自分の前世を知る方法と前世の数について

ここ最近、たまたま仕事の納期が4つも重なってしまいまして、

なかなかブログを書けておりません。

11月くらいになれば落ち着きそうなんですけどねえー。苦笑

 

ブログ3周年を迎えまして「書きたい!」と思う時だけ書こうと決意しましたし、

無理してブログを書く必要もないしー・・・、

と、少々気が抜けてる感もありますけどね。苦笑

 

ところがですね、今日は朝起きた瞬間に、

ブログの内容が「塊(カタマリ)」となって頭に浮かんだので、

久しぶりに書くことにしました。

 

といっても都市伝説モノで恐縮です。苦笑

 

過去に前世の話をいろいろと書いてきましたが、

今日は前世からのトラウマの話の「パート2」です。

とくに僕の場合、なぜか知らないけど子供時代から、

「人(集団)が嫌い・避けろ!」というマインドが刷り込まれているのです。

 

今回は、今まで書いた前世の話をおさらいしつつ、

人が嫌いになった謎を解いてみたいと思います。

 

自分の前世を知る方法

以前に前世の話をいくつか書きました。

とくに前世からのトラウマについては以下をお読みください。

ちなみに、これらの前世の話はどのようにして知ったのか?

まずそこが気になる人もいるかもしれません。

 

最初に言っておきますが、僕は世の中の霊能者や超能力者のように、

自分の好きな時にオンデマンドに特殊能力を発揮できる人ではありません。

 

でも僕の周りにはなぜか昔から霊とかオーラとか、

そういものが見えてしまう人、友達がおりまして、

そこから自分についての前世の断片を聞いたりすることがあったのです。

 

ていうか、振り返ると僕の歴史の要所要所にそういう人がポツリポツリと存在して、

その時々で、なんらかのアドバイスをくれてる感があります。

 

例えば最近では、(僕のITの仕事の)クライアント先に打ち合わせに行ったら、

偶然そういう世界が「見える人」がいた、なんてこともありましたね。

なんでそういう人とちょいちょい会うんでしょうね僕は。。。苦笑

ま、その話はまた今度書きましょう。

自分の感性や夜に見る夢を活用する

でも実は、「見える人」たちの能力も「完璧」ではなくて間違う時も多々あります。

もちろん試すような失礼なことをしたわけではないですけどもね。

「自信満々で言ってるけど、それは事実と違うよなあ…。」

ってことも過去に多々あったのです。

 

なので、僕は決して「見える人」の話を妄信することなく、

最終的には自分の感性と照らし合わせています。

「自分の感性」とは、素直に自分がどう感じるかという意味です。

感情の質はともかく、感情が動くかどうかで正確性を判別しています。

 

「ふーん、あっそぅ。」程度、なにも感情の動きがない場合はやりすごし、

どこか悲しい、嬉しい、重い、怖い、好きだ、嫌いだ、

など感情が瞬時に湧き出たら「何かある」という証拠であるとみなします。

瞬時であることが重要です。

 

そして、夜に見る夢とも照合します。

というのも僕の見る夢の世界は不思議なことが多くて、

未来を予知する夢もあれば、前世のワンシーンを示す夢もあります。

なぜ「前世のワンシーン」かと感じるかといえば、

既視感(デジャビュー)だったり、懐かしさだったり、

現世にはない独特な感情がそこにあるからです。

 

もちろん、その感情だけだと自分の勝手な思い込みかもしれませんが、

「見える人」から指摘された前世の話と同じ(似た)夢を見た時には、

やはり僕の前世なのだろうと結論付けています。

余談ですが、、、

夢で見た時のインスピレーションがブログネタになることもあり、

過去のブログを振り返ってみると、

なるほどぉ、あの時にこんなブログを書いたのは、

今のこんな社会事情(や自分の状況)があるからだな?

とか、後から納得することもあったりします。

 

なので、皆さんも夜に見る夢や直感を無駄にせず、

実際の生活に生かしてみることをお勧めします。

僕みたいに理屈っぽくない人だったら、

もっとナチュラルに活用できるかもしれません。苦笑

 

人間嫌いな性格は前世からのトラウマ

さて、僕が「人間嫌い」なのはどこから来たのか?

