トドメノフミの予言

さて、毎度おなじみ都市伝説シリーズですが、

TVとかよりもディープでマニアックな都市伝説でスミマセン。苦笑

 

今日はトドメノフミという謎の予言の書のご紹介です。

正式名は存在しないのですが、「トドメノフミ」とか、

または「金神の艮の文」などと紹介されることが多いです。

なぜ正式名が存在しないかというと、

現状でネットにしか存在しない、本当に謎の文書だからです。

 

ちなみにトドメノフミは前回ご紹介した「日月神示」という文献の、

続編的な予言書のようです。

トドメノフミ自体はメジャーな文書ではありませんが、

内容はとても興味深いのでぜひお読みいただければ幸いです。

 

※ 2023年11月追記 → このブログの内容を次の動画にまとめました。

午の秋=2038年と思っていましたが、昨今の2025年予言から2026年がその年ではないかと思い直し動画にした次第です。

 

トドメノフミ(金神の艮の書)とは何か?

さっそくですが「トドメノフミ」とは何でしょうか?

繰り返しになりますが、以前に当ブログで紹介した、

日月神示と同じ系列の予言書と言っても良いでしょう。

 

実は日月神示のような五七調の古文体で書かれた予言書は、

世の中にいくつか出ているのです。

 

元祖は天理教か?

と、その前に少し、おさらいをしておきましょう。

日月神示は上のブログでも解説しましたが、

大本教という神道系の宗教の信者でもある岡本天明氏という霊能者が書いた本です。

 

世の中(スピ業界)では日月神示の方が有名ですが、

実はこれは大本教の経典ではなく、

大本教には大本神諭などの正式な経典が別にあります。

大本神諭は大本教の教祖が書いた本ですが、

日月神示は大本教の信者の書いた本と言っても良いでしょう

実際、日月神示の内容は大本神諭の内容に非常に似ています。

ほぼ同じことを書いている箇所もあったりします。

 

そして実は大本神諭も、とある文献と少しばかり内容が似ていたりします。

もう一度、大本神諭の内容を引用します。

天理、金光、黒住、妙霊、先走り、とどめに艮の金神が現れて、世の立て替えをいたすぞよ。世の立て替えのあるということは、どの神柱にも判りておれど、どうしたら立て替えができるということは、判りておらんぞよ。九分九厘までは知らしてあるが、もう一厘の肝腎のことは判りておらんぞよ

天理教、金光教、黒住教、妙霊教、そして大本教はその一連の流れであるという意味の一文です。

自らこれらの宗教の流れを「受け継いでいる」ということを書いているのです。

 

※ 金神についてはアラハバキもご参照ください

 

実は、天理教に「おふでさき」という経典があるのですが、

実際に読んでみると確かに日月神示・大本神諭と文体も内容も似ているのです。

天理教は大本教よりも古いので、この古語体の五七調の独特な記法は、

ある意味で天理教が元祖ともいえます。

天理教は1838年に成立し、教祖は中山みき氏(女性)です。

上の本の他にも教祖との対話集のような本もありますが、

やはりその内容は大本神諭や日月神示に受け継がれている印象があります。

 

現代の神示一覧

ところで今までの天理教や大本教は、

明治、大正、昭和初期という昔の話でしたが、

実は、似たような文体で似たような内容の本が、

現代もなおポツポツと出版されているのです。

つまり、天理、金光、黒住、妙霊、そして大本に続いて、

現在もまだ続編が出ているのです!

 

トドメノフミもその1つでありまして、

恐らく現代の天理教の信者と思われる「どなたか」が、

書かれたものだろうというところまでは推測できます。

後で詳しく紹介しますが、こちらがトドメノフミの書き出しです。

ついぞ来たれし天の時、天翔(あまかけ)国馳(くにかけ)天を舞い天下に雷鳴轟かせ神の御国と建て替える。
あらゆる教えを混ぜ混ぜて一つの法といたすぞよ。

日月神示のように五七調で古語で書かれています。

 

ちなみに、このような日月神示に似た内容の予言書は、

トドメノフミ以外にもいくつかあるので、

僕が知る限りのものを一覧にしてみました。

 

(1)1838年 天理教「おふでさき」等 各種経典

(2)1918年 大本教「大本神諭」等 各種経典

(3)1944年 岡本天明氏 「日月(ひふみ)神示

(4)1994年 長谷章宏氏 「西暦2000年 ミロクの世が開かれる

(5)2001年 我空徳生氏 「火水伝文(ヒミツツタエフミ)」★

(6)2004年? 作者不詳 「金神の艮の文(トドメノフミ)」★

(7)2016年 神人氏 「大日月地神示

 

上の一覧の末尾★印は、原典が書籍として出版されてないものです。

これらはネットにしか情報がありません。

ただ、部分的に解説した本は売ってるのですが、

恐らく全文完全版の商業出版は存在しないと思われます。

最近の日月神示系預言書の特徴

参考までに最近の文献について、ざっと特徴を書いておきます。

 

(4)1994年 長谷章宏氏 「西暦2000年 ミロクの世が開かれる

こちらは、かなりクセの強い文書です。苦笑

これを書いた著者の個性がかなり出ている感じがします。

長谷氏はこれ以外にも多数の本を書いており、

すべてAmazonで購入できますが、読後感は正直なところあまり良くないです。

予言というよりも「戒め感」の強い内容になっているからかもしれません。

 

