なぜ、わざわざ難しいことにチャレンジするの?

この物語は2022年の作品です。

過去の自分自身の苦い思いが、物語の中に込められてあります。苦笑

 

僕が若いころ「夢に向かって突っ走る」的な生き方をしていた時がありました。

簡単にいえば「物書き」的な仕事をしたかったのです。

その仕事に就くために狭き門をたたき続けていたのですが、結局、門は開かなかったという……。苦笑

 

若いときは世間知らずで、ものの考え方も浅はかでしたから、なんとかなるだろって思ってましたが結局何とかならず今の自分があります。苦笑

振り返ると、割と早いうちに夢をあきらめたよなーって思います。

 

だって、テレビ見てると40代や50代になって、やっとのこと売れた芸能人(芸人、俳優、作家)とか活躍してますからね。

でも、逆にいえば、40代や50代になっても芽が出ない人たちもたくさんいるわけでして。

しかも、実際にはそういう人たちの方が多いんだろうことも容易に想像できますけどね。

 

今になって思えば、「どうして、わざわざ難しい道、狭き門をくぐろうとしたのか?」なんですよね。

ま、その時は、それをするのが楽しいし、なんとなくうまくいくだろうと思ってるからそうするんですけどね。

とはいっても、徐々に未来のことを考えて不安になる時間が増えていって、終いには頭の中に不安しかなくなる……、んですよね。苦笑

 

なにか変えないといけない、もっと新しいものを取り入れないといけない、今までと違う発想を……、などと思うのですが見つけられない。

でも、仲間がいたりすると、その「不安」が払しょくされたりするんです。

このあたり日本人的なのかもしれませんが「あいつも売れてないからオレもこのままでいいや」みたいになっちゃうときがあるんです。苦笑

こうして、ずるずると、うだつの上がらない人生をすごすことになってしまうのです。

 

周りの友達みたいに、普通に学校を出て、ごく普通に働けば、人並みの生活を送れるわけですからね。

なぜそうしなかったのかなって、あとになって思うわけですね……。

どうして、こんなに難しいことにチャレンジしようって思っちゃったかなって……。苦笑

そんな自分自身の思いが、このお話を書こうと思ったきっかけです。

 

生きることが楽になる考え方

「辛いな」って思う時って、どんなに強がってる人でも一度や二度くらいはあると思います。

いやあ僕自身も振り返ると、当時は本当につらかったですね。

若かったとはいえ、うまくいかないことが多かったです。

人生を、いや世界を宇宙的な視点で見るということ

でも、そんなつらいことがあっても、大きな視点で見れば、本当に些細な事なんですよね。

ちっぽけな人間の、たった一人の人生なんて、花の一生のようなものです。

ちょっと活躍したからって、ちょっと綺麗な花を咲かせた程度、そんなの知れてます。

 

なーんていうと、世界の偉人が思い浮かんで、「彼らは世界を変えたじゃないか!」「知れたものだと言っても、すごいことだ!」と思うかもしれません。

でも、宇宙的な視点で見れば、偉人の功績すら小さく感じます。

現代の人類の限られた科学の範疇では、知的生命体の文明は僕ら地球人の数千年しか存在しないとされていますが、実際には膨大な文明が宇宙には存在しているはずです。

その無数ともいえる文明にも、それぞれ偉人と呼ばれる人はいたでしょうけど、そんな人ですら宇宙には無数にいるはずなのですから。

 

天の川を見たことあります?

天の川の写真を見ると、夜空に白いヴェールがかかったように見えます。
でも写真を拡大すると、それは星(太陽と同じ恒星)の集まりであることがわかります。
さらに、それら星と星の間の黒い部分を拡大すると、なんと、そこにはさらにまた小さな星があることに気が付くと思います。
その小さな星の間をさらに拡大し、延々と同じことを繰り返して拡大していくと、エンドレスに星が出てくる「はず」です。
まさに星の数だけ文明がある(可能性がある)のですから、いかに地球が小さな存在かということです。

 

それを考えれば、自分自身の過去の失敗、うまくいかなかった人生なんて、あまりに小さすぎて、どうでもよくなってくるのです。苦笑

今自分が思うように生きていれば、それでいいと思いませんか?

成功した人と比較することや、他人の言葉や評価なんて、どうでもよくなってきませんか。

 

現実の重さに押しつぶされそうになった時に、このことを考えると、良い意味で開き直ることができて、生きることがすっと楽になるのです。

成功と失敗は宇宙的視点で見れば、ただの「誤差」にすぎないということです。

ワンネスという考え方

よくスピリチュアル、精神世界界隈ではワンネスという言葉を使います。

全ては一つであるという考え方です。

 

科学的にいえば、ビッグバンということなのかもしれません。

もともとは「無」だった、もしくは、一つだったところから派生して星々が生まれ、そこに原初の人間、アダムとイブ的な人間が生まれ、その派生、子孫が僕たちである。

 

さらにその考え方を非物質的視点にまで昇華させると、すべてのものが深層の意識でつながっているんだという考えに繋がります。

意識はそもそも一つであり、決して分裂しないもの。

現在、個の意識だと思いこんでるものは、実は唯一の全体意識のただの一側面にすぎないという考え方です。

 

そう考えると、僕の個としての人生も、実は大きな意識の人生の一つであるということになります。

そして、大きな意識の側から見れば、各々の個の意識・人生は、全て自らの意識・人生であるという感覚なのです。

 

この考え方だと、他人の成功をうらやむということがなくなります。

なぜなら、他人の成功は、自分の成功でもあるからです。

他人がやってることは、その人に任せて、自分は自分で好きなようにやればいいじゃないか。

そう思えてきたりもしますね。

 

今回の物語は、ここに自分なりのアイデアを加えまして、世界のすべての人間の人生は、一人の人間が毎度転生して作り上げたものだという設定としました。

そう考えれば、他人の成功は、自分が別のパターンで転生した時の人生であるということになりますよね。

だから、今の自分の人生は「夢破れた結果」だとしても、実は別の人生では大成功していたこともあった。

かつ、大成功した人生が必ずしも楽しいわけじゃない。

平凡な人生の中のワンシーン、つらい人生の中のオアシス的な経験こそが価値あるものとして自分の中に保存されている場合もあるでしょう。

だからこそ、今の人生を呪う必要はないんだよ!  ということなんです。

 

その考え方の背景には当然タイムパラドクスが発生するので、なんだか支離滅裂なようにも感じると思います。

でも、支離滅裂なフィクションの世界として書き上げたものであるとはいえ、可能性としては在りうるんじゃないかと後になって感じたんですよね……。

ま、地球上に存在した人間、そして今存在する人間の人生を全部体験するなんて、ぜったい飽きるでしょうけどね~。苦笑