前世や生まれ変わりはあるの?科学的に検証!

今日もまたスピリチュアルです。

前回、前世の話を書きましたが、かなり唐突だったですよねー。苦笑

 

なので、解説記事というか、「そもそも前世はあるのか?」的な記事があった方がいいかなと思いまして。。。

ま、そもそも、こういうスピリチュアルやオカルト系の話に興味ない人は最初っから受け付けないのは百も承知でして。

なので、少し科学的な事象から紹介して、それからその存在を考えてみようかなって思いました。

 

前世の記憶があり、かつ検証済みの事例がある

まずは、前世が本当にあるのかというところから書きたいと思います。

過去には色んなTV番組で「前世の記憶」を持つ子供などのエピソードが紹介されています。

こちらは、世界仰天ニュースです。

 

 

そして、こちらは、奇跡体験アンビリーバボーです。

どちらも、かなり面白くて、ついつい見入ってしまいます。

 

このように、世界各地で前世の記憶がある人が報告されているのです。

本だって出てます。

ていうか、実際、本人が過去の前世の記憶を詳細に話しており、

さらに、それが実在するのですから、

もはや否定のしようがないと、僕なんかは思うわけです。。。

 

もちろん「いや、嘘ばっかりだ、こんなのTVの作り話だ!」

って一蹴してしまう人もいると思います。

でも、もったいないと思うんです。

そういうスタンスが、ある意味で科学の進歩を遅らせているんじゃないかって思うのです。

だって、「実際にある」のですからねえ。

 

ボクの知り合いの興味深い話

じつは、僕の知り合いで、非常に興味深い経験をした人がいます。

それは、ある日突然、人が変わってしまったという人のお話です。

 

本人に了解を取ってないので、話をボカしてお話しします。

 

その人は、若い頃、ある業界の職人をやっていました。

その業界は、アナログな世界で、ある種、芸術の世界といっても良いかもしれません。

その方は勉強のため海外に留学もされたそうです。

 

ところが、ある時、「脳」の病気になってしまったそうです。

そして、大手術が行われ、手術は成功しました。

 

不思議なことは手術後に起こったそうです。

 

どうも思考回路が変わってしまったようで、

今までアナログな感性の世界に生きていたのに、

思考回路が、まったく正反対のロジカル思考に変わってしまったそうです。

どうにも頭がさえて仕方なかったそうです。苦笑

 

結局、仕事もアナログな世界からデジタルの世界に転職したそうで、

今では、その業界で大成功されて悠々自適に生活されています。

 

このように、脳になんらかの刺激、または薬などの化学物質を与えると、

予期せぬことが起こるんだなというところまでは想像できますね。

 

DNAの記憶があるのでは?

他にも調べるといろいろな事例があります。

なんと輸血で性格が変わってしまったという事例です。

youtubeに動画が無かったんですが、これも過去にアンビリバボーなどのTVで見た記憶があります。

 

具体的には手術の際に輸血した際に、その血の持ち主の性格が、コピーされてしまったという話です。

何故そんなことが起こったのか理由はわかりません。

でも、実際にそういうことが起こったという事実は揺るぎませんからね。

何故なのか考えてみる価値はあると思うのです。

 

僕が思うに、DNAの記憶ではないのかなって思うのです。

人の記憶って、どこにあるかわかりますか?

脳にあるってことになっていると思いますが、脳のどこに、こんな事細かに、事象を記憶されているんでしょうね?

ものすごい記憶装置ですよね。

 

でもぼくは、「脳だけに記憶が記録されているのではない」と思っています。

記憶は細胞レベルでも持っているのではないかと思うのです。

DNAのレベルで。

 

輸血をすれば当然、血液の細胞から他人のDNAも入ってくるわけですから、十分に記憶が移動する理由になりますね。

前出の僕の知り合いの方も、輸血をされましたから、もしかしたら輸血によるDNAレベルの記憶の移動が起こったのかもしれないのです。

 

水分が認知症に有効であるという現象

もう一つの可能性は、「水」です。

以前にTVで「認知症の人に水分が有効である」という話を見ました。

布施博さんだったか誰かの母が水分補給をマメにすることで認知症が改善したという話。

 

あのVTRは衝撃でした。

急いで実家の母に、認知症の親戚に、なるべく水分を取るように伝えてと電話したくらいです。笑

 

ここでふと思ったのは、水は記憶と何の関係があるのだろうということです。

水分によって、記憶が定着しやすくなったり、記憶を引き出しやすくなるのでしょうか?

 

色々調べると、ワシントン大学の生物工学科のジェラルド・ポラック博士という先生が、

水に秩序だった情報を持たせることが可能であるという研究発表をしたそうです。

つまり、水が記憶の媒体となる可能性があるわけです。

 

もしも、それが事実だとすると、今までの話が一気に解明できるような気がします。

つまり前世の記憶は「水が媒体ではないか」ということです。

水と言っても、それは輸血の時の血液中の水分かもしれませんし、

髪の毛や人の一部だったものが風でとんだり水に紛れて川や海などから拡散したかもしれませんし。

 

誰のものともわからない水に混ざった記憶が、ある日突然やってくるということは、可能性として否定できないのです。

 

もちろん、あくまで、水が記録媒体になるとすればの話ですよ。

でも、他に合理的な仮説がないので、僕は今のところ、前世の記憶は水の記憶だと思っています。

 

生まれ変わりはあるのか?

