慌ただしい毎日が続いておりまして、なかなかブログが書けてません。
今日は、先日書きました「ヨハネ黙示録」の続編です。
マニアックな内容ですがスピファンの皆様、ぜひ読んでやってください。笑
全世界の人に大昔から読み続けられている新約聖書のヨハネ黙示録ですが、
読んでいてふと気が付いた人もいるでしょう。
日月神示と似てるー!って。笑
度々本ブログでも登場します「日月神示」ですが、
これは戦前(昭和の時代)に書かれた書物であります。
ということはヨハネ黙示録よりも日月神示の方が新しいわけでして、
もしかして、日月神示は聖書にインスパイアされて書かれたものではないかと思ったのです。
実際、それを念頭に日月神示を読むとヨハネ黙示録の謎が解けてくるのでして、
要するに日月神示はヨハネ黙示録の謎解き解説書なのかもしれないのです!笑
今日はそこんところの話について書いてみようと思います。
目次
ヨハネの黙示録の予言
聖書のヨハネ黙示録を読んでみればわかりますが、かなり難解なので読んだところで意味が分からない人も多いかと思います。
「自分で読むの面倒くさいから、簡単にまとめて!」
と言う人のために前回のブログでは、ヨハネ黙示録のあらすじをざっと書いてみたのです。笑
それでは、前回の記事をところどころ引用して、ヨハネ黙示録の予言を日月神示を参考にして検証してみたいと思います。
七つの巻物と白馬、赤馬、黒馬
まずは上記ブログで書いたヨハネ黙示録のあらすじの以下の部分を読んでみてください。
子羊たちが七つの巻物の封印を解く話です。
まずは子羊たちが7つの巻物の封印を順番に解くんだってさ。
どうなっちゃうのかな、一緒に見てみよう。
巻物1:白い馬が現れて戦争が始まるよ
巻物2:赤い馬が現れて平和が終わるよ
巻物3:黒い馬が現れて飢餓が始まるよ
巻物4:青い馬が現れて人間の4分の1が死ぬよ
巻物5:殉教者たちが悪者を裁かない神に怒り始めるよ
巻物6:大地震が起こり、太陽は暗くなり、月は赤くなり、彗星が落ちるよ
巻物7:七人の天使にラッパを与えたよ、さあ天変地異が始まるよ。
もしも巻物のくだりが予言なら、それはいつの時代か?
7つの巻物が書かれている順番に起こるなら、現代は何番目の巻物の時代か?
非常に気になるところなのですが、なんと、この答えが日月神示に書かれていたのです!
今迄は白馬と赤馬と黒馬とであったなれど、岩戸がひらけたら、岩戸の中から黄(基)の馬が飛び出してくるぞ、キが元ぞと申してあろうが、トドメの馬であるぞ、黄金の馬であるぞ、救ひの馬であるぞ、このこと神界の秘密でありたなれど時来たりて人民に伝へるのであるぞ、今迄は白馬に股がって救世主が現れたのであるが、いよいよの救世主は黄金の馬、基(キ)の馬にのって現われますのであるぞ。
この「白馬、赤馬、黒馬」のくだりは、日月神示を読んでいると唐突に出てきます。
ヨハネ黙示録を知らずに日月神示を読んでしまうと、
「馬って何? どうして馬なの? 意味が分からないよ!」
ってスルーしてしまいがちですが、ヨハネ黙示録を読んだことがある人はピンとくるはずです。
ていうか、この記述はヨハネ黙示録の4騎士(4つの馬)のくだりを指す以外に解釈の余地はない気もします。。。
そして「今迄は白馬と赤馬と黒馬とであった」ということは、1から3番目の巻物を指すということです。
つまり、既に戦争が起こり、平和が終わり、飢餓が発生するところまでは「過去」であり予言は成就済みということを日月神示は示唆しているのです。
巻物1:白い馬が現れて戦争が始まるよ
巻物2:赤い馬が現れて平和が終わるよ
巻物3:黒い馬が現れて飢餓が始まるよ
確かに現代においては地球のどこかが必ず戦争中ですし、その意味で世界は平和だとは言えませんし、つまり平和は終わったと言えます。
飢餓も地球のどこかで発生していますし、それは人為的(人為的不作為?)に起こされているとも言えますから、これもそのとおりです。
日月神示が示す通り、3つ目の巻物まではすでに成就された予言だとすると、次に起こるのは4つ目の巻物です。
巻物4:青い馬が現れて人間の4分の1が死ぬよ
巻物5:殉教者たちが悪者を裁かない神に怒り始めるよ
巻物6:大地震が起こり、太陽は暗くなり、月は赤くなり、彗星が落ちるよ