振り返れば子供時代から活発でなく、

友達の輪に入るのも苦手で、

何をするにでも誰かに誘われたり、

親や先生から促されたりするのを待ってる子供でした。

 

保育園に行っても泣きわめいて暴れてしまい手に負えなかったらしく、

結局、僕は5歳の1年間だけ保育園に通うのでした。

(当時の記憶からすると、その1年でさえ苦痛でしたが…。)

 

でも、なぜそこまで嫌だったのでしょう?笑

 

それは前世を知ることで理解ができました。

僕の前世で建築家であり地方の指導者だったときに、

土木(河川?)工事のミスで大事故を起こしてしまったのです。

幼い頃は深層心理の恐怖が大きく現れるのかもしれません。

なんだかわからないけど、世界が終ってしまうような、

とんでもない大事件を僕は一瞬でやらかしてしまった

という夢を小学生くらいまで、とても頻繁に繰り返し見ました。

 

当時、それまで指導者として尊敬されていた自分が、

一度の大きな失敗で一斉に大勢の人たちから恨まれ責められた時の前世の記憶が、

今の自分を「集団嫌い」にさせていたのです。

 

それがため、大勢の中にいると周りが全員「敵」に見えたりするのでしょう。

結局、自分に好意のある人が出てくるのを隠れて待ち、

その人についていく方が安全だという思いが、

幼い頃からあるのかもしれません。

 

自分が同時に複数存在する?同時並行する前世?

少し話がそれますが、、、

スピリチュアル業界では一般に人の前世というのは数えきれないほど存在すると言われています。

過去生が1つや2つという人を見つけるのは至難の業という話もあるほど、

今生きてる人は誰もが過去に多くの人生を生きてきているのです。」

 

実際、ブログに書いたのは僕の前世のうちの4~5程度ですが、

本当は100以上あるだろうと思っています。

 

その膨大な数の前世の中で、今回、気になる僕の前世が、

恐らくイギリス(アメリカ?)での女性だった頃の前世です。

 

自分の意志を貫くタイプの女性で、工場で働いていたようです。

音楽が好きで、おしゃれな家に住んでいる女性だったようです。

あ、そうそう、家のイメージ的には僕の1軒目の家に似てます。笑

アーリーアメリカン風な感じです。

でも、1つ気になるのは、

その前世は、僕の他の前世(や現代)と時代が重複してるんじゃないの?

と思うくらい印象が近代っぽいことです。

 

もしかしたら、自分という存在は1つではなく、

同時に複数存在するのではないかという疑念さえ浮かびます。

 

そのうちブログに書く予定ですが、

ヘミシングで有名なロバートモンローも、

同時代の複数人格について言及していますし、

きっとそういうこともあるのだろうと思います。

男性への反感と嫌悪感

イギリス女性の自分は、自己主張をはっきりする性格でしたが、

もしかしたら、欧米の人は本来そういう性格なのかもしれません。

間違ったことは間違っていると言うし、

人としてやってはいけないことはNO!と言える人でした。

 

でも、世の中はいつの時代も不正が蔓延しており、

勤務先の工場でも(お金?にまつわる)不正が横行しており、

正義を主張すれば上司・同僚からやっかまれ、イジメを受けるのでした。

 

当時の自分はイジメを受けてきたようです。

(何の工場かわからないのですが)自分が途中まで作ったものを翌日に勝手に処分されたり、

自分の持ち場(ライン?)を誰の許可もなく奪われたり、

小さい陰湿なイジメがあったようです。

 

もしかしたら女性に対する差別もあったのかもしれません。

なぜなら、イジメてくるのは同僚の「男」だったからです。

 

不正や不公平を正すための主張はするけど、

女性であるがゆえに組織内で「下」にみられて、

結果的になにも自分の力で改善できず歯がゆい・・・、

というような印象をすごく感じるのです。

 

(現代の)僕は恋愛感情を持つようになった年齢から女性への不審があるのですが、

これは、前世で女性だった頃の男性不審の裏返しとも言えます。

その辺の話は下記のブログに書いております。

恋愛という問題以前に、女性の立場から見た「男性にはかなわない」という無力感が、

根強く深層心理に残っている印象もあります。

世の中への無力感

イギリス(アメリカ?)の工場の話に戻ります。

 

工場にはもう一人、嫌な男がいて工場の責任者だと思うのですが、

ブツブツとニキビ跡の穴が開いたモアイのような顔のとても体格の良い大男がいました。

ある時、その男に後ろから羽交い絞めにされている自分がいました。

きっと職場の「不正」に頭が来て工場内で暴れたのかもしれません。苦笑

 

そのモアイが実質的に工場のすべてを牛耳っていたのです。

つまり、この男がいるために職場環境は永久によくならないのです。

 

その一方で仲の良い同僚がいて不正を正そうとする自分を気遣ってくれるのですが、

ただ一緒に愚痴を言うだけで、一緒に環境を変えようとまではいきません。

 

