【日月神示】毎年の旧暦9月8日は滅亡の日

毎年9月、10月になるとザワつくスピ業界。

というのも「人類滅亡の周期」というものがありまして。

毎年「秋」は人類が滅亡しやすいらしいのです。

 

「なんそれ!?」

 

という皆様のために、解説しましょう。笑

 

それはキリスト教など各種宗教でおなじみの終末思想からはじまります。

人類を破滅に導く悪人たちを神が滅ぼし、天国のような世界を作って善人だけを住まわせるという思想。

いつの時代も、いまに世界は滅亡し、天国のような世界がやってくる、と世界の人々は信じていました。

 

でも、ぜんぜんやってこない。

 

「そのうち来るさ。神様は見てるんだ」

 

しかし、かれこれ2000年待ってもやってこない。

マスターは子羊たちを諭します。

 

「皆の者よ!

天国は向こうからやってこないのじゃ!

それは皆の者たちの心の中に既にあるのじゃ!」

 

「 はぁー? ごまかすな~! もう待てるか~!」

 

こうして過去2000年の間、多くの人々が「天国がやってくる」という期待に胸を膨らませながらも叶えられずに死んでいきました。

なんと悲しい話ではありませんか。笑

 

やはり日付指定の予言は当たらないのか?

そしてこの数十年、スピ業界の人たちは頑張りました。

 

「これじゃいかん!

予言はもっと親切に、日付を入れてあげようじゃないか!」

 

1999年7月のノストラダムスから始まり、2012年12月のマヤ暦と続く人類滅亡ラッシュ。

今度こそは人類滅亡、そしてそして、ついに天国のような世界がやってくる!!

ンションプリーズ!!

そう信じた人も多かったはず!

 

がっ!!

 

「おい。

世界、滅びねえじゃん!」

 

 

「ちょっと待て! 宇宙の人が人類を助けてくれるんだよね!?」

「宇宙連合は我らを見放したか? UFOは来ないのかよ?」

 

 

1999年からのあの大いなる盛り上がりは何だったのか……。

そう思った人も多いことでしょう。笑

 

そして、

 

「あっそう、もういいよ、予言なんて信じないもん!」

 

という声をうけて、スピ業界の皆様が発明したのが、マヤ暦計算間違い説

ブログにも書きましたが、実は人類滅亡は2020年だった説の登場!笑

 

 

……、悲しくも時は何事もなく過ぎさりまして、再び落胆の声にあふれるスピの民。笑

いや、落胆というよりも、もはや、開き直りの声でした。

 

「所詮、予言はエンタメさ。楽しませてもらったよ。

次の予言も期待せずに待つよ。

予言とは、そういうものなんだよ。」

 

そのユルい期待感に沿うように次の滅亡Xデーは2030年代と遠い未来。

2032年、2036年、2038年、などなど。

ずいぶんと先の話になっております……。

ここまでくると「言ったもん勝ち」感さえ出ております。苦笑

 

がっ!!

 

ちょっと待った!

実は2025年だよ!

 

と、ダークホース的に表れたのが以前ブログにも書きました、たつき諒氏です。

たつき諒氏はその著書の中で2025年7月の大災害以降に平和な世の中が訪れると書いております。

ついに日本も天国のような国になるのか、と思いつつも……、

 

「お、お、思ったより早いざます!」

「あと3年? にわかに信じがたいでござる!」

 

2030年代人類滅亡説の間を埋める予言として、スピ業界では注目されているのも事実。

でも日付が近すぎて逆にどうなの?って声もあるようです。

 

と、このようにスピ業界の努力によって次から次へと現れる予言ですが、日付指定には懐疑的な人も多いです。

 

「やっぱりピンポイント予言は当たらないよね」

「そもそも日付指定で当てるの難しいよね。」

 

たしかに日付指定の予言は人類の集合意識に変化を与えるから当たらないっていいますね。

 

と、なりますと、やっぱり予言は曖昧模糊で幅広解釈できたほうがいいのかな?

とも思います。

滅亡は忘れた頃にやってくる理論です。苦笑

 

「いや!

予言は予定!