巻物7:七人の天使にラッパを与えたよ、さあ天変地異が始まるよ。
次は青い馬の予言が成就する予定ということになります。
ちなみに上記の日月神示の引用では「黄金の馬」と書かれていますが、これはもっと先の最終的未来の話を指していると思われます。
つまり最後の最後には黄金の馬(救世主)が現れるけど、現在は黒い馬のところまで実現したよって意味ですね。
しかし、次に起こるのは「四分の一の人が死ぬ」未来とは穏やかではありません。
念のため、ヨハネ黙示録の「青い馬」のくだりの原文を見てみましょう。
小羊が第四の封印を解いた時・・・略・・・青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。
明確に「死ぬ」とは書いてないですが、「死」が地上の4分の1を支配したということは、人類の25%が死んだという解釈も可能です。
そして、その原因は、つるぎとききんと死と地の獣と書かれています。
つるぎ = 戦争
ききん = 飢餓(そのまんま)
死 = ?
地の獣 = 獣の印「666」のある人間たち
つるぎとききんと獣はわかるけど、「死」ってなに?
「死」が人を殺すってのは、当たり前だし、イマイチ意味が分からないですよね?
実はこの「死」について、聖書研究における一般的解釈では「疫病」とされているのです。
疫病と言えば、そ、そ、そうです、コ●ナですねー・・・。
ということは、まさにこの予言は今現在実現中なのでしょうか。
コ●ナ禍の時代が「青い馬」の時代なのかもしれないですね!
しかし、人間の四分の一(25%)が死ぬって、これ、相当な死者数です。
第一次世界大戦でも1000万人も死んでませんから、当時の世界人口20億人弱と比べても25%には届きません。
第二次世界大戦でも約6500万人の死者ですから、当時の世界人口25億の25%にはほど遠いです。
ちなみに2021年の世界人口が80億人弱ですから、その25%というと約20億人です。。。
うーん恐ろしい・・・、地球に何が起ころうとしているのでしょうか?
獣の印「666」のある人間たちとは誰か?
が、注意すべきは、疫病だけの理由で人類の25%が死ぬとは書かれてないところです。
戦争と飢餓と疫病と地の獣によって死ぬのだと書かれています。
4つの合わせ技というわけですね。
そして「地の獣」とは「獣の刻印(666)のある人たち」という意味であり、彼らによって戦争と飢餓と疫病がもたらされ、それにより多くの人が亡くなると考えるのが妥当でしょう。
では、獣の刻印(666)のある人たちとはだれか?
前回のブログでは666について以下の3つの可能性を考えました。
(1)通貨説 = 1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉を合計すると666円
(2)インターネット説 = wwwはヘブライ語で666
(3)バーコード説 = ガードバーとセンターバーが666
これら3つを見ればわかるように、すべて現代において生活に必要なものばかりです。
お金(666)がなければ生きていけないし、最近はネット(666)でしか買えない商品もあります。
そして買うものにはすべてバーコード(666)が付いているという現実。。。苦笑
これら666を持つ者、ってまさか・・・。?
そこで、再度ヨハネ黙示録を引用しますので慎重に読んでみて下さい。。。
また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、
すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。
この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
ここに、知恵が必要である。
思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。
その数字とは、人間をさすものである。そして、
その数字は六百六十六である。
やはりそうですね、全ての人々に獣の数字を刻印するって書かれています。
つまりは、獣って、ごく普通の一般人なわけですね。。。
それは、僕たち、あなたたちなのです~~~!
