亡父の納骨が終わりまして…

例年3月は忙しいのですが、今年、2024年の3月は最近稀に見る忙しさです。

お客さんの決算月というだけでなく、自分の(個人の)確定申告があったり。

そして今年は免許の書き換えもあるし、しかも、まだ行けてないし。(もちろんゴールドですけどね~♪笑)

あと、僕の誕生日も3月だし、結婚記念日も3月です。(って、それは関係ないか!笑)

 

しかも、昨年から春に福井県に行くというミッションも増えまして、まあ、それは今年は4月にずれましたが。

でも、もっとも大きなイベント「亡父の納骨」があるんですよね。

それが先日、何とか無事に終わりまして、ほっとしております。

 

納骨とは

ところで納骨ってなんですか?

って人のために、いちおう説明しておきましょう。

納骨とは、遺骨をお墓に納めることです。

はい、簡単なことです。

 

先祖代々のお墓がある家は、そこに骨を納めるだけです。

一般的には火葬した後、 四十九日、一周忌の時に納骨する人が多いみたいです。

でも、うちは七周忌になるんですかね、なので、ちょっと遅めかもしれません。

 

ただ、近所には、もっと遅い人もいるみたいなので、遺族のタイミングでいいと思います。

あまり形式的になり過ぎない方がいいと思います。

 

その点、うちの場合、とても親身なお寺さんでして。

タイミングもお布施もすべて「お気持ちで」的な対応をして頂いて大変感謝しております。

費用は代替相場があるけど不明瞭

ちなみに、一般的に納骨料は別途必要となるようです。

そのあたり、お寺によって異なると思います。

うちのお寺はわかりやすかったですけど、不明瞭な場合もあるようです。

 

ちなみに、先祖代々のお墓がある家はいいのですが、墓のない家はお墓を買うのが一般的でしょうか。

じゃないと、納骨できませんからね。

でも、一般的にお墓を買うには最低でも200万円くらい必要なので、最近はお墓を買わない人も増えてきてるそうです。

となると、樹木葬、納骨堂、合祀墓などですね。

 

うちも、それでいいんじゃないかと思いました。

だって、うちにはいわゆる「跡取り息子」がいないんですよ。

つまり僕の代で最後です。

どうせ墓を守る人がいなくなるんだから、わざわざお墓を買うのはどうかと。

 

「高価な墓石を立てるより~♪」

という歌も、むかし流行りましたよね。(ちがうか。笑)

納骨にもいろんな種類があるようです

でも、そもそも葬儀やお墓にお金をかけないのは時代の流れのようです。

実際に僕も、父が亡くなった時に葬儀とか墓のシステムを調べていて「???」と思ったものです。

ぼくと同じような疑問を抱く人が増えてきたということなんです。

 

 

 

高価な葬儀、高価なお墓、それがいいと思っている人はそれでいいと思います。

でも、それを支払えない人たちも今の世の中たくさんいると思います。

いや、支払えるけども、このシステムに疑問を抱く人が増えてきています。

 

お寺もそれをわかっていて、色んなプランを提案してくれます。

先ほども挙げましたが、樹木葬、納骨堂、合祀墓などいろいろあります。

金額的には20万円くらいから可能みたいです。

 

うちは合祀墓にしました。

僕は樹木層がいいかなと思ったんですが最終的には母に決めてもらいました。

正直、遺骨を他の仏様と一緒にしてしまうのは(ほんの少しですが)抵抗がありました。

 

が、よく考えれば、結局、墓を購入せずに納骨堂、樹木葬にした場合でも、僕の代がいなくなれば無縁仏となります。

そうなれば、自動的に合祀墓に移動することになるので同じなんですよね……。

 

それに、遺骨は自宅の仏壇にも分骨してあります。

ですから、そこまで寂しい感じはしてません。

 

遺族の見栄よりも供養の本質を考えたい

ちなみに、ぼくは最近の葬儀や埋葬の簡略化の風潮は賛成です。

ここが負担になって逃げだしてしまいたくなる人もいると思うからです。

それに、正直、(適度でない)高価すぎる葬儀やお墓って遺族の「見栄」以外のなにものでもないなって思うんです。

遺族の見栄よりも、個人の供養が重要だと考えると、僕は次のことを気を付けたいと思っています。

 

・故人が地上で迷わないよう(成仏できるよう)、死んだということを故人に知らせる

・故人は死後もぼくらを見守ってくれているので、なにかあれば感謝するようにする

・故人が天国で困らないよう、遺族はきちんと正しく残された人生を生きる

 

それぞれ解説します。

故人が地上で迷わないよう(成仏できるよう)、死んだということを故人に知らせる

たまに、亡くなったことに気が付かない人がいるんです。

そういう人は、あの世とこの世のはざまで留まっていることがあるんです。

仏教でいえば成仏できてない状態です。

 

そのような場合、故人に「あなたは死んだんだよ」ということを知らせる必要があるんです。

一般にその役割をしているのが葬儀なんです。

よほど葬儀会場に自分の顔が飾ってあれば、「あぁ、おれは死んだんだ」って気が付きますよね。

49日とか、3回忌とかありますけど、それも、そのような役割なのです。

 

逆に言えば、そのような儀式が無くても、ほとんどの人は成仏するんですけどね。

でも、念のためってことです。

故人は死後もぼくらを見守ってくれているので、なにかあれば感謝するようにする

故人は、およそ死後も僕らを見守っています。

通常、家族は自分たちと同じ意識体・霊団、または、ロバートモンロ的に言えばIT集合体として活動するので見守らざるを得ません。

ですので余程、生きてるときに精神的進化の進みが遅い場合を除き、死後もぼくらを見守ってくれているのです。

 

さらに、死後、物質の体を失うと、普通は意識状態が高みに上がります。

結果として霊は、物質的な価値でなく、精神的な価値観を元に活動するようになります。

ですから、故人からの助けは、ある意味で高度なものになります。

そのため、時にそれに気が付かないこともあります。苦笑

 

つまり、それに気が付くだけの精神的な進化がぼくらには必要なんですよね。

といっても気がつかないことの方が多いでしょうけど、助けてくれているのは間違いないんだと思って、日々感謝しましょう。

故人が天国で困らないよう、遺族はきちんと正しく残された人生を生きる

というか、逆に僕らが地上でよりよく生きることが、故人を助けることにもなるのです。

お互い助け合っているのです。

ま、それは、死んでからわかるんですけどね。

 

僕らが地上で、人生をまっとうすることが、故人を含めた意識体・霊団・IT集合体の助けになるんです。

なぜなら、最終的に意識体・霊団・IT集合体は一緒に次の段階に進むことになるからです。

 

みんな一緒じゃないと次の段階にいけないから、一人一人の活動が大事になってくるんです。

そのための支援を天国から一生懸命してくれているんです。

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