(5)2001年 我空徳生氏 「火水伝文(ヒミツツタエフミ)」★

火水伝文はその本文の中で、

日月神示は計画の書であり、火水伝文は計画の理由(ワケ)の書である

と説明しています。

「理由(ワケ=訳)の書」というだけあって、

パズル的要素というか、言霊・数霊というか、非常に難解な概念が多いため、

自分の頭では完璧に理解はできませんでした。。。

また、火水伝文はネットにしか存在しない文書ですが、

僕はこれをネットがない(パソ通の)時代に、

なんとか入手しようと思って大変苦労した記憶があります。笑

その話は超・オモロイので、またの機会に書きます。

 

(6)2004年 作者不詳・初出年不明 「金神の艮の文(トドメノフミ)」★

次に本題のトドメノフミですが、

先ほど引用した文章をもう一度よく読んでみてください。

天理、金光、黒住、妙霊、先走り、とどめに艮(うしとら)の金神が現れて、世の立て替えをいたすぞよ。世の立て替えのあるということは、どの神柱にも判りておれど、どうしたら立て替えができるということは、判りておらんぞよ。九分九厘までは知らしてあるが、もう一厘の肝腎のことは判りておらんぞよ

ここに「とどめに艮の金神が現れて」というフレーズがありますが、

これはまさにトドメノフミの本文の中で、

これは艮の金神の書である」と書かれているのと合致しています。

つまりトドメノフミは、大本神諭、日月神示の続編かつ、

これが最終章であるということを示しているのです。

金神幾度も筆先で世の有様の変わる事、順々知らしてきたなれど、この度出たる書こそは、金神艮(とどめ)の書(ふみ)なりと申しておく事忘れるな
これより先は新世界、銘々己々筆をとり、神の息吹きぞ元とした千差万別それぞれの新なる書が出るゆえに金神直々出す書はこれぞ艮とどめと申すぞよ

ただし、日月神示にも「これが最後の書である」と書かれており、

一体どれが最後なんだ?というモヤモヤは残ります。苦笑

とはいえ火水伝文と違って、非常にわかりやすくて、

かつ僕自身の生き方的に共感できる内容があるので、

個人的には好きです。笑

 

(7)2016年 神人氏 「大日月地神示

こちらは最も新しい文書で、Amazonで絶賛発売中です。笑

もちろん、書籍は既に全部購入し、すべて読んでますが、

一読しかしておらず、細かいところは検証中です。

ただし、やはり解せないのは「トドメノフミ」という文字通り「最後の書」があるのに、

さらにまた続編が出たという点です。笑

 

とはいえ、トドメノフミでは、

これからは銘々筆を執り新たなる書が出る(時代になる)」とあるので、

これはもしかしたら「金神」直々の書ではないのかもしれません。

実際、かなり神人氏の個性が出ている印象もあります。

とはいえ「大日月地神示」の内容も、「超」が付くほど興味深いので、

また別の機会に取り上げたいと思います。笑

というわけで、次の章からトドメノフミの内容について見ていきましょう。

前置きが長すぎたね。。。

 

艮の金神のトドメノフミの真偽を考察する

さて、このトドメノフミにつきましては、

いつだれが書いたのかさっぱりわかっていません。

僕がこれを発見したのは、確か東日本大震災の直後(2011年)だったように思います。

ついぞ来たれし天の時、天翔け国馳け天を舞い天下に雷鳴轟かせ神の御国と建て替える。
あらゆる教えを混ぜ混ぜて一つの法といたすぞよ。

でも、この文書自体がネット上にアップされたのは、

Googleの表示を見ると2004年のようなのです。

 

僕もたまたまネットを検索したら出てきたという、

まさに掘り出し物でして、

恐らくその時にこの文書の存在に気が付いた人は、

ほとんどいなかったと思います。

当たり前ですが、これを解説したブログ記事も(多分)ありませんでした。

トドメノフミは、いつ誰が書いたのか?

よって、手掛かりは本文中より推理するしかありません。

しかし、こちらを読むと、作者についての手がかりがわかります。

天理教にもわしが出る、キリスト教もわしが行く各宗各派ことごとく金神これより参るぞよ。
わしの姿は見えずともわしの意とする者が出る。
例えて言わば天理教、増井りんなるその者は針穴通るか通れぬかその魂を吟味する裁きの役目の者なるぞ、裁く役目の者達が各宗各派に現われて、神信心の信徒より順々一厘吟味する。

 

天理教の「増井りん」という人を引き合いに出しています。

この人のことをネットで調べてみると天理教の役員さんのようで、

天理教ではかなりの有名人のようです。

盲目で大変苦労されながら教会の為に尽くした人のようです。

信心深い人だったようです。

 

トドメノフミでは信心深さをとても重要視しているように読めるので、

増井りんという天理教の役員さんを引き合いに出すのも、

なるほどうなずけます。

 

ただ、こうして個人名を引き合いに出すということは、

何かしら天理教に関わる人がこの文書を書いたのではないかと、

個人的には思うのです。

 

ただし、いつ書かれたのかは不明です。

少なくとも、日月神示を引き合いに出していることから、

確実に戦後だろうとは思います。

それはトドメノフミの本文中の次の一節です。

親神天理の書なるも大本なるの書なるも日月と申した書なるも全て金神人の世の蔭から守護した文ゆえに一厘隠しは神隠し、まとまる事とてなかりたが一厘明かして出す文ぞ、艮とどめにいたすと申すぞよ。

 

さらには、ポールシフトという単語や、

ハルマゲドンという単語も出てきているので、

戦後まもなくとかの時代ではなく、

それらの単語がよく使われた、

ニューエイジブーム後の1990年代から前述の2004年の間に、

書かれたのではないかとも推測できます。

 