ぎゃ~~~!苦笑
「青い馬」はコ●ナ禍の時代、神と獣を分ける時代!?
実は、この「獣」と言うワードも日月神示に頻繁に出てきます。
どのような文脈で出てくるか、日月神示から一部抜粋してみましょう。
いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でゐて呉れよ、地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。
神と獣と分けると書かれていますね。
よくよく読み返せば、神様の対極として「獣」という言葉をあてるというのは、やはり、なんとなく聖書的な感じがします。
やはり日月神示はヨハネ黙示録を念頭に置いて書かれているように思います。
そして、決定的なのはこちらです。
今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。
「臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ」と書かれています。
つまりは、神様に八つ当たりをするくらいの酷い世界になるということですよね。苦笑
ちなみにヨハネ黙示録の子羊の巻物のくだりにも、同じような記述があったことを覚えてますでしょうか?
巻物1:白い馬が現れて戦争が始まるよ
巻物2:赤い馬が現れて平和が終わるよ
巻物3:黒い馬が現れて飢餓が始まるよ
巻物4:青い馬が現れて人間の4分の1が死ぬよ
巻物5:殉教者たちが悪者を裁かない神に怒り始めるよ
巻物6:大地震が起こり、太陽は暗くなり、月は赤くなり、彗星が落ちるよ
巻物7:七人の天使にラッパを与えたよ、さあ天変地異が始まるよ。
「巻物5」は「神様なんていない! 神はなぜ悪を野放しにするのだ!と人々が嘆く」様子と解釈できます。
念のためヨハネ黙示録の「殉教者」のくだりの原文も引用しておきます。
小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。
彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。
殉教者とは信仰のために亡くなった人のことを指し、とくにキリスト教であるがゆえに迫害された人を指します。
現代の日本においては、正しい行いをしたのに、咎められる人、罰せられる人、という解釈が妥当かもしれませんね。
そしてこの「正しい人たちが苦しむ時代」こそが「青い馬」の時代、つまり、現在のコ●ナ禍の次に来る時代なのです。
いや、もう既に「殉教者の時代」は始まりつつあるのかもしれません。。。
日月神示にはハルマゲドンのことも書かれている
さらに次に起こるとされる巻物6の「大地震が起こり、太陽は暗くなり、月は赤くなり、彗星が落ちるよ」というヨハネ黙示録の予言ですが、実はこれも日月神示に登場します。
月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はちの色となるぞ、流れもちぢゃ。人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、ヒの雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。
念のため、ヨハネ黙示録の六つ目の巻物の原文も引用します。
全く同じことが書かれていることがわかります。
小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた。
天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。
このように見事にヨハネ黙示録と日月神示は一致するのですが、それよりも、、、うひゃー、まさにこの世の終わりです。
「なにも、そこまでしなくても―」と、言いたくなるような有様です。苦笑
さらにヨハネ黙示録では最後の神と獣との戦いの場所としてハルマゲドン(ハルメキドゥの丘)という場所を示しています。
たまらず竜と獣と、人々を扇動したニセ予言者の三者の中から悪霊が飛び出したんだ。
そして悪霊たちは世界の王に助けを求めたんだ。
悪霊は世界の王をハルマゲドンという場所に招集して神をやっつけようと企んだのさ。
これについても日月神示は言及しているのです。
しかもヨハネ黙示録にインスパイアされたというよりも、ちょっと茶化してます。苦笑
二二は晴れたり、日本晴れ、びっくりばこ いよいよとなりたぞ。春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。
皆の者 愈々ざぞ、今から弱音では何も出来んぞ、春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろが、愈々ざぞ、褌しめよ、グレンざぞ。
