さて、今日もまたスピリチュアルワールドの話です。
まあ、マテリアルワールドにおけるオアシスみたいなものですが、
一部、怖い世界もあるので注意しましょうね。苦笑
ところで、このスピリチュアルという世界は、
文字通り精神の世界なわけですから、
その意味では、その人の心の中にしかない世界ともいえます。
僕なんか霊が見える人や霊感の強い人に、
「あなた霊感が強いよね? あなたは勘が良いから怖いな。」
なんて毎度のごとく言われるのですが、
自分自身は霊とかオーラとか見えませんからね。苦笑
なので、自分でもスピリチュアルな世界の存在を、
疑わしく思う時もたまにあるくらいです。。。苦笑
スピリチュアルは量子力学の世界なのか?
なにしろ科学で証明ができないので、
どうしようもないですよね。
でも最近、いや昔からこのように言う人はいました。
「精神世界は量子力学で説明ができる」
はたして本当にそうなのでしょうか?
僕が思うに、確かに量子力学的な世界に似てる部分はあります。
例えば量子力学の実験に、
「二重スリットの実験」
というものがあります。
すみませんが実験の詳細は、別途ご自身でググって頂きたいのですが、
超・簡単に説明すると、
観測してない時に存在したものが、観測してる時には消えるという、
あり得ない結果が出た物理学会では超・有名な実験です。
スピリチュアルの話で例えると、
あなたが一人でいる時、後ろにいつも幽霊がいてジッとあなたを見てるんですが、
ふと後ろを振り返ると幽霊はいない、的な感じですね。笑
つまり、幽霊の話も量子力学の論理で説明ができるということです。
二重スリットの実験がそもそも怪しい
世の中の科学者が結果を受け入れている実験を、
ド素人の僕が完全に否定するなんてことはしませんが、
なんとなく感覚的に、実験方法に何らかの穴がある気がしてなりません。
まだ誰にも知られていない穴が。苦笑
スピリチュアルが量子力学で説明ができるとすれば、
怪しい世界から脱却できる絶好のチャンスなのですが、
それに水を差すような発言で恐縮ですけどね。笑
確かにスピリチュアルの世界は心の世界です。
物理学的な最小の粒子(量子)で成り立っている可能性は否定できません。
であれば量子力学で説明できるはず。
でも、物理学で言うところの量子よりも、
さらにまた微細なものではないかと思うのです。
なので、その法則性も異なるだろうと思うのです。
この世界は時間さえ超越しますからね。
やりたいことをしている人は時間を超越する
時間を超越すると言えば、
こういう経験はないですか?
なにかに夢中になっている時、
スポーツをしている時かもしれませんし、
家でゲームをしている時かもしれません。
受験で勉強してる時かもしれませんね。
そういう時って、時間が進むのが異様に早く感じませんか?
僕もブログを書いたり絵をかいたり創作活動をする時や、
ゲームをしてる時は、あっという間に時が過ぎてしまいます。
このような「時を忘れるほど」夢中になる楽しいひと時を過ごすと、
周りの時間がどれだけ進んだとしても、
人間の体内時計は自分が体感したほどにしか進まないという考え方があります。
もちろn科学的に実証されていないと思いますけど、理論的にはあり得るかなと思います。
実際、楽しい事ばかりしてる人って若く見えませんか?
まあ、もちろん個人差がありますが。
でも僕はある意味で時間とは主観的なものだと思っています。
先ほどの二重スリット実験の観測者は「センサー」という機械ですが、
実際の人が観測をする場合に、かなり主観が入りこむわけでして、
結果が人によって異なるのを避けるために、機械を使うのですが、
つまり科学の世界は客観主義なわけです。
でも果たして、この世界は客観なのかという疑問もわいて出るわけで、
実際はすべてが主観で成り立っているとも考えることも可能です。
すべてが映画「マトリクス」の世界という考え方ですね。
可能性としては十分にあり得ますよね。
ほんとに。
見えない世界は「なんでもあり」の世界
さて、収集が付かなかくなりそうですが、一つ確実に言えるのは、
スピリチュアルの世界が「あるかないか」は、
現代の科学では証明が限りなく難しいということ。
何故ならその世界は究極の主観の世界だからです。
それを見て聞いて感じる人の心によって変化するのです。
例えば「天国」を見たという人が仮にいたとしても、
辺り一面「お花畑」だったという人もいれば、
いや「神殿」があった!という人もいるわけです。
ある意味で、「そんな信用ならない世界は、そもそも存在しない」と思う人もいるかと思います。
でも、その人の頭の中にはある、というか経験という確固とした事実が存在しているのです。
この世界は究極の主観で成り立っていると思えば、まさに脳内体験も事実の一つ。
いや、本当に、そういう世界なんです。
とはいえ、状況証拠的なものだったり、
以前にも書きましたが、前世の話では、
客観性のある事実ではないかと思いたくなる事例もたくさんあります。
でも、その人が頭に思い描いたものは誰にも見えないし、
感じることもできないし、
科学でもそれをとらえることはできませんから、
やっぱり証明はできてないのが現状です。
ただ、それを感じる人自身が表現することでしか、
自分以外の人々に感じさせる方法はありません。
つまり、それらの世界に触れた人が話すこと表現するものは、
すべてその人の「創作」であるとも言えます。
なので僕が前世の話を書いたときに、
「これは創作だと思ってもらって結構です」
と書いたのです。