ところが、こちらの一節は森(元)首相の「神の国」発言と思われることから、

森さんの発言があった2000年5月以降であるとも推測されます。

国の頭と申された、お偉いお方が申うされた。
日本は神の国なりと、それを聞いたる取り巻きは、非難ゴウゴウ野次ゴウゴウ、袋叩きにした上に、詫びろ詫びろと大騒ぎ、神無し思想は大騒ぎ。

ただ、最後の書であるというからには、順番的に火水伝文の次に来ないといけないので、

2002年~2004年の間に書かれたとするのが妥当かなあと個人的には結論付けています。

 

ちなみに、日月神示も火水伝文も同様なのですが、

トドメノフミが偽物か本物か、ネットで議論されている場面を見かけますが、

僕の基本的なスタンスとしては、偽物でも本物でもどちらでもよく、

そこに書かれている内容がいかに含蓄があるか

または興味深くて得るものが多いかが重要でして、

その意味で、トドメノフミは研究に値するレベルだと考えています。

 

トドメノフミの予言

さて、まずはトドメノフミの中で語られている予言について、

興味深い内容のものをいくつかピックアップしてみましょう。

終わりの始まりはどこから?

トドメノフミにも、やはり残念ながら世界の終わりについて書かれています。

そして、それはどこから始まるかも書かれています。

政治、経済、貿易や種々雑多なる政(まつりごと)、神信心から衣、食、住、何から何までこの度は一ぺん潰ぶして混ぜ混ぜて一から出直し、やり直し。
誠心が中心の芯にシカリと納まりて神の守護ぞ息吹きする光輝くものとして世界まるごと生み直し。
その手初めが日本国、東、東と進み出たお東(ひがし)様さまの日本国、世界の中心ど真ん中。
皇(すめらみ)の国と申すぞよ。

実は日月神示にも「日本は世界の中心」であり「お手本の国」、

そして世界の「雛形」である国だと書かれています。

 

例えば北海道が北米大陸、本州がユーラシア大陸、

九州がアフリカ大陸、四国がオーストラリア大陸、というように、

形から見ても世界のひな型であるとも書かれていますし、

日本で起こることは世界で起こるとも書かれています。

 

つまり、世界的な変化はまず日本から起こり、

それが世界に反映されるという意味でもあります。

それゆえに日本人の選択には世界の運命がかかっているのです…。汗

この日月神示の「日本はひな形」という考え方を、

トドメノフミも踏襲していることが、上の一節でわかります。

 

バブルの再来?

では、それはどのようにやって来るのか?

まず、バブルの再来のような景気がやってくると書かれています。

(バブルという単語からも確実に最近の文書だということがわかります。)

金神正体明かさぬを知るや知らずや人の世は、バブル、バブルのその頃に濡手に粟の屑銭を屑が拾ひうて屑使い、屑買いしめたる屑の山。
同じ事柄二度とする仕組、同じ事柄二度する仕組。
グズグズしておる暇は無い。
悪神、悪仏金が降る、大地が震う真際まで
神に焦がるる人々は喰うや喰わずの食なれど、それでも飢うえず苦しまず、嬉しき事のみ増えてくる。

赤字の「同じ事柄二度とする仕組み」というフレーズですが、

実は日月神示にも同じフレーズが書かれています。

日月神示の時代は戦前でしたから、関東大震災で焼け野原になった東京の町が、

再び太平洋戦争で焼け野原になるよということを示す予言として、

同じこと二度ある仕組み」と書かれていました。

現代版トドメノフミでは、バブル(好景気)の再来がまたやって来るよという意味かもしれません。

 

そしてそれは、「大地が震う間際」まで続くという意味なのかもしれません。

ということは、終末の時には大地震が起こるのでしょうか。

具体的な日付が出てないので、いつなのか気になります。

 

まあ、今の安倍政権もミニバブルとか言われてますけどね…。

しかし新型コ●ナで景気はどうなってしまうのか…。

 

キツネに騙されてた世の中は滅ぶ?

世界の終わりの時にはバブル以外に何が起こるのか、

トドメノフミでは世の中の終わりは狐憑きなどの霊憑りが増えると書かれています。

そして、キツネ憑きにより「悪」に染まった人たちは根絶やしにされると書かれています。

人の世の中終る頃、狐、狐の狐憑(きつねつき)、上から下まで霊憑り、その九分九厘が狐ぞと人間様にはわかられぬ。
あら、情無や狐憑き、月の守護の時代ゆえ憑きもの有利の時期ゆえに狐、狸やその他の種々雑多なる憑きものが人間世界に踊り出て悪さしてたと申しても、人の学理で固まりた頭で理解不可能ぞ。
金神光が強いゆえ表の守護となりたなら今までゆるりと落ち着いて蟠踞していた悪霊が住み所無しぞと泡喰いて跳んで火に入る事となり、わかりてくるぞよ、おもしろや、やれ面白や、面白や。悪の根絶ねだやしおもしろや。
人の身の頭脳内部のこことここ、ここに狐が住みたなら、やる事なす事狐憑き、キツネアブラゲ好物と申してきたはここの事。
社会人心見わたせば、とても人とは思えない極悪非道ぞ常なりとこれがキツネの常なるぞ。
新聞種とはならずとも少女は売春少年非行、果ては暴行殺人と、あら情無や狐憑き、不倫、不倫と狙うとる人も狐の容物(いれもの)ぞ、神をも恐れぬ世の様は神を認めておらぬゆえ、やもうえずとは申しても金神怒髪天を突き、てんつく天突くてんてん点。
天着く、天着く、天天天、天の御座所の天辺で火の雨降らすと思い知れ。