日月神示は昭和19~36年と長年にわたり書かれたもので、上の記述はちょうど戦前の昭和19年に書かれた文章です。
なので、日本の敗戦を暗示させる「負け(マケ)」と、ヨハネ黙示録の「ハルマゲドン」の記述をもじって予言しているのかもしれません。。。汗
と、まあこのように日月神示はヨハネ黙示録とまったく同じことを言っていることがわかります。
キリスト教も「神」が主だし、日月神示も神道ということで「神」つながりだからでしょうか。。。
どちらにしても、ヨハネ黙示録が世界の人用だとすれば、日月神示は日本人用ヨハネ黙示録なのかもしれません。
8割の人が獣になる時代
というわけでヨハネ黙示録の予言が着々と実現中なのですが、
日本人向けのヨハネ黙示録「日月神示」には、日本で騒動が起こると書かれています。
「青い馬の時代」が日本にもやってくるということですね。
日本の中に騒動起るぞ。神の臣民 気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。
「騒動」って言葉を聞くと、米騒動とかそういう類のものを連想してしまうのですが、まさにコ●ナ禍の現在って「騒動」って言葉がぴったりな気がするのは自分だけでしょうか。苦笑
以前のブログでワ●チ●について書きましたが、その中で「世の中で国民の対立が増えている」と書きました。
この状態がまさに騒動だとも言えるし、これから騒動が大きくなる可能性もありますよね。
コ●ナ禍になって、国内で、しかも自国民同士の色んな対立が生まれました。
コ●ナ対策の賛成派、反対派。
マスクの賛成派、反対派。
ワ●チ●の賛成派、反対派。
オリンピックの賛成派、反対派。数えれあげればキリがありませんが、これだけ多くの国民を巻き込んだ対立構造がたくさん生まれたケースも過去になかったような気がします。
「青い馬」=「死」の恐怖が国民の間に様々な騒動を起こしているのと同時に、それをさらに「政治」に利用しようとする動きもあります。
最近はマスコミも「世の中が分断されている」などと報じてますが、分断した張本人は誰か?って話なのですけど、まあ、それはさておき・・・。苦笑
と思ったら、こんなことも書かれています。
ヤラワの神と現われたら、人間 眼明けて居れん事になるぞ、さあ今の内に神徳積んでおかんと八分通りは獣の人民となるのざから、二股膏薬ではキリキリ舞するぞ、キリキリ二股多いぞ。獣となれば、同胞(はらから)食ふ事あるぞ。気付けておくぞ。
「八分」とは腹八分の八分でして、8%ではなく80%の意味です。
つまり、80%の人が獣になると書かれています。。。
って、多くね!?
いや、多すぎでしょう!!笑
獣だらけなんて、いやなんですけどー!
って、自分が獣になってたりしてー!?苦笑
実際、ヨハネ黙示録でも全ての人に獣の印を刻印して、神の印は14万4千人しかいないって書いてます。
「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。
わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。
14万人て、少なっ!!笑
14万人とは当時のイスラエルの部族の数(?)なのかもしれないですけど、現代に置き換えれば「少数」ってことの例えなのでしょうけども・・・。
少なくね?汗
「もういいよ、どうせ自分は獣さ。神様の仲間には入れないさ! 獣でけっこう!」
などと思ってしまったそこのあなた!
安心してください!笑
日月神示では獣の実態について、このようにも書いています。
そなたの心の中にゐる獣(ケダモノ)、言向けねばならん。善きに導かねばならん。一生かかってもよいぞ。それが天国に行く鍵であるぞ。マコトの改心であるぞ。智慧と、愛が主の座に居らねばならん。物は愛から生れるぞ。ウムものがもとぢゃ。生まれるものはナルのぢゃ。ナルには智慧でなるのぢゃぞ。
なるほど、天国に行けるのは結局、獣の側に着くか、神の側に着くかは、それぞれの心次第ということですね。
しかも「一生かかって獣から脱却してもOK」とも書かれています!苦笑
まだ間に合いますよ!!笑
ていうか、日月神示には八割が獣、ヨハネ黙示録では14万人以外は獣と、もう既に決まった人数かのように書かれていますが、これは決定事項ではないはずです。
なぜなら、運命が決まっていたとしたら(数が決まっていたとしたら)予言書や宗教書を後世に残す意味がないからです。
よって、数は決まってるわけではなくて、自分の「心」次第で神にも獣にもどっちにも転ぶってことであり、良い方に向かうよう精進せよってことだと思うのです。
・・・でも結局、「長いもには巻かれろ」的な発想になるのか何なのか、悲しいかな大半が獣側に行ってしまうでしょうって予言・予測なのかもしれませんけどね~。
人間のサガですね~。。。悲
現実的な視点で「獣」とは何か考える
しかし、「獣」ってなんでしょうね?
