誰もが一度は考えると思います。
人生とは何か。
その答えのうちの代表的なものが「人生は暇つぶし」なのですけども。。。
納得できますか?
「人生は暇つぶし」笑
でも、確かにそう思う時もありますよね。
タヌコさんは恐らく「人生の目的」などというものは、
なにも見出していないだろうと思われますが、
犬たちを見る限り(暇つぶし的人生)が最適解なのかもしれません。
でも、それだとブログを書く意味がないので、
昔から色々と考えている自分なりの答えを書いてみます。
目次
人類2000年?4000年?かかって答えはない
誰か正しい答えを出してほしいなと思いつつも、
答えは見つかりません。
不思議なもので有史以来、誰一人としてバシッと一言で答えを出してくれた人はいません。
もちろん、これは僕がそう思うだけであり、
「いやいや、釈迦やキリスト、著名な哲学家が人生の目的を語ってるではないか!」
という人もいらっしゃるかと思いますが、
そういう人はOKです。
それでいいと思います。
答えをご自身で見つけてらっしゃるからです。
でも僕は、なんというか、シンプルで簡単で誰もがすぐに理解できて、
それを実践しても誰も困らない持続可能な人生の目的の答えが簡単な理由込みでほしいのです。笑
大学時代「人生はゲームではないか?」と思った
あれは大学時代でしょうか。
人生はゲームのようなもので、何ら意味はない。
そういう考え方を持っていました。
人生なんて1回きりだし、ゲーム感覚でやりたいことをやらないと生きてきた意味がない!
と思っていたのです。
でも、そういう生き方をしていたら、
襲ってくる数々の困難により、
どんどんネガティブな感情に襲われて人生が嫌になってきたのです。
20代の頃です。
「なぜ自分ばかり辛いことが起こるのだろう!」
そういう思いがつのって鬱々としていたのです。
人生のペーパードライバー
今になって思うのですが、
若い頃の自分は世間知らずでした。
人生はある種ゲームのようなものだという考えは、
さほど間違ってないと今でも思ってますが、
ただ、人生のゲームのやり方を知らなかったのです。笑
実力もないのに「勝てる!」と思っていたし、
努力もしないのに「できる!」と自信過剰気味でした。
そして経験してみて初めて人生の厳しさに気が付いて、
失望感や絶望感を味わって何もかも嫌になってしまったのです。
だったら、みんなの真似して普通に無難に生きてりゃよかった、
何度そう思ったことでしょう。。。
(それさえもできるかわかんないのにね。苦笑)
つまり人生ゲームのペーパドライバーだったのです。
でも、こうしてうまくいかないことが続くと、
「何のために生きてるんだろう?」
「人生って何だろう?」
と益々考えてしまいますよね。
人は進化し、学ぶために生きている?
そうこうしているうちに、だんだんと人生もうまくいくようになってきます。
田舎暮らしを始めたくらいの時期ですね。
すると、1つの人生についての考えが頭に浮かびました。
それは、
「人生とは学びではないか?進化ではないだろうか?」
という考え方です。
生物としての人間を考えれば、
より環境に適応して、この地球上で優位な地位を築くのが生物の本能であり、
人間もそうあるべきですし、
そのように作られているはずです。
ただし人間には高度な理性と頭脳があるので、
犬や猫などの動物たちよりも学ぶべきことは多いですけどもね。
色んな環境に適応できるような生物的・身体的進化であったり、
人間性や社会性などの内面的な「心」の部分の進化も、
遺伝子の情報として次の世代に残せます。
なので、きっとこれが人生の目的なのだろうと思うようになりました。
これは30代の前半くらいまで、
割と自分の中で「確からしいものを見つけたな」と思っていましたし、
今も半分くらいはそうだと思っています。
でも、よーく考えてみると、
もしも生きる目的が成長や進化であるなら、
よほど悪事を働かない限り、ほぼ何をしたっていいじゃないか?
と思ったんですよね。。。苦笑
結局、この視点で人生の目的を考えると、
具体的に何をするか、何を目標とするのが正解かという問いに突き当たるのです。
小さな人生の目的・目標は必要だ
実際、こんな大きな目的のために生きていくって不可能ですよ。
「よおし、おれは人類の進化の為に、頑張るんだ!」
とか、何言ってんの?正気なの?って話です。笑
かろうじて、
「自分の成長の為に頑張ろう!」
と思ったとしても具体的な何か目標が無いと、
ただそれだけでは何を頑張ってるのかよくわからなくなるし、
そもそも退屈してきます。
実際、田舎暮らしを始めて、
しばらく平和な毎日がただ過ぎていくだけで、
あまりに退屈過ぎたのです。
実は、僕が20代の頃にうまくいかなかったこと、
具体的には「作家になりたい」という夢の背景には、
自分のペースで自由に働きたいという大学時代からの夢があったのです。
ところが、田舎暮らしを始めると同時に、
パソコン一つあればどこでもいつでも仕事ができるという、
まさに自由な生き方を達成できてしまったので、
なんにも目標が無くなって退屈してしまったのです。
でも、退屈するってことは、何かが間違ってるんじゃないか?
