タヌコさん、コロリさんにも体調の波があります。
でも、まだ3歳のタヌコさんには波があるように思えません。
いつも同じテンションで、いつも同じボール遊びではしゃいでおります。
しかし人間の人生の波の多いこと・・・。
一日だけみても感情の起伏、大きいですよね。
体内時計ってあるよね
人間には体内時計というものがあるらしく、一定のリズムを持って毎日を生きているそうな。
徹夜したり、寝坊したりするとリズムが壊れると言う人がいるけど、
それは人間の能力をバカにした言い方で、
実際には徹夜したり寝坊したりしてずれた時間は、
その時間を正しいものとして修正してくれているらしい。
時差ぼけが直るのはそのためですな。
というわけで、そういった体内時計・リズムをバイオリズムという。
そんでもって、バイオリズムの計算法ってのがある。
微妙に周期が異なる体調、感情、知性と3つの波があり、
それの組み合わせでその日の調子を測る(予測する)というもの。
高校時代ちょっと流行ったので自分の生年月日から逆算してデータを作ってみたが、
まあ、さっぱり当たらないんだな、これが。
だって、体内時計が逐次乱れを微調整することを考えれば、生年月日以降、
完璧に周期が乱れることがないと仮定しているこの計算法は無理がありますよ。
波動論・・・すべてのものは波動らしい
人生で2回大学に行ったのですが、
最初の大学に入学した時、授業に「波動論」というのがありました。
実際に履修する前に中退しちゃったので概論しか知らないけど(苦笑)、
「すべてのものは波動である」みたいな理論らしい。
確かに物理的に存在するすべてのものが波動であるというのは正しいと思いますね。
なぜ正しいかというのを科学は実験で立証するんだけど、
自分のような理系挫折人間は実験などする資格はないので自分の感覚(バイオリズム)で体験しようと思ったのです。笑
上述の計算法みたいな、単純な計算方法でなくてね。
二元性のある存在はすべて波(波動)なのです
でバイオリズム計算で言うところの感情とか知性に周期があるという考え、
自分が思うに厳密な周期は無いと思うんですよね。
周期とは時間であり、時間というのは客観的に計る時間と、体感時間があるからです。
科学では客観性が無いとインチキですが、そもそも物事に客観性などないです。
絶対的な存在があるだけ。
つまり客観性を与えるのは人間だから、時間を主観で計っても本人がその時間を自分自身に適用するのであれば何の問題も無いのですよ。
簡単に言えば、こういうこと。
波動は波。
波にはMAXとMINがある。
これは二元論に集約されます。
正と負。暑い寒い。男と女。高い低い。
世の中の事象は二元論で説明されます。
波・波動は二元論の象徴であるということは、
世の中=人生とはつまり波動に還元できるのであります。
そして片方の概念が無ければ片方の概念も決して存在しない。
闇で暮らす人間は明暗を理解できない。
つまりそれは、客観的な存在であり絶対的なものではないのです。
存在するすべてのものを人間が意味づけしているのです。
人生は「らせん」なのです
すべてのものが変化しています。
主観的(非科学的)に見れば仏教の諸行無常だし、客観的に見れば科学的に言うエントロピーの法則。
つまり暑いときがあれば寒いときもある。
地球が傾いてるおかげで常夏の熱帯地方でも寒暖の差はある。
つらいときもあれば楽しいときもある。
ところで、世の中の事象が波であれば、必ず0と1のどちらかです。
でも、でも、でも、絶対的に同じ現象というものは存在しません。
今日と明日は太陽の位置は同じでも全く異なる1日がやってきます。
それはつまり、世の中は二次元的な波ではなく立体的であり、つまり「らせん(スパイラル)」なのです。
人生はらせんなのです。
波に時間軸をプラスしたものとです。
余談ですが、円は波で球はらせんとも言えます。
普遍的な「形」に人生におけるドラマ凝縮されていると思うとちょっと感動します。
すべてが波であることを知ると強い!
物事、人生、自分自身には波、バイオリズムがあることを人生において悟る意味は大きいと思います。
今生きている人の中で、生まれてずっと不幸だったという人はいないはず。
すごく小さな瞬間だが幸せなこともあったはず。
「苦しい!悲しい!」
けれど、もう少し我慢すれば必ず楽しい!嬉しい!ときが来る!
それを知っている人は我慢ができる。
「これって最高におもしろい!」
けれど、必ず飽きる、退屈する時が来る。
それを知っている人は執着しない。
これは偶然とか、運が良いとか、そういうものではありません。
知識です。
人生には波があるという知識です。
知識だからこそ、知っておくと強いのです。