いったい人間がどのような状態になると「獣」なのでしょう。
しかも現代人の8割が獣となってしまうということは、現代における常識的な生活自体が獣と同様なのかもしれません。
獣とは何かを探るため、再びヨハネ黙示録のあらすじを引用しましょう。
すると4人の天使がやってきて、
「今から神の裁きが始まり、獣Aの刻印がある人は永遠に苦しむよ」
って言ったんだ。
そしたら獣Aの刻印を持つ人たちや崇拝者は火と硫黄で苦しみ、昼も夜も休息することができなくなったんだ。
このくだりを独断と偏見で解釈すれば、火と硫黄は「火力」を基に産業革命から発展してきた現代を指すのだろうと思うのです。
その現代の複雑さと弱肉強食の厳しさで苦しみ、昼も夜も不安と恐怖に苛まれ、巨大なストレスでぐっすり眠ることもできない現代人を指すのではないかと思うのです。
辛くて苦しくても、それが当たり前だとストレスをためて、時には人を蹴落として自らの利益を得るのです。
この競争社会のループの延々と続く世界に生きる人、そのループの部品となっている人たちを獣と呼ぶのかもしれません。
ちなみに、獣の刻印を持つ人は病気になるってこともヨハネ黙示録に書かれています。
それから、大きな声が聖所から出て、七人の御使にむかい、「さあ行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に傾けよ」と言うのを聞いた。
そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のでき物ができた。
悪性のでき物とは「ガン」を意味するのでしょうけど、確かに心的なストレスや身体への悪習慣がガンを発生させることもありますからね。
このような状態に自分が置かれていると思ったら、生き方や考え方を変えてみたほうが良いかもしれません。
「同じ事二度ある法則」予言は本当に成就するのか?
正直な話、ヨハネ黙示録も日月神示も読後感が悪いです。苦笑
これらを初めて読んだときは気分がズッシリ重くなったものです。
あぁ、そんな深刻な未来が来てしまうのだろうか、いやだなあ~、って当時は思ったものです。
と言いつつも、イマイチ実感が持てないのも事実なのですけどね。苦笑
次は本当にそんな未来がやってくるのかどうか検証したいと思います。
まずは日月神示の引用を再びお読みください。
ヤラワの神と現われたら、人間 眼明けて居れん事になるぞ、さあ今の内に神徳積んでおかんと八分通りは獣の人民となるのざから、二股膏薬ではキリキリ舞するぞ、キリキリ二股多いぞ。獣となれば、同胞(はらから)食ふ事あるぞ。気付けておくぞ。
八割がたは獣側についてしまって、その結果「同胞食うこと」つまり「仲間割れ」、国民(仲間)同士の争いがあると警告しています。
そんな国民同士の争いの時に「二股膏薬」ではキリキリ舞するぞと戒めています。
「二股膏薬」とは、そのとき次第でどちらの側にも従うことを指す四字熟語です。
つまり、ある時は神側(少数)について、ある時は獣側(多数)について、みたいなことをしてると慌てふためくぞという意味ですね・・・。汗
じゃあ、どうすればよいのか?
ベターなのは、獣側(多数)とは争わず、静かに神側(少数)のスタンスを貫け、ということかもしれません。
って、これ何かに似てませんか?