と思ったのも事実なんですよね。。。
やることなすこと事前に悩むのはどうか?
とりあえず、小さな目標が無いと、あまりにも退屈。
例えば、僕は今でこそ家や車のブログを書いてますが、
実は今まで家や車にはまったく興味がありませんでした。
いや、正確には長らく興味を失っていました。
妻と結婚して「生活」のことを考えるにつれ、
「子供の頃は大きな家に住むことが夢だったなあ」
とか、
「若い頃は友達が乗ってるような格好良い車に憧れたなあ」
とか思い出してきたのです。
まあ、昭和世代の発想かもしれませんが、本当にそう思っていたのです。
でも、そこに葛藤が生まれます。
それって、単なる物欲じゃないのか?
それをすることで自分自身の成長の為に何の役に立つのだろうか?
割と悩んだものです。
例えば、歴史に名の残る聖人と呼ばれるような人は、
大きな家に住みたいなんて思うだろうか?
とか、格好良い車に乗りたいと思うだろうか?
とか、そうい事を考えてしまうのです。
まあ、「人生の目的って何だろう」って常に考えてる人間ですから、
そういう、ややこしいこともついつい考えてしまうんですよね。。。
聖人でもないのに。笑
この「悩む」ってのが、どうも不快な行為でして、
ここにも間違いがあるんじゃないかと思うようになったのです。
やりたいことをやるのが人生の目的だ!
そんな時、やっぱり人生の目的は「やりたいことをやる」なのだろうと思ったのでした。
人生の目的をあれこれ思い悩むとか、
そういう不快な悩みが人生に必要なのか?
と思ったのです。
「やりたいことをやる」を続けていれば、
退屈しないし、悩みもしませんからね。
パーフェクトです。
やってみたい!
そして、それができる環境だ!
だったらやればいいじゃん!
非常にシンプルでわかりやすい。
もちろん、それができなかったら仕方ありません。
さらに嫌なこともせざるを得ない環境であれば、
それは甘受するしかありません。
あくまでも自分自身の生きてる環境において、
出来る範囲で考えたうえで、
それができるのにしないのはどうかな?と思ったのです。
むしろ、できなさそうなことでも、それを目指すことが楽しいってこともあるでしょ?
さらに万が一にも限界突破することで何かを後世に残せるかもしれませんしね。
世の中は何でもありだ
さて、結論です。
人生の目的とは何か?まとめますと、
「やりたいことをやる!」です。
なぜ「やりたいことをやる」のかと言われれば、
理屈じゃないですね、楽しいからですね。
楽しいという感情を味わいたいからするのです。
しかも、基準がシンプルなので悩まなくても良いですし。
そして、楽しい感情は体調を良くさせるし健康にもなります。
やっぱりパーフェクトです。
繰り返しますが、
楽しくないことをしなくても良い環境なのに、
敢えて楽しまない理由はありませんし、
楽しいことができる環境なのに、
敢えて楽しまない理由もありませんよね。
まあ、理由があるとすれば世間体ですけどね。。。苦笑
僕が田舎暮らしができたのも世間体を気にしない独り者だったからですけども、
家族と一緒に暮らす人や強固な地域コミュニティに属する人は厳しいかもしれません。
でも、そういう人はできる範囲で楽しめばよいと思います。
気持ちの方向性が大事です。
自分探しの旅は年老いても終わらない
結局のところ、やりたいことや楽しいことは人によって異なります。
それを見つけた人が残りの人生を楽しめるのかなって思います。
なので人生とは何かと問われれば、
具体的なことは、その人の内面にしか存在しないというのも結論です。
僕は常々、人生は、というか、この世界は何でもありだなあ、と思っていまして。
なぜなら、想像できる起こりうることはすべて実際に起こる、または、起こる可能性があるからです。
でも、世界は何でもありだとしたら、
それゆえに、
その答えはやっぱり各々の内面にしか無いではないか!?
とも思うのです。
なので若いうちは独力では見つからないかもしれません。
でも、定年してから「ついに見つけた!」という人も世の中にはたくさんいますよね。
年齢は関係ないんです。
見つけたもん勝ちですよ。笑
たまに、大人になってから自分探しの旅をしてる人を笑う人がいますが、
他人を笑ったり文句を言う人って裏返せば人目を気にして生きてる人でして、
それって自分の人生を生きてない証拠なんですよね。
人それぞれ全部異なる人生があることに気が付いてないんです。
なので、どうもしっくりこない、なにかしら迷ってるという人は、
周りの意見はひとまず横に置いておいて、ただシンプルに、
「自分がやりたいと思ったことをやってみる」
と軽い気持ちで行動を起こすことが、
何かを変えるきっかけになるかもしれません。