ここでは、世の中の「悪」は狐や狸の悪霊の仕業と書いてます。苦笑

より、オカルト的に言えば動物霊なのでしょうけど、

なんとなく、キツネさんタヌキさんが悪者扱いで可哀そうです。笑

なので、この辺りはキツネとは何か悪い存在の「例え」と解釈する方が妥当かもしれません。

 

例えば、大本神諭では「インドに降りた悪神:九尾の狐」が出てきますが、

インドと言えば数学、数学と言えばコンピューターなどのITとか…。

まぁ、何の例えかは難解なので正確にはよくわかりませんけど、

色んな捉え方が可能だと思います。

 

ちなみに日月神示にも世の終わりが近づくと、霊憑りがウヨウヨと湧く

と同じことが書かれているのですが、世の中のスピ系の人はこれを、

「インチキ霊能者がたくさん現れる」

と解釈している人がたまにいるのですが、

個人的には「世の中に悪が蔓延すること」と解釈しています。

 

仏教など世の中のメジャーな宗教の「終末思想」と同じく、

終わりの時は悪が栄えるという意味ではないかと思います。

 

改心は西暦2038年の午の年の秋まで?

さて、終末の時はいつ来るのか?

具体的な日付が気になるところです。

ちなみに日月神示では、終末が来るぞと「100年も続けて嘘は言わない」と書いてます。

ということは、日月神示が書かれてから100年以内、

つまり、およそ2045年くらいまでに終末の日が来ると想定されます。

一方でトドメノフミではこのように書いています。

改心いたすは午の秋、ここまでなりぞと申すぞよ。午の秋ぞと申すぞよ。
未が出たなら皮を剥むき敷しき物もの変えると申すぞよ。
秋にはあちらとこちらでは隔へだての併へいぞ現われて、隔ての線ぞ現われて、目には見えねど現われて、ヘイ、あきまセンとはこの事ぞ。
ギリギリ午の秋までと申して来たるその日まで、改心いたしてくだしゃんせ。

この文章をそのまま読めば、終末の時は午の年の秋となります。

それでは、午の年とはいつか?

トドメノフミが書かれたのが2002年だとして、

それ以降の午年は、2014年、2026年、2038年です。

2014年はもう終わってしまったので、2026年か2038年のどちらかです。

さあ、どっち!?笑

そこで、もう少し読むとこんなことが書かれています。

己れの救済乞い願い何が何とてする者が千人万人沸いたとて楽園世界ぞ出来まいに、わしは人様救いたい、何が何とて救いたい、そういう者ぞおるだけで、そこは極楽突き抜けた天国なりぞと申すぞよ。
峠、峠、大峠、近み来たのが見えんかな、見えぬ者にはもう見えぬ、捨て去る古着、いちいち洗い干して乾かす者は無い、何が何とてわからずに、消えて行くのぞ、いと哀れ。
準備期間は1ヶ年、午年迎えて1ヶ年。それより早よても遅うてもこの救済はまる潰れ。
金神この事三千年、大神様は幾万年。仕組みの準備をされたゆえ潰す訳には参らじぞ。
午年、青菜跳ね上がり未に米は当りだす、それが合図の時なりと明けのからすが鳴いたれば辛酉(かのととり)まであとわずか、飛んで火に入る夏虫とミロクの民は真っ二つ、きっちり、すっきり立分れ、彼岸の岸ぞ舟が行く。
これよりは電光石火で参るぞよ、神の裁きに待った無し、目にも止らぬ早技で、善、悪、正、邪ぞ別けに出る。

この「辛酉まであとわずか」という部分がヒントになっています。

辛酉の年は60年おきにしかやってこないのですが、

次の辛酉は2041年なのです。

 

ということは、終末の日は2038年から始まる可能性が非常に高いということになります。

日月神示の約束の100年である2045年とも時期的に重なりますね。

 

※ あと、ヒトラー予言の2039年とも重なります。

 

ここで、トドメノフミの言う通り、

2038年の午年(または2041年)をターゲットとしますと、

日月神示で長年「謎」とされていた次の一節も日次が特定できそうです。

子(ネ)の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替へは水と火とざぞ。ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。

子の年とはいつなのか、スピ界では過去に何度も議論になっていましたが、

ここでいう子の年は、2038年の前の子年である2032年が妥当ということになります。

2032年の前後十年ですから、2022年から2042年までが正念場となります。

(または、前後10年を前後5年ずつととらえると2027年から2037年です。)

しかし、正念場とは何を意味するのか謎ですが、

人類にとって辛い世の中が始まるのかもしれません。。。

 

終末の時に天変地異が起こるのか?

さて、トドメノフミの興味深いところは、

先ほどのように終末の年月が書かれているというだけでなく、

終末の時に何が起こるか、かなり具体的なことが書かれている点です。

 

ポールシフトとクンダリーニの覚醒

例えば、こちらの一節はポールシフトについて言及しています。

ポールシフトという単語が出てくるのも少々驚きです。苦笑

哀れ人の世燃え尽くす霊火なりぞと申すぞよ。
神徳積みて救われし、神有り思想の人々の出番はここぞと申すぞよ。
ここぞ、出番と申すぞよ、待ってましたと申すぞよ。
神はハイカラ申すぞよ、ポールシフトと申す事、地軸の異変と申す事、人なる肉身に起こるぞと、この度、初めて明かすぞよ。
上から下まで一直線、人の身の内一直線、ポールシフトとあいなりて、上に行く者、落ちる者、この時来たれば誰なりと、その目でシカリとわかるぞよ。
神徳積みて救われし人の助けが無かりたらこの大峠は越えれぬと世間の人々気が付いて、そこここ押し駆け列をなし順々助けを請う事ぞ。
シカリといたして下されよ、火の禍わざわいの恐ろしさ、凄すごさ惨むごさは人々の憶断おくそく遥か越えた事、神の予想も越えた事、シカリといたして下されよ、この時、来たれば何とてもシカリといたして下されよ。

ポールシフトとは地球の南北の磁極が入れ替わるという地球科学的な現象です。

実際に太古の地球に何度も起こっていて、

その証拠物件も過去に旅行に行って見ています。

こちらの僕の旅日記のブログをお読みいただければと思います。

ただし、トドメノフミをよく読むと、

地球に「ポールシフトが起こる」とは書いてありません。

人の肉身に起こる」と書かれていますが、どういうことでしょう?