そうです、戦前の「欲しがりません、勝つまでは」の時代です。。。汗
日本社会を全体主義が支配し、戦争という大義名分のもと、大量殺戮に日本国民が一丸となって突き進んだ時代です。
「人殺しなんかしたくない!」などと言おうものなら「非国民」というレッテルを貼られて村八分にされ、しかも軍部から拷問を受けた時代です。
学校で習いましたよね。。。
(ていうか、コ●ナ禍とも似てません?苦笑)
現代と戦前の日本は状況がとても似ている
実は、現在の状況と戦前の昭和初期の時代が非常に似ているという人がたくさんいるのです。
それはオカルト研究家でも無ければ、当然スピリチュアルとも何の関係もない政治経済の評論家たちです。
これはコ●ナ禍に陥っている現代でなく、もっと前から言われています。
例えば、2017年のニュース記事が残っていたので一部引用します。
1937年と現代は、「格差が拡大した結果、ポピュリズムが台頭している点でも酷似している」とダリオ氏は語る。30年代も世界各国にポピュリズムが広がった。低金利は格差是正にはつながらないが、少なくとも経済のパイは縮小しない。社会不安の高まりを防ぐためにも、利上げペースは意外にも緩やかになるのかもしれない。
そして現代も「上級国民」という言葉ができるほど格差が広がりつつあります。
世界の80%の富を1%の人が持っていて、かつ、世界の半分の富を60人程度の大富豪が持っているという有名な話もあります。
日本でも格差は広がっていると言っていいでしょう。
その背景には長引く不況もあるのですが、それは昭和初期も同じでして、不況から脱却するためのキーが満州国であり、日中戦争につながったわけですねー。
下記は、ポピュリズムの怖さという視点で、戦前と現在を比較した2016年の記事です。
この「戦前昭和」の実相が現在の日本の姿と瓜二つなことに驚かされます。それどころかより加速されているように思います。ラジオがテレビ、SNSへと発展し、その“速度”“伝播力”はかつての「戦前昭和」の比ではありません。“速度”“伝播力”はそのまま“力(破壊力)”へとつながります。はるかにポピュリズムのもたらす危険性は増しているといわざるをえません。格差是正という“正しさ”の追求がなぜ戦争という歪んだ解決にいたったのか。軍部の暴走、行政権力の傲慢さというものを支えたのは大衆民主主義であったことも、歴史の教訓として忘れてはならないと思います。
ちょっと上記の記事は内容が難しいですが、もう少しわかりやすい記事も見つけました。
幻の東京オリンピックと関連付けた当時と現代との関連についての記事です。
1940年の東京五輪では、関東大震災の2年後の25年に治安維持法が制定され、日本は急速に軍国主義化。その10年後に前述したように日中戦争に突入していく。そして、2020年に東京五輪を控える今の日本も同じ道をたどっているように見えるのだ。東日本大震災の2年後に“現代の治安維持法”と呼ばれる特定秘密保護法が成立。
確かに、当時のイベントを時系列に並べると、見事なほどに似てるのです。
この戦前と現在との一致現象はスピ界・オカルト界でも有名です。笑
年表にしてみて見ましょう。
1923年 関東大震災
1925年 治安維持法制定
1937年 日中戦争
1940年 東京オリンピック中止
1941年 太平洋戦争開戦
1944-45年 東南海地震、三河地震(終戦を早めたと言われる大被害)
1945年 終戦
2011年 東日本大震災
2013年 特定秘密保護法成立(平成の治安維持法と揶揄される)
2019年 コ●ナウイルス(中国武漢が起源かつ、コ●ナ対策は戦時体制レベル)
2020年 東京オリンピック延期
20--年 ●●戦争開戦(コ●ナパンデミック?)
20--年 ●●地震?
20--年 終戦(パンデミック終了?)
当時も現代も、大きな地震があって、きっかりその2年後に治安維持法、秘密保護法と物議を醸した法案が成立。
当時は中国との戦争がありましたが、現代では中国発祥と言われるウイルスと対決。
各国政治家をして「今は戦時下である」と言わしめるほどのパンデミックとなりました。
また、当時は日中戦争が原因でオリンピックが中止されましたが、今回は中国発祥ウイルスが原因でオリンピック延期です。
しかも一時はオリンピック中止もささやかれたほどです。
いやあぁ、ここまで似ていたら、気味が悪くなりますね・・・。苦笑
日月神示「同じこと二度くり返す仕組」
こんなことは偶然に過ぎない!
