飛騨の口碑によると飛騨こそが皇室の本家

もっと時間があったら古史古伝をじっくりと読んでまとめてみたいんですが、いかんせん時間がありません。

とはいえ、ざっくりとまとめてみるだけでも何らかの発見があるのが古史古伝の面白いところです。

 

自分なりに古代史の答えが得られる喜びと興奮は、ただの自己満足にしておくにはもったい限りです。笑

これを読者の皆様とぜひシェアしたいなと思いまして、今回は「飛騨の口碑」をご紹介します。

 

「飛騨の口碑」は「ひだのこうひ」と読みます。

飛騨に二千年以上の昔から口伝で伝わった伝説です。

 

「飛騨の口碑」については、実は以前に南海トラフ地震、ウエツフミについて書いた以下の記事でさらっと紹介しております。

ちなみに「飛騨」と言えば、あの呪術廻戦に出てくる両面宿儺ですが、これは実は日本書紀に出てくる飛騨の妖怪です。

朝廷に従わない怪物・妖怪とされていますが、実際には飛騨の豪族で、地元では勇者だったとも言われています。

房総は鹿野山の阿久留王を思い出させます。

 

さらに、あの「君の名は」の舞台となった架空の街「糸守町」も飛騨ですね。

そして主人公の実家の宮水神社は飛騨の日枝神社がモデルとされています。

 

飛騨というのは実はけっこう都市伝説やスピ系に理解のある作家にとって非常に有名な聖地なのです。

というわけで、今日は飛騨、いや、飛騨の口碑のご紹介です。

これはまさに歴史の大どんでん返し。

超おもしろいので、ぜひぜひ、お読み下さい!

 

飛騨に行ってきました

実は先日、2年半ぶりの帰省と同時に飛騨に行ってきまして。

これはこれでまた別でご報告しますけども。

写真は「飛騨の里」です。

ところで、なぜわざわざ飛騨に行ったのか。

それは我がドラゴンズの期待の若手である根尾選手を応援するためではありません。笑

根尾 昂(ねお あきら、2000年4月19日 - )は、岐阜県吉城郡河合村(現:飛騨市河合町)出身のプロ野球選手(投手、外野手、内野手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。

根尾昂

それは、飛騨の口碑のルーツを探るためなのであります!

 

と言いつつ、たっぷりと飛騨高山観光も楽しみましたけどねー。

飛騨牛コロッケ、飛騨牛寿司なども頂いて参りました!

なにしろコロナ明けで超・久しぶりの遠出ですので、たいへん楽しかったです。

知る人ぞ知る! 福来記念・山本資料館へ!

さて、飛騨高山へ行った一番の目的は福来記念・山本資料館です!

ここは、(一財)飛騨福来心理学研究所が運営している施設です。

ここが一番の目的でした。

(ま、一緒に行った妻は最初から飛騨・高山観光がメインだったんですけども。笑)

 

ところで、このブログ読者の皆様なら、福来記念・山本資料館と聞いてピンと来る人も多いかと思います。

そうです、あの福来友吉博士です!

 

福来 友吉(福來 友吉、ふくらい ともきち、明治2年11月3日(1869年12月5日) - 1952年(昭和27年)3月13日)は、日本の心理学者、超心理学者。東京帝国大学助教授、高野山大学教授。文学博士(1906年)(学位論文「催眠術の心理学的研究」)。念写の発見者とされる。
・・・中略・・・
1913年(大正2年)、福来を信奉していた催眠術者高橋宮二が妻の高橋貞子を指導し初歩の念写を成功させ、福来の指導を仰ぎに来た。福来は疑惑の要因を一切断って井上哲次郎や筧克彦などの立ち会いの元で念写を成功させたとしている。

福来友吉

 

スピ系、都市伝説系に疎い人でも、映画「リング」の貞子といえばご存知ですよね。

上記引用に出てくる高橋貞子氏は、まさにその「貞子」のモデルの人物であります。

 

そしてこの福来博士の出身地が飛騨高山ということなんですねー。

あれもこれも不思議な話は全部「飛騨」なのです!!笑

 

もちろんそれだけでなく歴史的にも超・古代史の残されている場所でありまして、まさに、飛騨は知る人ぞ知る「聖地」なのです。

僕も一度は行ってみたかった場所なのです。

※ 岐阜は小学生の頃、家族旅行で恵那峡ランドに行った以来です。笑

 

さっそく山本建造氏の書籍を購入!

ところがですね、このご時世ですので、念のため出かける前に福来記念・山本資料館が営業してるか電話確認したんです。

そしたら、案の定、コロナのため休館中とのことでして……。涙

 

しかし、ここは予想通りでしたので、今回は泣く泣く(でもないけど)観光に徹することにしました。

記念館の展示なども見たかったのですが、最終目的は書籍の購入でしたので、ネットで購入すればいいかなと。

・・・飛騨の口碑の情報は本を買わなくてもネットに多々落ちてるのですが、やっぱり原書は読んでおきたいなと常々思ってましたからね。

でも、「どうせ買うなら現地で」と思っていたのです。笑

 

というわけで、さっそく帰宅後に注文しまして、こちらの4冊をGETしました。

が、なぜか全部で5冊入ってまして、なんでだろ?