 

これはもう一瞬でピンときました。

これは間違いなくクンダリーニのことを指しています。

 

クンダリーニとはインドのとあるヨガの一種に出てくる用語なのですが、

人間の背骨に沿って存在するエネルギーの流れのことを意味しており、

これが尾てい骨(または丹田)から頭頂までエネルギーが突き抜けると、

超人的な能力が発揮されるというヨガの秘伝です。

 

ヨガだけでなく中国の気功でも同じような概念はありますので、

これは昔からよく知られた神秘行なのです。

下のブログで解説していますので読んでみてください。

このクンダリーニの覚醒をヨガや気功の行者は修行で追い求めていたのですが、

終末の時には勝手に覚醒するということなのかもしれません。

そして、覚醒した人が世界を救う、

覚醒した人にみんなが助けを求めに来る的なことも書かれていますね。

なにやらアベンジャーズとか、SF映画みたいです。苦笑

 

ニビルの出現?

次はちょっと怖いです。

とんでもないことが起こると書かれています。

これがトドメノフミのクライマックス部分と言ってもいいかもしれません。

日食または月食の時に真っ黒の天体が現れると書かれているのです。

日、月、地、一直線に結ばれん、その日、その時天空に巨大な黒ぞ顕われん
大神様こと主(す)の神の神聖極まるご正体。
元極体主王大御神(むとふみくらいぬしおおかみ)のご出御座、黒ぞと申すぞよ。
真っ黒、黒の大太陽、人なる世界の天空に顕われ出たりたその時は畏こみ慎しみ拝がめよ。
大地も黒ぞと申すぞよ、上下黒の挟はさみ撃うち、逃げ失せる事はできんぞよ、これまで人類汚したる、海、山、大地、空とても、黒なる世界の中に入り大洗霊を仰ぐのぞ。
丁度、これまできた世界、月の守護にて三千年、水と土とをこねくりて細工、彩色整えて、形にいたして九分九厘、できたる世界をこの度の釜かま入いれの時ぞ来たるぞよ。

実は、この真っ黒な天体はスピ業界では昔から有名です。

その名もニビルです。

ニビルの話だけでブログを一本書けてしまうくらいですが、

簡単に説明しますと「謎の太陽系10番目の惑星」とされる天体のことです。

 

ていうか、実際に科学者が発見したわけでもなんでもなく、

あくまで仮説上のオカルト天体ですけどねー。苦笑

 

ま、でも仮説が正しいとして、

ニビルは大きな楕円軌道で進むので3600年周期で地球に最接近するらしく、

ちょうど火星と地球の間を通るらしいです。

また、重力が大きいのでブラックホール的に光を吸い込んでしまうらしいのです。

 

実は、過去に何度となくインチキ動画に踊らされた人々により、

「ニビルがやってくる」とスピ界では話題になりましたが、

毎度ニビルは訪れず、まさに「ニビル来る来る詐欺」なのであります。苦笑

しかし、今回は本当なのでしょうか!?

 

ちなみに、「来る来る詐欺」は他にもありますので、以下ご参照下さい。笑

ま、来る来る詐欺は置いておいて、

トドメノフミではニビルという名前は書かれていませんが、

真っ黒な天体が空を覆うという予言が書かれているとすれば、

それはもうニビルしか考えられないのであります。

 

ちなみにシュメール神話にも謎の天体について書かれているようですが、

それはまた別の機会に書きたいと思います。

 

ところで、この天体をトドメノフミでは、

元極体主王大御神(むとふみくらいぬしおおかみ)と呼んでいます。

これは、竹内文書という古文献(正式な歴史書扱いではない文献)があるのですが、

そこに出てくる全ての始まりである最高神の名前と(ほぼ)同じです。

これはどう解釈したらよいのか・・・、今のところ謎です。

全ての始まりの神(天体)が現れるということは、

地球が始まりに戻る、つまりリセットされてしまうのでしょうか。。。

 

人食いバクテリアが人間を襲う?

さて、暗黒の天体(ニビル)が現れたら地球はどうなるのか?

本当に地球はリセットされてしまうのでしょうか。

その辺りも詳しく書かれています。

菌が人の身支えたる、その事誰とてわかるとて、この菌なるの大変化、この度起きんと申すぞよ。
真っ黒太陽出たならば、真っ黒大地と大変化。
人なる内のぎょうさんの菌もこれにて大変化、これまで人々汚したる海山、大地空に住む仰山の菌も大変化、元の大地に戻さんと、汚濁、汚物を喰いに出る
発酵するもの、腐るもの、発光するもの、朽ちるもの、上に行くもの、落ちるもの、飛んだり跳ねたりいたすもの、地べたガサゴリいたすもの、二筋できんと申すぞよ。
発酵、腐乱ぞ分れゆく、二筋道ぞと申すぞよ。
人の手足に仰山のプツプツ噴き出てきたなれば、その時なりぞと申すぞよ。

なんと、体内の細菌が変異するとのこと。

そして、汚濁・汚物を食いに出ると書かれているということは、

これはまさに人食いバクテリアでしょうか。

これらの菌によって、助かる人、助からない人、運命が二つに分かれると書かれています。

今のうちから人食いバクテリアについて、

対策を考えておいた方が良いかもしれませんね。。。

 

また、これらの菌が猛威を振るう時には前兆があり、

手足にぶつぶつが噴き出始めるのでわかるということです。

うーん、かなりイヤ。。。苦笑

 

空気が吸えなくなる?幽界終了~!