と、思うかもしれませんが、実は日月神示にはこんな記述(予言)もあるのです。
誰によらず改心せなならんぞ、この方さへ改心致したおかげで今度の御働き出来るのぢゃ、同じこと二度くり返す仕組ざぞ、この事よく腹に入れておいて下されよ。同じこと二度、この神示 神と仏のふで。
この「同じこと二度くり返す仕組」というフレーズは唐突に出てくるので、イマイチ真意がよくわかりません。
何か特定のことを指して「二度起こる」と言っているかもしれませんが、でも一般に同じような失敗を繰り返すというのは人間社会にはよくあることなんですよね。苦笑
それを敢えて「二度くりかえす仕組み」と強調して書くということはどういうことか?
恐らく、戦争中に書かれた日月神示だからこそ、再び太平洋戦争のようなことが起きることを示唆しているとも解釈できます。
また、日月神示にはこのような記述もあります。
想念は永遠にはたらくから、悪想念は早く清算しなければならんぞ。中の霊は天国へ行っても、外の霊はこの世に残るぞ。残ることあるぞ。残ってこの世の事物にうつって同じこと、所業をくりかへすことあるぞ。早く洗濯せよと申してあろうがな。梅の実から梅が生へるのぢゃ。その梅に実出来て又梅が生へるのぢゃ。人間も生れかわっても死にかわっても、中々に悪いくせは直らんもんぢゃぞ。それを少しづつ直してかからねばならん。努力次第で漸次直るのぢゃぞ。
想念はエネルギーなのか、物質的なものとしていつまでも残るということが書かれています。
もしも、その理論が正しいとして、いまだ戦前の負の情念・怨念、残留思念のエネルギーのようなものが地球に残っていたらどうなるのでしょうか?
また世の中に同じこと=戦争を繰り返させるのかもしれません。
悪想念・悪霊(に取りつかれた人)が戦争を起こすなんて、なんだか漫画とか映画のような話ですけどね。。。
または仮にコ●ナが戦争だとしたら起きてないのは地震だけですが、そんなものまで悪想念が起こさせてしまうのでしょうか?
当時の東南海地震はあまりの大被害で終戦を早めたと言われてますが、そんな大規模な大地震が訪れるのでしょうか。。。
うーん、考えたくない未来です。。。汗
日月神示はコ●ナを予言していた?
さて、長くなりましたが最後の話題です。
実は日月神示はコ●ナの出現を予言していたのでは?という話です。
ちょっと「こじつけ」感があるのですが、巷で話題なのでいちおう本ブログでも取り上げておきます。笑
五六七をコ●ナと読ませる件
まずは、こちらの引用をお読みください。
一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。
日月神示では「五六七」と書いて、「みろく」と読ませています。
これは、釈迦(しゃか)入滅から56億7000万年後の未来の世に弥勒菩薩となってこの世にくだり、衆生を救済するという仏教の思想が基になっています。
56億7千万後だから、567=ミロクなのです。
これについてはキリスト教どころか100%純粋な仏教の思想ですね。。。苦笑
振り返ると先ほど引用した一節にも「この神示、神と仏のふで」と書かれており、仏教とキリスト教の両者の概念が取り入れられていることを明示してます。
誰によらず改心せなならんぞ、この方さへ改心致したおかげで今度の御働き出来るのぢゃ、同じこと二度くり返す仕組ざぞ、この事よく腹に入れておいて下されよ。同じこと二度、この神示 神と仏のふで。
さて、ここからが重要です。
「五六七」って「ごろくなな」と読みますが、転じて、「ころな」とも読めますよね!?笑
おぉ、まさにコ●ナを予言していたかのようだ!