恐らく、4冊まとめて購入したからでしょうかね、「食料の備蓄 200円」というミニ冊子がサービスで付いてきました。(ありがとうございます。笑)

ま、このご時世、非常にタイムリーな食糧備蓄がテーマの小冊子ということで驚いてしまいましたけどね。

 

あと、これらはAmazonでは高値の中古しか売ってませんのでご注意ください。

下記リンク先にあります福来出版のネットショップにて定価で購入可能です。(アフィじゃないよ。笑)

 

福来出版

※ クレジットより代引きの方が安いです。

 

ところでこれらの書籍、表紙をみますと「神武以前」は著者が(故)山本建造氏。

しかし、それ以外の3冊は著者は山本貴美子氏となっており、山本建造氏は「原著」となっております。

山本貴美子氏は山本建造氏のお弟子さんですかね。(または夫婦?親子?)

 

ちなみに、上記WEBサイトを見るとわかりますが、この福来出版からはいろんな本が出ているようです。

なので、山本建造氏の古代史関係の書籍を順番に読みたいなと思ったら、どれを購入すればよいのだろう?と迷う人も多いかと思います。

僕も購入時に迷って、結局上記の4冊を購入したのですが、本と一緒にこんなプリントが入ってまして。苦笑

さすが、飛騨の口碑に興味を持って書籍購入しようとする人の疑問点をよく把握しておられます。

買う前にこれを読みたかったな。笑

でも、1,5のダイジェスト版を読んで概要をつかんだ後に、2,6を読むという自分の考えで間違ってなかったことを確認できました。

 

飛騨の口碑とは何か?

さて、まずは「飛騨の口碑」とは何か、から解説します。

これは先ほどから名前の挙がっている、故・山本建造氏が、飛騨の古老(語り部)から口伝として授けられた飛騨の歴史物語です。

この飛騨に二千年の昔から伝わる口伝を、山本建造氏が託され、何冊かの書籍にしたのです。

 

そこには飛騨の側から見た、古事記・日本書紀の裏側・真相が語られています。

ちなみに古事記の編纂者でもある稗田阿礼の読み方はヒエダノアレですが、本当はヒダノアレと読むそうです。

つまり、飛騨に住む阿礼さんという意味なのです。

実際に、飛騨には阿礼さんという稗田阿礼の子孫を名乗る方がいらっしゃるそうです。

 

ところで山本建造氏は教師をしていた人だったようですが、幼いころから霊感や超能力が使える人でもあったようです。

病人を治してしまうなど日常茶飯事で、飛騨の地元では有名人だったようです。

 

そんな山本氏の活躍を耳にした(代々飛騨の口伝を受け継いできた)ご老人が、山本氏を口伝の継承者に定めたというのです。

しかも、世の中が平和になったら口伝を公開して本にするようにと託したというのです。

 

というのも老人の息子が大酒飲みで口が軽いから、口伝を伝承させるのに不安だったそうなのです。笑

当時は戦時中で、記紀以外の歴史を酔った勢いで語ろうものなら不敬罪で逮捕、下手したらリンチされて殺される可能性もあったからだそうです。

まさに大本教弾圧(第二次)の真っただ中だった時ですから、これは大げさな話ではありません。

そうなったら口伝は老人の息子で途切れてしまいますから、それを心配して山本氏に託したそうです。

 

しかし、口伝は口伝で語り継ぐのがベターなのかなとも思いますよね。

なのになぜ本に書かせたのか。

恐らく語り部の古老は、口伝が自分の代で途切れることを覚悟してたんでしょうかね。

途切れるくらいなら本にしてしまえと、山本氏に託したのかなと思ったりして。

しかも世の中は2032年に向かって終末臭も漂ってますから(笑)、この時代に本になったのは非常に良いタイミングだったのかもしれません。

(都市伝説業界ではメッツボーの年は、1999年、2012年、と来て次は2032年なのです。って、じゅり子か。笑)

 

日本のルーツ飛騨

この「飛騨の口碑」の内容を考察するため、まず最初に読んだのは「日本のルーツ飛騨」です。

これは「明らかにされた神武以前」という書籍のダイジェスト版になっています。

挿絵などもあってわかりやすく飛騨と日本の歴史について解説されています。

しかも絵が学研風。笑

飛騨の口碑では飛騨が日本人の発祥地と書いています。

まだ日本列島が無く、海だったとき、最初に地表に現れたのが飛騨あたりだったというのです。

これについては国立科学博物館の日本最古の化石発見の記事を読むに、なるほど本当かもな~と思わせてくれます。

・日本最古の化石(1990年代後半発見)
岐阜県高山市奥飛騨温泉郷岩坪谷の地層(凝灰岩)から見つかったコノドント(無顎類の歯の化石と考えられている)で、古生代オルドビス紀中期~後期(約4.72~4.39億年前)のものとされています。当館日本館3F北翼にも展示されています。なお、最近の年代測定によると、この地層が堆積したのは472±17 Ma(4.72億年前)とするデータもあります。古い岩石は何らかの変成作用を被っている事が多いので、化石を産する「純粋な堆積岩」としては日本最古と言えます。