前世の記憶は、「水」の記憶ということになっても、

生まれ変わりを肯定できたことにはなりません。

なぜなら、水の記憶が世界をさまよっているだけで、「人間そのものは死んだら終わりではないか?」という疑問に答えてないからです。

 

 

でも、それだとロマンが無いですよね。

って今回は科学的にって話ですから、ロマンとかそういう問題ではないんでしょうけど。苦笑

ま、でも、僕の中のロマンというか、心の中では生まれ変わりはあると確信してるんですよね。

 

というわけで、これから書く話は、前回の前世の話のように、物語=フィクションとして読んでください。

以下、生まれ変わりもあるんですよって話です。

 

原爆が落ちたのか?

これは原発の近くでしょうか。

それとも、原子爆弾が落とされたのでしょうか。

僕は原野に倒れています。

 

放射能の影響で表皮が死んで、まるで焼けただれたようになっています。

僕は日に日に肌がボロボロになっていき、そして、溶けるように死んでいくのでしょうか。

 

脳が見えます。

グロいです。苦笑

 

表面的には脳が外へ飛び出しているように見えます。

どうやら僕の弟も同じように死んだようです。

 

いや、もう死んでいるのでしょう。

驚いたことに死ぬまでも、そして死んでからも明確な意識があるのです。

 

しかし、見えている自分の体はボロボロで風化していきます。

もう死んでいるのに、自分がバラバラになって溶けてなくなってしまう恐怖がそこにあります。

 

怖い、死ぬ、どうしよう、皮膚が無い、目が無い、体がボロボロだ・・・。

 

亡き父?が現れた

その時、自分の体をかきあつめる人が現れました。

自分のかけら、それは目であったり体の一部です。

しつこいようですが、グロいです・・・。

 

しかし隣で静かに

「大丈夫だよ、おまえの体の一部は集めたよ、元に戻ったよ」

と言わんばかりに寄り添う暖かい人物がいます。

それは、身内のようですれば。

うーん、どうやら、先に亡くなったお父さんのようです。

 

「お父さんが来てくれた」と安心したとたん、心がふわっと温かくなります。

お父さんの言う通り、体は元に戻っています。

暖かいものに包まれた気がしたその時、体がふわっと浮き上がります。

 

「さあ、次の場所へ行こう」という声が聞こえたような気がしましたが、その瞬間、空にのぼって行ったのです。

さっきまで隣にいた「お父さん」は、なぜか、もういません。

自分一人で飛んでいるのです。

とても気持ちよく空を飛んでいます。

 

あの世で時間に追われる?

「さあもう時間が無い。」

という声が聞こえたような気がしました。

 

空を飛んでいたかと思ったら景色はふっと変わり、美術館のような場所にたどり着きました。

「はやく次の人生を選べ」

そうそう、早く選ばなければならないんだ!

前からそう思っていて、今、それを思い出したのです。

 

急に慌てた気持ちになりましたから、気持ちは不快になります。

次の人生を選ばなければならないといけない不快感。

 

そこでふと疑問が押し寄せます。

「でもなぜこんなに急がせるんだ。」

「いつもそうだ。」

 

美術館の絵は一人の人生に相当

美術館の壁には、いろんな絵が並んでいました。

絵は、なんと、人ひとりの人生を表しています。

 

しかも、絵の中の人生はだいたい運命が決まっているようです。

不思議ですね、まだ生まれていない未来の人なのに運命は決まっているんです。

 

その時、1枚の絵が気になりました。

この人は、どんな人生なんだ?

 

「愛知大!?」

なんだよ、大学まで決まっているのか?笑

愛知大って、あの大学のか? 苦笑

(注意:ぼくは愛知大出身ではありません。苦笑)

 

絵を見れば見るほど、「愛知」という文字がたくさん浮かんできました。

愛知と言う場所で生きるのだろうと思いました。

 

生まれるのをやめたらどうなる?

まあ、いいか、なんだか見慣れた感じがするし、ここに行こう。

 

そうと決まれば簡単です。

あとは絵に飛び込めばいいのです。

そして「えいや!」と飛び込みました。

 

しかし、不満が残ります。

なぜこんなに急がせるのだろう、急ぐ意味はない。

急がずにもう少したくさんの絵(人生)を見て周りたいんだ。

いつもそう思っていて、あっというまに飛び込んじゃうんだ。

 

ていうか、すでに絵に飛び込んでいます。笑

細い長い周りが布のようなものでできた黄色いトンネルが続きます。

 

そのトンネルを潜り抜ければ、次の人生が待っています。

いや、待て待て、やめよう!

まだ戻れるはずだ!

試してみよう、キャンセル!キャンセル!やめだ!やめ!えい!

 

気が付くと美術館にいました。

よしよし、できたじゃないか。

最初からこうすればよかったんだ。

ゆっくり選ぼう。。。

 

***

 

もしかしたら、こういうケースが「水子の霊」などと称して仏壇に祭られるのかもしれません。。。

あ、ちなみに僕には生まれてこなかった弟が二人います。。。

 

というわけで、次回は僕の前世の話パート2「渡世人」編をお送りします。笑

 

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