っていう人がネット界隈(ていうかスピ界隈)でたくさんいます。笑
ちょっと強引だろって思うんですが、いや、でも、出来過ぎているだけに考えてしまいます。
実際、ヨハネ黙示録と日月神示の予言通りにここまで進んでいるようにも思うからです。
でも、もしも五六七がコ●ナ禍のことを指しているとしたら、日月神示によれば既に世の中は天国のようになっているはずです。
下記引用のとおり、「五六七(みろく=ころな)の世」は、とってもハッピーな感じに描写されているからです。笑
其の時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。桜花(さくらばな)一度にどっと開く世となるのざぞ、神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、日日(ひにち)毎日富士晴れるのざぞ、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れぞ。
ということは、今は全然ハッピーな世界じゃないので、やはり五六七はコ●ナではないのかもしれません・・・。
が、、、その一方で、こんな記述もあります。
十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間 鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、神は日夜の苦労ぞ。
え、10年後に五六七(みろく=ころな)の世界が始まっちゃうの?
これ、昭和19年の記述ですから、昭和29年には五六七(みろく=コ●ナ)が始まっていることになっています・・・。苦笑
まあ確かに今回のコ●ナは新型コ●ナですから、コ●ナウイルス自体はもっと昔から発見されていました。
と思って調べてみると、確かに昭和35年頃に初めて人のコ●ナウイルスが発見されてますので、10年先といえば確かに近いのかなと・・・。苦笑
ヒトの病原体としては、1960年に風邪をひいたヒトから、ヒトコ●ナウイルスB814が発見された。この株は培養が難しかったため後に失われた。1960年代には風邪をひいたヒト患者の鼻腔からヒトコ●ナウイルス229Eおよびヒトコ●ナウイルスOC43の2つのウイルスが発見された。当初はこれらのウイルスの関係は定かではなかった。ヒトコ●ナウイルスも一時はヒト呼吸器ウイルス(Human respiratory virus)とも呼ばれていた。
1960年代になると、電子顕微鏡写真で構造の類似が指摘され、コ●ナウイルスと呼ぶ人が多くなった。
とはいえ、日月神示の別の箇所には「岩戸はすでに開けている」という記述もあります。
岩戸とは人類のカルマのようなものなのですが、これを素直に読めば、やはり「新しい世界はすでに始まっている」という意味にとれます。
つまりは、五六七も岩戸も開けて、なんだか知らない間に新しい世界が訪れているみたいなことが書かれているのです。
「まじか?」と思うでしょうが、これは恐らく「新たな世界が始まりつつある」という解釈が適当でしょう。
五六七(ミロク)の世界についても、それは既に始まっていて、徐々に完成に向かいつつあるという解釈がベターなのかなと、そう思いました。
日月神示の予言で言うと2040年過ぎたあたりでしょうか、五六七(みろく)の世界が完成形になれば目に見える形になるのかもしれません。
でもまだ今は準備中で、各々の気の持ちようで新たな世界に住むこともできるよってことかなと解釈しております。苦笑
ところがですね、こんな謎めいた記述もあるのです。。。
五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。六六六がマコトのミロクの世であるなれど、六六六では動きないぞ、六六六は天地人の大和の姿であるなれど、動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、666となり又六六六とならねばならんぞ、新しき世の姿、よく心得よ。
ヨハネ黙示録では獣の数字として恐れられた666が、なんとミロク(弥勒菩薩)の数字だったとは!?
これはいったいどういうことなんでしょう、まったくもって大混乱です。苦笑
この辺の話の謎解きは伊都能売神諭という謎の書物などに書かれておりまして、また次回に詳しい話をしたいと思いますが、でも、567(コ●ナ)と666(獣)が関連するとなると、先ほどのヨハネ黙示録の一節が思い出されます。
また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、
すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。
この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
ここに、知恵が必要である。
思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。
その数字とは、人間をさすものである。そして、
その数字は六百六十六である。
コ●ナ=567=みろく=666=獣の数字=これがないと物が買えない、、、
コ●ナ=これがないと物が買えない、、、
え、、、
まさか、、、
ワ●チ●パスポート!?
いやー、それだけは許して―!!苦笑
いよいよ「五六七=コ●ナ説」が偶然とは思えなくなりましたが、もしかしたらこの先、あまり考えたくない未来が待っているかもしれませんね。。。
というわけで、かなり長くなりましたので、今日はこの辺で。
次回、お楽しみくださいー。