1999年のノストラダムスから、2012年のマヤの預言まで、
過去には様々な預言がありました。
「1999年に世界が滅びなかったので、ガッカリした」
という人もいるようですが、それってどうなんでしょうか!? 笑
日付が公表された時点で予言は成就しない
そもそも預言の後付けなら誰にもできます。
ノストラダムスや過去の偉人が記した書物の一部分が実は預言だった!
みたいな本をたまに見かけますが、その内容の多くが「こじつけ」的なものが多い印象があります。
つまり、敢えて「預言である」と思って読めば本当に預言のように読めるだけで、
まったく素の状態で読んだら、誰も預言と気が付かないレベルだと思うのです。
というか、誰もわからない時点で、そもそも予言でも何でもありません。苦笑
マヤの預言についてもそうです。
古代のマヤ人にしてみれば、
「カレンダー作るけど、とりあえず、2012年まででいいよね?」
的な発想で作ったのかもしれません。
ま、そういう理由ではないと思いますけど仮定の話です。
僕は(当然ですが)マヤ歴の2012年に世界は終わらないと思っていました。
アナログ放送は終わりますが、地球とこの世界、文明は存続するのは確実だと思ってました。
仮にもしもノストラダムスやマヤ歴が、それぞれ終焉の時として1999と2012を記したのだとしても、
そもそも1999や2012年という具体的な日付が出た時点で、
この預言は「ない」と思っていました。
予言の類の全てに当てはまるのですが、
日付が明確に公表された予言は、なぜか当たりません。
そして、それには理由があります。
ジュセリーノの予言が当たらなくなった理由
ところで一時期、ブラジルのジュセリーノ氏の地震予知が流行りました。
テレビでも何度か特番で取り上げられました。
でも、なぜでしょうか、ここ最近はハズレが多いように思います。
ちなみに彼は予知の全てを公正証書という形で残しているそうです。
なので、過去の予言が当たったという証拠は、
彼の母国ブラジルの公正証書の信頼性にゆだねられており、
万が一公正書証がウソだったら、
その国は近代国家とはいえないと思いますので、
およそ、彼の「過去の預言」の存在と、
過去にいくつか当てたという事実は本当なのだろう思います。
(数うって当たっただけかもしれませんが)
では、なぜ最近はハズレまくっているのか?
それは、おそらく、世界中に大々的に彼の予言が公表されてしまったからだと思うのです。
前出の「日付が公表された予言は当たらない法則」です。
運命論とは何か?
多くの人は、ちょっと預言が外れると世間を騒がせた悪い奴だとかインチキ野郎だと騒ぎますが、
個人的にはノストラダムス(五島勉)やジュセリーノがインチキであるとは思いません。
むしろ、彼らとその予言の存在が、世間に大々的に公表されてしまったため、
預言が当たらなくなったという可能性も考えられます。
それは、運命論からいっても妥当な結論です。
運命論とはなにかと言いますと、
そもそも運命とは何かという話になるのですが、
あくまでも1つの考え方としてお話ししますと、
運命とは自らが生まれてくる前に「自分」または「誰か」が決めたシナリオだと思っています。
人はみな、自分がいつの時代に何者として、
どのように生きるかを本能レベルで決めて生まれてくるのだと思うのです。
そして、それに意識的に反しない限りは、
運命に向かって潜在意識(本能)が自動的に勝手に導いてくれるものだと思うのです。
あくまで「運命というものがあるとすれば」の話です。
人は顕在意識ではそのシナリオに気がつかずとも、
潜在意識=深層心理で自らのシナリオを全うすべく現実世界を生きているのです。
なぜなら、そうすることが、その人の本質(=エネルギー)の成長(=バランス)にとって有益だからだと思うのです。
人間の本質的な成長とは、物理でいうところのエントロピーの法則や重力の法則と同じように、
「エネルギーは、それが落ち着くべき場所に落ち着く」という理論に近いと思っています。
安定して静止しているように見えて、原子やもっと小さなレベルでは絶えず物体は運動し続けており、
日々、エネルギーの状態が変化してしかるべき場所にいきつく、そんな状態です。
さらに、行きついたとしても、他からの影響によりエネルギーが増幅されて、
さらにまた安定した場所を探そうと動き出すという終わりのないループなのです。
運命に従うことが最善の選択
人間とは、その根本にある意義は、
エネルギー状態の安定のために、ただ存在しているだけだと思うのです。
そのために存在しているだけなのかというと、つまらない人生に感じますが、
バランスが取れた人生というのは極楽そのものです。
大自然の中で、自然との一体感を感じる時が誰しも一度はあると思いますが、
そんな時って心も体も軽く楽しく幸せに感じると思います。
ある意味で本当に大切なのは、そんな程度のレベルだと思うのです。
しかも退屈であれば、一か所にとどまらず、少しばかりエネルギーをかき乱し、
敢えてバランスを崩して異質な世界とのコミュニケーションを経て、
さらに次のバランスポイントを見つける旅に出ることもできます。
やはり、終わりのない旅です。
ま、人の肉体には寿命がありますが、精神(エネルギー)は滅びないと仮定すれば、です。
運命を知ってしまったら八百長だし効果半減
つまり、より大きな視点で見れば、
日々の出来事で生まれる感情や行動、すべてがエネルギーバランスを取るための練習であり、
そのもっとも効率の良い練習計画が、生まれる前に決めた人生のシナリオだと思うのです。
でも、そのシナリオを知ってしまったら、それは八百長であり、せっかくの練習効果も発揮されません。
または、普通の人であれば、自分が決めたのに自分が決めたとも思えない、
謎の運命のシナリオ通りに進むことを自ら拒むこともあるでしょう。
なぜなら、人間目線で見ると幸せなシナリオではない場合もあるからです。
そのため、運命を知ってしまうとその結果、
最良の人生を得るための進化という効果を得ることができなくなってしまうのです。
たとえば、「2012年12月22日に溝に落ちて頭を打って大けがをする」というシナリオを知ったら、
きっとその日には家から一歩も出ないでしょう。当然。笑
可能性として、人によっては人間の心でマイナスに見えるシナリオを事前に準備する場合もあると思うのです。
でも、そうすることで、その経験を積むことで、克服することで、なにかを得たかったと予定していたのかもしれません。
可能性としてはあり得ると思うのです。
となれば、不意に未来を知らされるということは、
本人の潜在的な意味での成長のためにはマイナスになることもあるというわけで、
その預言の成就を回避しようという潜在意識の策略が同時に生まれるわけです。
ましてや、預言などという多くの人に影響のあるものは、
それが世間に大々的に広まったとなれば、
それを実現させてはいけないという多くの人々の潜在意識の策略=エネルギーも莫大なものになると想像できます。
その集合した膨大な意志のエネルギーが、予言を成就させないようにすべてを動かすとも考えられるのです。
もちろん、現代科学の範疇において、世の中の事象は形も何もない誰かの意志が影響するなんて馬鹿げた話ですし、
そもそも荒唐無稽な理論ではあるのですけどね。
しかし、予言と言うものがあるとしたら、
運命論や、予言回避の反作用、そういった科学の枠を超えたことが起こっても不思議ではありません。