ちなみにモアイ工場長の上には経営者の高齢男性がいるのですが、

たまに現場に来ては嫌味を言うだけでモアイに任せっきり、

やっぱり職場環境は改善しないのでした。

 

この絶望的な無力感ともいえる感覚は、現代の自分にも度々訪れます。

学生時代に先生がヤンキーに負けてペコペコしてる様子、

自分たちの利益のためだけに動く与党・野党の政治家のニュースなど、

何にも改善しない社会に対する無力感です。

 

結局、工場の末端で働く自分たちは休みの日に音楽に触れるのが唯一の楽しみ、

という感じの生活だったようです。

あ、そう言えば、僕がBSBやOneDirectionなどの「洋楽アイドル」系のメロディ・曲調に惹かれるのは、

その頃の前世の記憶のせいかもしれません!笑

恐怖の工場

さらに僕には工場に対する恐怖というものがありました。

幼い頃、父親の飲み友達に紡績工場の社長がいまして、

紡績工場の中へ何度も親に連れていかれました。

 

紡績工場の中は機織りの機械が終始動いており、

幼い自分は親に抱っこされながら工場に入るのですが、

機織機が激しく大音響を立ててガッシャガッシャと動いている様子が異常に怖くて、

泣いてわめいて親を困らせたものです。

 

正直なところ、あの機械の音は今でも理由のわからない無条件の恐怖感があります。

だからなのか工場には昔から良い印象がないのです。

 

僕の故郷は某大手自動車メーカーの(まさに)おひざ元で、

友達や親せきにも工場勤務の人がたくさんいて、

地域的に工場勤務はとても安定した仕事という認識の人が多い中、

自分だけは「工場は怖いし無法地帯だ」という印象がぬぐえなかったのです。苦笑

 

前世とは他人の記憶なのか?

前世というのは実在するかどうかはわかりませんし、

誰にも証明できませんが、その記憶を持つという人は存在します。

しかし、それは単なる記憶であり、

実際に自分が過去に生きた経験なのかどうかはわかりません。

 

もしかしたら、その記憶は脳じゃなくてどこかの領域に保存されていて、

それが自分の脳へ伝達または受信されてきただけかもしれません。

媒体は水かもしれないし空気かもしれないし、それ以外の何かかもしれません。

 

パソコンを例に考えてみればわかりやすいですが、

ネットワーク上のNAS、共有HDDのようなものがどこかにあり、

もしかしたら他人のデータを見ている可能性もあるのです。

 

極端な話、映画を見て「これは自分の人生だ」と誤認するようなイメージです。

 

でも、もしもそうだとすれば、

「多くの人の前世は100、200の人生、いや無数と思えるほど存在する」という、

前世研究家(?)の見解も説明できそうです。

もしかしたら、この記憶の共有が輪廻転生のからくりなのかもしれません。

前世を考えると「人生とは何か?」を考えざるを得ない

しかし、他人の記憶といえども、

その他人が保存した記憶(データ)に自分がアクセスできて、

それを感情的・感覚的に断片的でも味わうことができて、

さらに深層心理で幼い頃から影響を受けているということは事実であるので、

それを考えれば他人の記憶と自分の記憶を区別する意味はありません。

 

個人的に、今、実際に感じられる感覚という事実に着目すれば、

「前世があるかどうか」という議論は若干バカバカしくも思えるし、

それよりもこの自分の感覚の謎を解いてみたいという欲求の方が上回ります。

 

実際、前世からのトラウマ(苦難)は現世においても繰り返し訪れます。

これ(カルマ)を克服するのが現生の課題であるというのは、

インドや仏教の高僧であったり、

いわゆるスピリチュアル系のマスターのような人たちが、

口をそろえて言ってる内容でもあります。

 

であれば、むしろ、そこ(カルマの謎)を解明する方が実利的だと思うのです。

誰しもが楽しい人生を送りたいわけですからね。

 

でも、課題ってなんだよ?なんで課題を解くために人生を送ってるんだ?

苦難が必要?バカバカしい、課題など気にせず自由にやらせろよ!

とも思うわけでして、その辺はなかなか自分の中でもスッキリしない部分でもあります。

 

いわゆる「人生の目的」「何のために生きてるか?」ってやつですね。

結局はそこで煮詰まって答えが出ないまま終わるのです。

 

でも、その辺を割とうまく論理的にまとめたのがヘミシンクのロバートモンロー氏なのですが、

次回こそはモンロー氏の話を書こうと思います。苦笑

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