また、大気の組成(?)も変わると書かれています。

なんとも難解ですが、こちらの一節です。

やれ、恐ろし気は空気界、空気、気難と迫るぞよ、紅白のその間をば隔へだてたる、金の川こそ金龍神。
光輪こうりん模様もようの金の川、金龍昇天する際の金剛力ぞと申すぞよ、金龍神、現れましにけると申すぞよ。
水ぞ逆さに登るぞと申しきたるはこの時ぞ。
火素と水素が一致して主スの形と成りた時、幽界なりぞと申し来た、天地間なる空気界、一変するぞと申すぞよ、金龍出たりと申すぞよ。
空は○マルにてクウなれど、キ・が中央、ど真ん中、融合いたすと申すぞよ。
人の世包む○クウと・キが次々融合一致する、この一瞬の大気難、ほどなく参ると申すぞよ。
空○クウ、気・キ、空気クウキの大危難、危難気難の大変化。
空気吸えるか、吸えぬのか、己々、神がこの度は選択いたすと申すぞよ、魂の洗濯できたか、どうなのか、選択いたすと申すぞよ。

でも、これをよく読むと、科学的な空気の組成の話というよりも、

「幽界」について触れているように読めます。

日月神示でも幽界(死後の世界)はなくなると書かれていますが、

この一説は、それを想起させます。

 

まあ、幽界の話を書くと長くなるのですが、

幽界とは物質世界からは見えない世界(次元)とされており、

地上と天空の間、敢えて物理的に言えば地球の周りにあるとされています。

 

そこは、皆さんご存知の通り、亡くなった人たちが一時的に行く場所なのですが、

一説には人間が輪廻の輪から抜け出すことを難しくしている1つの障壁とも考えられています。

 

これについては僕もかなり昔に、

「生まれ変わりを暗に急かされている夢」として見ています。

これ(転生)を拒否すると何か別の世界があるのではないかと、

今まで考えたことがないような発想に夢の中で至り、

さらに夢の中で試行錯誤するという、妙に印象に残る夢でした。

 

ちなみに、ロバートモンロー氏がヘミシンクで得た情報にも、

未来には地球の周りをぐるっと囲む霞が綺麗になくなる

と書かれており、これはまさにトドメノフミの記述と重なります。

 

幽界がなくなるということは、

それは転生がなくなるということを意味するわけで、

さらに、地球の転生システムについて誤解を恐れずに書けば、

それは落第生のための猶予のシステムとも言えます。

つまり、人間の世界を再体験する道がなくなるわけですから、

今後、人間ははどうなってしまうのだろうかという疑問は湧きます。

ま、その辺の話はまた別の機会に書きたいと思います。

(別の機会がいくつあっても足りないな・・・。)

 

ヨハネ黙示録の暗黒の三日間が始まる?

ところで、この暗黒天体がやってくる終末の時。

これをトドメノフミでは「恐怖時代」という言葉を引用しています。

裁きの庭とはこの時ぞ、三千世界ぞ梅の庭、一度に開くと申す事、この事なりぞと申すぞよ。
神の許しの無い者は、息する事とて叶わずに、目鼻口とて開けれずに足腰立たぬと申すぞよ。
「恐怖時代」と申された、重ね重ねて申された、その恐ろしき、その時節、いよよ来たると申すぞよ
紅白の梅ぞそこここ咲くならば人によりてはその空気、その霊気なる、そのクウ、キ。
毒ガスなりぞと申すぞよ。

恐怖時代とは何か、

実はこの単語をググっても何も関連しそうなものは見つかりませんでした。

ただ、真っ暗闇の世界が訪れるというキリスト教の予言を見つけることができました。

こちらの知恵袋の回答がそのまんま暗黒の三日間の説明なので引用します。

(1) 全世界が、突然の暗闇に包まれ、人工的な光が用をなさない暗黒の日がいつか訪れます。
(2) この暗黒の日には、燃え立つ紅い雲が、天をよぎり、雷鳴がそこら中に轟きわたります。
(3) 地上には、至る所で大きな地震が、発生し、海は、泡となり、洪水のように大地に押し寄せる現象が起きます。
(4) その暗黒の日々には、これまで人間の目で見ることのできなかった悪魔が、姿を現し、その忌むべき姿を見た人間は、あまりのおぞましさに発狂します
(暗黒の3日間は、神の聖なる裁きの時ですから、部屋で祈りつつ、何が起きようとも決して外を見てはならないそうです。まさに、インディージョーンズの失われたアークの蓋を開けられた瞬間と同じようなことが、起きてその光景を見たものは、死ぬだろうとも言われています。)

ヨハネ黙示録の予言をいろんな人が解釈したり、

色んな人が霊感で得た内容が「暗黒の三日間」と暗黙に命名され、

その名称がキリスト教的な終末の時を意味する共通認識になったようです。

 

ここに書かれていることは実際にヨハネ黙示録を読むと、

もう少し詳しく理解できると思います。

長くなるので、ヨハネ黙示録については、

またの機会に書きたいと思いますが。。。苦笑

そして下記の引用のように、この大難さえクリアできれば、

次はハッピーな「お正月」だそうです。。。

この暗抜ければ往環道おうかんどう、上下一本貫いた、世界、一列いちれつ、一平ひとたいら、何とて見え透くミロクの世。
世の正月ぞと申すぞよ、代の正月ぞと申すぞよ。

つーか、暗闇、大地震、人食い細菌とか、超・ハードル高くね?苦笑

こんなの無理ゲーじゃないかという感もありますが、

まあ皆さん、なんとか一緒に頑張りましょう~、あはは~・・・。

 