仕組まれているんだよ!」

 

という声から生まれたのが、スピ業界の皆様に昔から根強い人気(?)の毎月11日の滅亡の日。

なぜか大事件や大災害は11日に意図的に起こされるという陰謀論から生まれた予言です。

最近では、22日などのゾロ目も怪しいという拡大解釈も出ておりまして、ファン層を広げております。笑

 

「この程度の根拠のなさ、テキトー感がエンタメとしての予言としてはちょうど良いのさ!」

 

でも、ちょっとスッキリしませんよね。

 

 

そして再び日月神示に戻ってくる

案の定……、

 

「いや、さすがに毎月11日は無理があるだろ!」

「毎月11日に騒ぐやつ、いいかげんにしろ!」

「せめて年1回だ、ヤマザキ春のパン祭りも年イチだ!」

 

という声もちらほら。

そこで冷静な人たちは、戦前の昔から存在する予言書、再び日月神示に目を付けたのです。

なぜなら、日月神示には(西暦がいつかはわからないけど)9月がXデーであると書かれているからです。

 

「うん、年に一回9月だけなら、もしかして、ちょっと、ありそうだよね」

「まあ、年に一回なら、騒いでもよし」

 

やっぱり、ここへ戻ってくるんですよね、日月神示は最強の予言書のひとつですから。

このブログでも何度か紹介しております。

 

 

日月神示を読むとわかるのですが、確かに、やたらと旧暦9月8日について触れています。

かなり何カ所か出てくるので、一部だけ引用します。

 

旧九月八日とどめぞ。

旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。残る心 獣ぞ。神とならば、食ふ事も着る事も住む家も心配なくなるぞ。

旧九月八日までに何もかも始末しておけよ。心引かれる事 残しておくと、詰らん事で詰らん事になるぞ。

世界の愈々のメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の九の仕組 近付いたぞ。

 

これを普通に素直に読む限り、旧暦の9月8日になにかが起こると読めます。

旧暦の9月8までに「獣の心を捨てろ」とも読めます。

 

ちなみに、旧暦の9月8日とはいつか?

旧暦と現代の暦は1カ月の周期が異なるため、毎年微妙に対応する日付が変わります。

例えば、今年2022年の旧暦9月8日は、2022年10月3日です。

さあ、この10月3日に何が起こるのでしょうか!?

 

トドメノフミの「午の秋」

ここで僕が思い出したのはトドメノフミです。

これも以前にブログにも書きましたね。

 

トドメノフミは日月神示と同じ系列の予言書です。

が、ここにはこんなことが書かれております。

 

改心いたすは午の秋、ここまでなりぞと申すぞよ。午の秋ぞと申すぞよ。
未が出たなら皮を剥むき敷しき物もの変えると申すぞよ。
秋にはあちらとこちらでは隔へだての併へいぞ現われて、隔ての線ぞ現われて、目には見えねど現われて、ヘイ、あきまセンとはこの事ぞ
ギリギリ午の秋までと申して来たるその日まで、改心いたしてくだしゃんせ。

 

秋に何か起こると読めますよね。

バシャールの列車の話のように、改心した人と、そうでない人とで隔てられ、異なる未来が待っていると読めます。

つまり、パラレルワールド化する未来を警告しています。

 

日月神示の旧暦9月は現代の10月、と言えば秋ですので、トドメノフミと季節的に符合しているように思えます。

つまり、やっぱり何かが起こるのは「秋」つまり「9月、10月」であると言えるのです!

 

午の秋は2026年か、2038年か?

でも、トドメノフミによれば、秋は秋でも「午の秋」とも書かれています。

午というのは恐らく「干支」を指しますから、次の午年は2026年、その次は、2038年……?

えっ、2026年!?

とすれば、たつき諒氏の2025年説と符合しますよね。

これが本命かもしれませんね!?

 

いや、トドメノフミは以下の通り「辛酉(かのととり)」をほのめかす一節があります。

 

午年、青菜跳ね上がり未に米は当りだす、それが合図の時なりと明けのからすが鳴いたれば辛酉(かのととり)まであとわずか、飛んで火に入る夏虫とミロクの民は真っ二つ、きっちり、すっきり立分れ、彼岸の岸ぞ舟が行く。

 

よって、トドメノフミの午の秋は、辛酉の年(2041年)に最も近い2038年の「午」年だと個人的には思うんですよね。

とすると、やっぱり15年以上も先、随分と未来の旧暦9月8日がXデーということになってしまいますよね……。

 

いな(否)っ!

 

「天高く馬肥ゆる秋」という言葉もありますから、「午」にはさほど意味がない、という解釈もできるはずです!

