【奈良・甘樫・板蓋宮・石舞台】蘇我氏のゆかりの地を巡る

前回の奈良旅行(Part1)のPart2です。

USJの翌日は、旅行最終日です。

今日こそは蘇我氏の謎を、より深堀して探ってみようと思います!

ちなみに妻は昨日で旅行は終わったと思っております!!

 

蘇我氏が住んでいた土地(甘樫)

さて、まずは、蘇我氏が住んでいたという物件を見に行きましょう。

この丘が蘇我氏の所有不動産だったそうです。

 

これ、まじですごいです。

こんな飛鳥(首都)を見渡せる土地を天皇でなく蘇我氏が所有していたなんて、まさに天皇になり損ねた豪族と呼ばれただけのことはあります。

奈良盆地の真ん中に遠く見えるの小山は畝傍山でしょうか。

 

そして、たぶん、右側の遠くに見える小山は耳成山でしょうかね。

こんな別荘地、住んでみたいなあ。

 

ちなみに、あちこちに木の枝が落ちてましたが、これ、なんかのおまじないでしょうかね。それか鳥とかのイタズラ??

必ず、このくらいのサイズで葉っぱと実がついてる枝が10mくらい感覚で小道に落ちてるんです。。。

 

さてさて、散歩道を進むと、こんなちょっとした休憩所もあったりして。

いやーこの蘇我氏物件! 買いますか?買いませんか?

「買いまーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ーーーーーーーーせん!!」 

売ってません。

 

石舞台古墳などなど

さて、次は石舞台古墳です。

こちらは、蘇我馬子の古墳だと言われています。

 

ここって昔は無料だったんだけどね。

いつのまにか、有料になっております。

 

こんな古墳が作れるなんて、実は蘇我氏って、やっぱり天皇だったんじゃないかという説もありますよね。

乙巳の変でクーデターにあい、のちの歴史書が時の政権によって都合の良いように「蘇我氏=悪者」に書き換えられてしまったのではないかと。

 

墓の中に入ると、馬子の声が聞こえてきそうです。

「わーたーしーはーやってないー、けーっぱーくーだー ♪」

いやー、怖い怖い。

次に行きましょう。

 

高松塚古墳

さて、次は天皇家の古墳巡りです。

さて、だんだんと妻が「暑いー、まじでだるいんだけどー。」、っ感じになってきましたよ。

ここは、いったん、冷房の効いた博物館の中へ。

あの有名な壁画を見に行きました。(写真NGです)

 

ちょっと涼んだところで、再び古墳散策です。

あ、ちょ、、こ、これって、住友林業のワクワクマウンドですよね。

ちなみに先日、住林の人に「庭にワクワクマウンテンを作って。」と言ったら、「そんなもんありません。」、と言われましたけどね。

 

さて、奈良ってすごいですよ。

田舎で何もないですが、ちょっと歩くと、そこら中に古墳やらデカい石やら落っこちてるんです。

この「鬼の雪隠」て鬼のトイレっていう意味ですが、これも巨大石です。

 

作りかけの古墳らしいですけどね。

こういうのが、あちこちにゴロゴロと落ちているんです。

 

こちらは天武と持統天皇陵です。

夫婦の墓ですな。

 

すごい坂ですね。

はい、妻は車で待ってますのでひとりでダッシュで登って参りました。

 

天皇陵ってなんでこうすがすがしいんでしょうね。

神武天皇陵はもっと広大ですごいですけどね。読者の皆様も一度行ってみてください。

 

奈良県立万葉文化館

さて、確かに夏は暑いですね、外なんか出歩くもんじゃありません。

そういう時は、博物館が涼しくてオススメです。

というわけで、奈良県立万葉文化館に行ってきました。

 

ここは、そんなにメジャーな感じではないのですが、かなり良いです。

「せんとくん」も出迎えてくれます。

 

いやー、でもココ、マイナーですが、絶対にお金かけてますよ。

とくに、このリアルな展示物。

 

なんだか動き出しそうで怖いです。笑

いや、これ一人で見るとちょっと怖いですよ。

実際あまり観光客いないし、ちょっとした肝試しです。

 

ところで万葉文化館の隣には売店があるのですが、そこにも展示があるのでお見逃しなく。

お祭りについて展示していました。

 

これを読むと、なにやら、いかがわしいことが書いてます。

こういうエロイ祭りって、どうして全国に多いんでしょうかね。

 

祭りって本当に収穫の神様とかと関係がある行事なのか、考えちゃいます。

もしかしたら、昔の酔っぱらい百姓とかが、ふざけて始めたことが祭りになって全国に広まったとか。 。。この説、ありえるな…。

 

伝飛鳥板蓋宮跡飛鳥板蓋宮(イルカの殺害現場)

さて、最後の最後は、板蓋宮(いたぶきのみや)にやってきました。

ここは、皇極天皇が蘇我入鹿に作らせた皇居です。

そして、なんとここで蘇我入鹿が殺されたのです!乙巳の変ですな!

もうここまでくると妻は「疲れた」とかいって車でTV見ながら留守番です。

一番盛り上がるところなのに!苦笑

というわけで、夏の暑い中、一人で延々と田んぼの真ん中を歩いて「お宮」跡地を探しにいきました。

10分くらい歩いたでしょうか、はい、着きました、板蓋宮です。

 

周りには、なーんにもありません。

そして、井戸の跡。

 

日も暮れて、なんだか良い雰囲気になってきました。

 

飛鳥地方はあれだけ栄えて宮がたくさんあったはずなのに、ここしか発掘されてないそうです。

↓ 字がちっちゃいけど読めるかな。

 

こんな田んぼの真ん中でクーデターが起きたなんて、すごいなあと。

思わず、夕暮れの中、ボーっと一人で立ちすくんで10分くらい眺めてました。

 

飛鳥寺 & 蘇我入鹿の首塚!!

さて、近くに蘇我入鹿の首塚があるとのことで、さらに歩いて行きました。

飛鳥寺です。

 

ここには大仏があるそうでしたが、もう夕方なので閉館してました。。。

大仏マニアとしては非常に残念!

こうなったら清宮選手を大仏に見立てて拝むしかありません。

 

すると、なにか案内板が。。。

ま、ま、まさか、この近くにあるのか!?

 

寺を出てしばらく歩いて行くと、夕日を背にして神々しい何かが見えてきました。

あれはなんだー!?

 

ついにやってきました、蘇我入鹿の首塚です!!

お賽銭を置いて、拝んでまいりました。 なーむー ♪

 

しかし、本当に蘇我入鹿は「悪者」だったのか?

最近、実はクーデターを起こした、中大兄皇子、中臣鎌足こそ悪いことをたくらんでいたという説も出てきています。

学研の漫画とかでも蘇我氏はもう顔からして悪人に描かれていますが、あれも政権側に都合の良い話を元に作られたイメージですからね。

子供のころから蘇我氏=「悪」が植え付けられてきましたが、実際にはそうでなかったのかもしれません。

ホント、実は天皇だったのかもしれません。

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