トドメノフミが一番言いたいこと

さて、かなり長くなりましたので、この辺で最後のまとめに入りたいと思います。

トドメノフミは預言書ではありますが、

予言書が予言書たるゆえんというものがあるのです。

 

どこの宗教でもそうですが、予言の背後には人々に対する戒めが入っています。

つまり、調子に乗ってバカやって地球を破壊し人間同士戦い続けると、

そのうち世界は滅びちゃうよ、という戒めです。

トドメノフミもやはり、そこが一番言いたいことだと思います。

 

やりたいと思うこと、スラスラできることをやろう

まず最初はこちらを読んでみてください。

ものすごい厳しい戒めかと思ったら、

なんのこっちゃない、とても簡単なことでした。

金神表に出たからは無理事やめて下されや、無理はキッパリ諦めて、心が素直にできる事、ふっと浮びたあれこれも無理なくいたして下しゃんせ
金神それぞれお手引いて赴おもむく方に連れ行くぞ。
さらりさらりと出たる事、無理なくさらさら出たる事、これこそなりぞと申すぞよ。
無理なく出たるは神の守護、神の仕業しわざと申すぞよ
金神表に出た上は、皆々様のお手引いて安全地帯に引き連れてお連れいたすと申すぞよ。
無理なくさらさら行く方に無理せず歩いて下しゃんせ、無理事やるは逆方向、潰す道筋行く事ぞ
栄えのお道はさらさらと小川の流れと申すぞよ。
人様救うお心が芯にご慎座いたしたら後はなんなりいたすぞよ、神にお任せ下されよ
逆の効果ぞ狙えぞと申うされたるはこの事ぞ、救うは神の務めなり、救われるお人となるは世の務め、尊き人の務めなり、救いは救われ救われる。
人の世スキリとせんうちは、神々様とて救われぬ
救われたお人となりて下されや、この事、わかりて下されや。

この一節は僕が一番好きな部分です。

なぜかと言ったら、僕がいつもモットーにしている、

「やりたいことをやろう」

と同じような意味のことが書かれているからです。

ブログにも書きましたけどね。

無理して何かをしようと思っても、うまくいかないことも多いですし、

ずっと苦しんで人生終わっても「私の人生とはなんだったの?」と残念・無念となります。

 

もちろん他人からは苦しいと思うようなことも、

本人はとても楽しんでいる、ということもありますので、

それこそまさに個性ですね。

人によって「やりたいこと」「スラスラできること」は違うのです。

だから社会は成り立つのです。

 

よって、他人のこと(世間体など)を気にせずに、

自分の心からスラスラと出てくることをやりましょうということですね。

 

人の「情け」を理解すること、情けの心を持つこと

そして、もうひとつトドメノフミが言いたいことがあるようです。

それは、恐らくもっとも重要な事ではないかと思います。

その大事なことをトドメノフミは「一厘」という単語で表しています。

実は日月神示でも一厘という言葉がたくさん出てきます。

もっとも大切な秘密という意味で一厘という単語を使っているのです。

一厘は人間任せと申すぞよ、神は人間創造つくする時、あれこれ苦心したなれど、それはどうこう言わんから、恩着せがましく言わんから、分りてほしいは唯ただ一厘、こころ一厘、ここ一厘、ここの一厘知る事ぞ
人が言おうが言うまいが、これしか無いぞと思うもの、人がやろうがやるまいが、わしはこれぞと思うもの、芯から湧くもの出づるもの、溢れ溢れる真のもの、その出所が心ぞよ。

一厘は「心」にあると書いていますね。

他人が何を言おうと、自らの心から溢れ出るものが大切だよと書いています。

そして、心から出てくるものに一厘があると書かれています。

ここ一厘は情(なさけ)ぞよ、こころ一厘情ぞよ
情無ければこの閻魔、なにほどあれこれできたとて情無き事する者に、一切情かけぬぞよ、情無きほどかけぬぞよ。
ここをわかりて下されよ、こころわかりて下されよ。
人の身のこことこことが結ばれる、ここが情の出所ぞ、ここに情が無いなれば情無いとはこの事ぞ神のお情わかられる、お人となりて下されや
無理難題のその頃は肉身の情ぞ振り捨てて、たとえ火の中、水の中、悲願成就のその日まで、お情無用で参り来た。
月、月、ツキにて突き進む、情は悪ぞと説いて来た、子年までお情無用の御時世ぞ。
善悪正邪は入り乱れ混ぜ混ぜづくめの月の下。
どうぞ凍こごえて下さるな、どうぞ凍えて下さるな。

これを読む限り、一厘とは「情(なさけ)」と解釈できます。

情(なさけ)とは何を意味するのでしょうか?