秋と言えば馬ですから、つまり、「午=馬」は単なる秋の枕詞(まくらことば)に過ぎないかもしれないのです。

とすれば、やっぱり毎年の旧暦9月8日、つまり10月は何か起こるかもしれないと警戒しておいた方が良いと思うのです。

 

旧暦9月8日パラレルワールド説

え?

ちょっと理論的に苦しい?

ま、確かに「毎年9月、10月に注意するってのも、変な話だよね」って思う人も多いでしょう。

考え方としては「毎月11日人類滅亡説」と同じ発想ですからね。

 

「やっぱり特定の年の旧暦9月8日が存在するんじゃね?」

「その年を特定しないと意味がないんじゃね?」

 

そう思う人がいても不思議ではありません。

 

がっ!!

 

日月神示では、この旧暦9月8日は「何度もある」と書いてあるのです!

ということはつまり、毎年注意しろ、というようにも読めないこともないのです。

それが次の一節です。

 

辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。

 

まず「せんぐりに出てくる」のフレーズですが、「せんぐり」ってのは「続けて」「続々と」「際限なく」の意味です。

そして、「9、10月8日、18日は幾らでもある」とも書かれてます。

「いくらでもある」ってのは「暦的にいくらでもある」って意味でしょうから、「毎年あるよ」って意味にとれるのです。

つまり、日月神示の予言通りのことが、毎年旧暦9月8日ごろに出てきて、それが毎年際限なく出続けるというふうにも読めるのです。

 

分かりやすく言うと、毎年旧暦9月8日を境に試練の段階が上がっていき、年々試練が増えていくイメージですね。

 

であれば、毎年旧暦9月8日ごろには注意せよというのは理屈が通ります。

さらに次の一節を読んでみてください。

 

旧九月八日で一切りぢゃ、これで一(はじめ)の御用は済みたぞ、八分通りは落第ぢゃぞ、次の御用 改めて致さすから、今度は落第せん様 心得なされよ

 

旧暦9月8日で、国民の8割が落第したと書かれており、落第した人は次のチャンスがあるかのように書かれていますよね。

ということは、また来年、チャレンジしてくださいとも読めますね。

とすればやはり、毎年の秋、とくに旧暦9月8日ごろは、天国に行けるかどうかの審判の日とも言えますよね。

 

アセンション個別に起こる説

僕は個人的には終末思想、アセンションというものは個人ごとに起こるという説をとっています。

各個人が死を迎える時が審判の日であり、再び輪廻の輪に帰るか、次のフェーズに進むかの分かれ道だと思うのです。

その考え方が最も合理的だからだと思うからです。

じゃなきゃ、キリストもブッダも、そして日月神示もみんなウソつきになっちゃいます。苦笑

 

では、アセンションが個人的出来事だとして、人類滅亡の大イベントは今後起こらないのか?

 

いや、確かに、末期的な世の中の雰囲気はありますし、なんらかの大災害や大戦争、カタストロフィが起こることもあるでしょう。

みんなが一緒に大破局に巻き込まれて強制的にアセンションを体験する流れもあるかもしれません。

 

しかし、それが起こったからといっても、人類は完全に滅びないかもしれないのです。

その時、残った人たちは再び、こう思うでしょう。

 

「世界はほとんど終わった。瓦礫の山だ。

でも、我々は生きている。

神はまた我々に生き地獄を味わえと言うのか?」

 

もしもこの人たちが悟った人たちならば、これはさすがにおかしいなと思うのです。

次のステージに旅立ちたいのに、再び無理やり地球の輪廻を体験させるのは、おかしな話です。

そもそも修行を終えて進化した人たちは地球の古い周波数には馴染まないでしょって思うのです。

アセンション既に起こった説

それに、西暦100年、200年とか、もっと早くに悟った人はどうなんだっていう話です。

この2000年間に生きてきた膨大な人たちの中にも、地球人としての修業を終えた人だっているはずです。

 

だからこそ、この2000年間で悟った人たちは既に個別にアセンションを体験しているはずなのです。

そして彼らは恐らく、死んでから気がついたのだと思います。

死は次のステージへの入り口だったと。

アセンションは個別に起こるのだと。

次の我が人生は輪廻の輪を卒業し、新たな宇宙へ旅立つか、または集合意識として地球を見守るか……。

 

もちろん、2000年の間、輪廻の輪を超えられなかった人たちも、たくさんいるはずです。

何度目の人生なのか、わからないほど輪廻を繰り返している人もいるでしょう。

今のこの時代に生きる僕や読者のあなたもそうでしょう。苦笑

 

もちろん、この世界への新参者もいるでしょう。

そんな人たちは、まだこれから多くの体験をするでしょう。

つまり、いろんな段階の人がいるのです。

だからこそアセンションは個別に起こらざるを得ないのです。

 

プーチンが第三次世界大戦を起こすかも?

