きないことが一番良いのですけどね。。。

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