 

「情けは人の為ならず」という格言がありますが、

これは長らく多くの人に誤解されてきました。

他人に情けをかけると、その人を甘やかすことになり、

その人の為にならないという間違った意味に取られていました、

しかし本来の意味は、人に情けをかけることは、

巡り巡って自分の為になるという意味なのです。

つまり本来は、情けはかけてあげた方が良いのです。

 

「なんだ、一番言いたいことはそんなことか」と思うかもしれませんが、

実は火水伝文にも「情けと花の仕組み」というフレーズが出てくるのです。

情けと花の仕組みにて、仕組みし天の大神と、創りた元つ神々の艱難辛苦の裏舞台。
・・・中略・・・
汝等を支えるが大神の情けと花の仕組みでありた。
この方が陰にまわりて、三千世界を守護致し来たりたは、汝が一刻たりとも速やかに、自ら真釣るを取り戻し欲しく、願いありたからであるぞ。

ここでいう情けとは、神の情けです。

つまり、どれだけ人間として地球や同朋を傷付けるようなことをしても、

神はそれを許してきたんだよ、という意味です。

さらに、転生という仕組みを使って何度もチャンスを与えてきたのだよとも書いています。

同じことはトドメノフミの先ほどの文章にも書かれていますし、

こちらにも善悪の背後にある神の愛(情)をわかってくれと書かれています。

日月一つに結ばれん、ここ一厘ぞ情なり、明めいの時代となりたれば充分御用に使わんと、腐らんように雪霜をかけて被せて隠し来た、悪一厘は情なりここ一厘は情なさけなり。
ここ一厘シカリと掴みて下されや、シカリと掴みて下されや。
情無き閻魔が情に目が眩みトンマなエンマと見える程、閻魔の眼ぞ曇らせる、お人となりて下されや、歓喜に裁きの無い如く、情にお裁きござらぬぞ、今までした事、やりた事、良いや悪いや思うより、これまでやりきた様々の奥に脈打つ神の愛お情わかりて下されや
神のお情わかる人、わかる心のお人なら、どちらが神ぞと思う程、りっぱな御用に立てるのぞ、神のご守護をするような、たいした御用に立てるのぞ、この事隠して言わなんだ、ここは金神情ぞとこの度初めて申すのぞ。

この神の情けという仕組みをまず理解することが大事なのかもしれません。

神の情けがあったから今の人間があるのだよという意味ですね。

 

善悪・正邪を超えて、その存在を認めること

ところで先ほどの一節に「悪一厘は情けなり」と書かれていましたが、

実は日月神示にも一厘は悪の中に隠してあると書かれています。

 

あくまで個人的な解釈ですが、

これは、悪を許すことが大事であると取れます。

例えば中東、イスラエルをみれば紛争で人々が殺されたら、

それの報復が始まり、延々と殺戮の報復が続きます。

どこかで相手の立場を思いやり戦いを辞めなければエンドレスです。

 

身内を殺されて相手を許せなどと、

とても当事者に対して第三者が言えませんが、

仕返しに相手を殺すことだけでも踏みとどまることができれば、

少しだけ平和の兆しが見えるのかもしれません。

 

しかし「悪を許せ」と言いますが、結局のところ、善悪、正邪という概念は相対的であり、

実際に正義、聖戦という名のもとに戦争(殺戮)が行われているのは、

いまや子供でも知っている周知の事実です。

よって、正義も許さなければならないし悪も許さなければならないのです。

 

ただし、悪を許すということは自分も悪の側に回るということではありませんし、

自分の悪を悪と知って開き直る事でもないと、僕は考えています。

 

やはり本質的に純粋な言葉の定義として、

善は善であり、そうあるべきものであり、

悪は悪であり、自ら染まるものではないと思うのです。

それは次の一節にも記されています。

これよりは電光石火で参るぞよ、神の裁きに待った無し、目にも止らぬ早技で、善、悪、正、邪ぞ別けに出る
一目瞭然、千里眼、見抜き見透し、まるわかり。
邪心の人間は唯の一目で判わかるぞよ

このブログでも度々触れてますが、最近は本来的な「正義」という言葉さえ、

言葉刈りの被害を受けて、いわば正義刈りが行われています。

正義という言葉が汚いものにされています。

 

例えば、自らの不正、ズルさ等、他人を傷つける行為を正当化するために、

「強すぎる正義」「歪んだ正義」というワンフレーズで正義を貶める人さえいます。

 

不寛容社会というフレーズもまさにそれで、「寛容であれ」と言うセリフは、

例えば不貞行為など自らの人を傷つける行為を正当化するために使われています

 

子供の頃にワルガキが、

「良い子ぶっりやがって!」

と正しいことをする子どもをにやっかみを感じるのと同じことが、

大人の世界でも普通に起こっているわけですね。。。

 

例え世の中が善や正義を否定し悪に染まっても、

そこで心が折れないことが大事です。

次の一節では、最後の我慢と書かれていますね。。。

うーん、泣ける・・・笑

今が秋ぞと申すまで善悪正邪はあれこれとまぜまぜづくめの混ぜずくし、クソミソ一緒に見えたとて金神シカリと見えとるで最後の我慢ぞ一苦労

まあ、とはいえ、

それも含めて全部許そうということですね。苦笑

決して、そちら(悪・邪)の側に回ることなく、

そういうものもあるんだ、

そういう人もいるんだ、今の時代は仕方ないんだ、

でも自分だけは正しく生きよう、人のために生きよう、

そういう気持ちが大事ではないかなと思いました。。。

 

***

 

というわけで、予言の書「トドメノフミ」の解説でしたが、

いかがでしたでしょうか。

結局、トドメノフミは預言書ではありますが、

大事なところは人としてのありかたの部分かもしれません。

もちろん、どのように取るかは人それぞれですけどね。

基本的には予言の部分はあまり深刻に真に受けない方が良いかと思います。

ノストラダムスやマヤの予言のように毎度、世界は滅び損ねておりますので・・・。苦笑

 

なので、ふーん、トドメノフミねえ、

面白いことを書く人もいるねという感じで良いと思います。

僕はなるべくそういうライトなスタンスで都市伝説感覚で読んでいます。苦笑。

以上、ご参考になれば幸いです。

 

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