しかし、それでも人は言うでしょう。

 

「いやいや、だからさあ、アセンションは個別に起こるとか、そういうの期待してないんだよねー。

人類滅亡の日はいつかって聞いてるんだからさー。

その答えを出してよねー。」

 

うーん、ごもっとも。笑

 

「アセンション個別に起こる説」が事実だとすれば、アセンションは気がついた人=悟った人から起こることになります。

でも、現在の世の中は悪くなる一方で、人類は地球さえも破壊しかねないとなれば、そんな悠長なことを言っていたら地球という「気づきの場」さえ無くなってしまいます。苦笑

なので、もうそろそろドカンと人類をまとめて最後の審判にかけるなんてこともあるかもしれません。

 

そして、さらに地球の状態が悪化すればするほど、最後の審判も大々的で内容も非常に激しいものになることでしょう。

実際、コ●ナ禍から始まった世の中の末期的症状は今、ロシア発の第三次世界大戦で佳境を迎えようとしております。

そんな話を以前にブログに書きました。

 

 

もちろん、本当に第三次世界大戦が起こる確率は低いと思いますが、可能性としては高まっている気がします。

しかもつい先日、プーチン氏が予備役の動員に踏み切りました。

 

ウクライナに侵攻するロシアのプーチン政権は、予備役の動員に踏み切りましたが、ロシア国内では動員に抗議する活動が各地で相次いでいます。
政権側は、学生の招集を延期する方針を発表するなど、国内の世論に配慮したとみられる動きもみせています。

ウクライナ軍が反転攻勢を続ける中、ロシアのプーチン大統領は今月21日、予備役を部分的に動員すると表明し、各地で市民が軍に招集されています。

ロシアの独立系のメディアは、優先的な招集の対象ではない高齢者や学生も動員され、国防省が示した30万人という規模を大幅に上回る100万人が動員される可能性があると伝えています。

これに対し、動員に抗議する活動が24日もロシア各地で行われ、ロシアの人権団体は、日本時間の25日午後6時すぎの時点で、少なくとも33の都市で800人余りが拘束されたとしています。

ロシア予備役動員 抗議活動各地で続く 学生など一部招集延期も

 

こりゃ、末期ですよね。

追い詰められたプーチン大統領は、何を起こすかわかりません。

ついに「核」を使うのではないかとも言われてますよね。

先日バイデン大統領が「核とか使うんじゃねえぞ」と釘を刺したようですが、まさかのダチョウ倶楽部的「フリ」かもしれません……。

 

ババ・バンガの「ウラジミールの栄光」予言

ところで皆様は、ブルガリアの著名な予言者「ババ・バンガ氏」をご存知でしょうか。

いたるところで名前が出てきますので、都市伝説ファンの方はご存知のことでしょう。

既に亡くなっておりますが、盲目のおばあちゃん予言者です。

彼女の次の予言を読んでみてください。

 

「すべてのものが、氷が溶けるように消え去るが、ウラジミールの栄光、ロシアの栄光は残る唯一のものである。

ロシアは生き残るだけではなく、世界を支配する」

 

これは1979年の予言らしいです。

ってことは、つまり戦後です。

比較的最近の話っていうか、これから起こるだろう予言です。

 

いまだかつてロシアが世界を支配したことがありますか?

無いですよね。

なので、これから起こる予言なのです……。怖

 

ウラジミールというのは、プーチンではありません。

1979年にプーチンはまだ無名ですからね。

なので、ウラジーミル・レーニンを指すのか、キエフ大公を指すのか、ってところでしょう。

 

でも、この予言を今、改めて読み直せば、ウラジーミルと言えばウラジミール・プーチン以外の何者でもないですよね。

まさにババ・バンガ氏はプーチンの出現を預言したとも言えるのです。

追い詰められたプーチンは、やはり核に出を出すのでしょうか……。

 

沖縄に核爆弾?・・・やりすぎ都市伝説2022秋

そういえば先日放送された「やりすぎ都市伝説 2022秋」でも台湾有事が11月に迫っているなんて話もありました。

そこでは「矢の様な島に 第三の太陽が昇る時 世界は生まれ変わる」なんて予言が出されてましたけど、これ誰の予言ですかね?

関氏の創作っぽいですけども。苦笑

 

まあ誰が言った予言かはこの際どうでも良いのですが、取り急ぎ「矢のような島」は日本列島ではありませんね。

日本列島なら「弓」であるはずですからね。

 

矢のような島ってどこだろう?

地図上を探すと、あ……、もしかして沖縄

なんとなく本島の形が「矢」っぽいですよね。

 

次は「第三の太陽」ですが、これは、もしかして、広島、長崎、に続く三番目の核爆弾の投下をさすのでしょうか?

とすれば、沖縄に核爆弾が落ちるという意味なのでしょうか……。

しかも、その時は「2026年」であるとも関氏が言ってましたね。

 

ん、2026年?

2026年と言えば、トドメノフミの「午の秋」の候補でもありましたね。

 

しかも!

 

前述の「たつき諒氏」の2025年7月の大災害の話も思い出されますね。

非常に日付が近いです。

 

さらに、たつき氏は「南方の海で巨大な大爆発が起こって大津波がもたらされる」という話を書いてますよね。

今まで、この大爆発は海底火山の噴火だと思ってましたが、実は潜水艦に搭載していた核爆弾が海中深くで大爆発を起こすのかもしれません。

 

あー怖い怖い!苦笑

 

個人的アセンションの猶予期間を増やそう!

やはり、この数年の間に何か大きな出来事が起こるのかもしれませんね……。

時期的に2026年あたりなのでしょうか……。

 

「いやだー、痛いのいやだ! 怖いの嫌だ!」

「もっと平和な未来はないのか!?」

 

はい、安心してください、日月神示にはこのように書かれております。

気休めにしかならないかもしれませんが、気の持ちようとしては、こうするしかないよねって思います。苦笑

 

日の大神様は日の御働き、月の大神様は月の御働き、日の大神様も世の末となって来て御神力うすくなりなされてゐるのざぞ、日の大神様も二つ、三つ、自分一人の力では何事もこれからは成就せんぞ、心得なされよ、神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、やらねばならん、戦は碁、将棋、位の戦ですむのぢゃ、人民の心次第、行ひ次第で空まで変ると申してあろがな、この道理よく心得なさりて、神の申すこと判らいでも、無理と思ふ事も貫きて下されよ、これがマコトぢゃ。

 

ここに書かれているように、みんなで世の中が良くなる方向に進むよう考えて実践すれば、もしかしたら何とかなるかもしれません。

戦争など起こさない、大災害が来ても安心なシステム=生活様式を作り出すこと。

しかも無用なストレスを抱えて生きなきゃいけない世の中もちょっとづつ変えていこうという努力。

 

無理だと思っても、一人になっても、信じてコツコツと少しでも何か実践し続ける。

そうすれば、大きな波となり、うねりとなり、そのうち世界の方向性が変わるかもしれません。

心次第で「空まで変わる」と書いてありますしね。

 

そのうちカタストロフィも先延ばしになり、個人的アセンションが達成できる時間的猶予も生まれるんじゃないでしょうか。

つまり、大災害、最後の審判は先送りされ、幸せな人生を全うできるのではないかと思うのです。

 

え?

 

いっそのことドカンと滅亡して、さっさと天国がやってきてほしい?

ま、確かにそう思う時もありますけどもねー。苦笑

 

でも天国に適合する自分を作らなければ、天国が来てもそこに自分はいないってことになっちゃうかもしれません。

だから個人ができることと言えば、結局、修行という名の人生をおくること、しか無いのかもしれません……。

 

いや、案外天国へのパスポートはちょろいかもしれません。

「あ、そんな簡単でいいの!?」

「難しく考えちゃったわー!」

的なものかもしれませんよ。

トドメノフミで言うところの、さらさらと川の流れのように生きるだけOK、みたいな。笑

 

さらりさらりと出たる事、無理なくさらさら出たる事、これこそなりぞと申すぞよ。

無理なく出たるは神の守護、神の仕業しわざと申すぞよ

金神表に出た上は、皆々様のお手引いて安全地帯に引き連れてお連れいたすと申すぞよ。

無理なくさらさら行く方に無理せず歩いて下しゃんせ、無理事やるは逆方向、潰す道筋行く事ぞ

栄えのお道はさらさらと小川の流れと申すぞよ

行路如流水、ご無理なし。

 

ま、これからも探求の日々ですな。

それでは皆様、天国でお会いしましょう!

Twitterでフォローしよう