国立科学博物館

実際、飛騨は山深い場所であるにもかかわらず縄文遺跡がたくさんあるのです。

縄文遺跡って海の近くにあるってイメージですけどね。

そういえば、諏訪辺りにも縄文遺跡はありますよね。

野尻湖にはナウマンゾウの化石も出てますから、やっぱりこの辺は最古の地なのでしょう。

 

そして、飛騨の土地を最初に治めていたのが大淡上方(おおあわうわかた)なる人物としています。

「あわ」というのは天地という意味だそうです。

ちなみに房総の安房(あわ)も元々の語源は天地の意味だったとのこと。

よって、大淡上方とは、大きな天地の上にいる人という意味なのでしょう。

 

飛騨の口碑による「出雲の国譲り」

しかも、飛騨王朝の首領は代々超能力者とのこと。

飛騨の人々は日抱御魂鎮(ひだきのみたましずめ)により精神統一の鍛錬をしていたそうで、国の代表ともなれば、それなりの超能力があったのでしょう。

ちなみに、この「日抱(ひだき)」が飛騨の語源になっているそうです。

 

飛騨王朝15代の淡上方(アワウワカタ)も、超能力者で予言者でもありました。

ある時、朝鮮半島から渡来人が攻め込んでくるぞと予言したそうです。

そして予言の通り、朝鮮の国の王位継承に敗れた王子が、軍を率いて日本を支配するために武装してやってきたのです。

しかし、事前に予言して準備していた飛騨・日本軍はこれを打ち破ります。

都怒賀阿羅斯止

ちなみに、その侵略者の名は都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)だそうです。

おっと、これは日本書紀では崇神天皇、垂仁天皇の時代に出てくる人物ですよね。

でも日本書紀には下記の通り、日本を滅ぼしに来たとは書かれておらず、あと、時代的にも矛盾があり、これには謎が残ります。

もしかしたら話がごっちゃになっているのか、都怒賀阿羅斯止の逸話は実はもっと昔のことだったのかもしれません。

都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと、生没年不詳)は、『日本書紀』に伝わる古代朝鮮の人物で、加羅国王の息子と言う。
『日本書紀』では「都怒我阿羅斯等」、他文献では「都怒賀阿羅斯止」「都怒何阿羅志止」「都奴加阿羅志等」とも表記される。また『日本書紀』では別名を「于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき)」とする。
意富加羅国(大加耶/大加羅、おほからのくに、現在の韓国南部)の王子で、地名「敦賀(つるが)」の由来の人物といわれる。

『日本書紀』では垂仁天皇2年条の分注として2つの所伝が記載されている。

1つ目として崇神天皇の時、額に角の生えた都怒我阿羅斯等が船で穴門から出雲国を経て笥飯浦に来着したという。そしてこれが「角鹿(つぬが)」の語源であるとしている(角鹿からのちに敦賀に転訛)。

また、第11代垂仁天皇は、都怒我阿羅斯等が帰国するとき、先代崇神天皇の諱である「みまな」(任那、弥摩那、彌摩那)を国名にするよう詔し[1]、赤絹を下賜した。ところが新羅人がこれを聞きつけて兵をあげ、それを全て奪ってしまった。このことで、その後の新羅と任那は、不和になったという。

都怒我阿羅斯等

 

飛騨史上最高・最強の予言者ヒルメムチ

そして飛騨の口碑では、初代の大淡上方から35代目がイザナギです。

イザナギは出雲出身のイザナミと政略結婚しました。

出雲はもともとは飛騨王朝の分家が作った国で、意宇(おう)の国と呼ばれていたそうです。

 

そして、ナギナミの二人の子のヒルメムチ(天照大神)が飛騨王朝の後を継ぎます。

ヒルメムチの弟のスサノオは、イザナミの故郷の出雲に行ったそうです。

詳しい理由は書かれてませんが、恐らく、飛騨と出雲との関係性を密にしたかったのかもしれません。

 

さて、ヒルメムチは歴代で最も優れた予知能力者だったそうで、やはり、朝鮮半島からの渡来人たちが、九州や出雲に押し寄せて、日本を滅ぼすと予言しました。

ところで出雲は鉄が有名ですが、鉄って実は大陸から伝わったものなのです。

飛騨の口碑では、銅の剣の何倍も切れる鉄の剣を使って、渡来人が出雲を荒らしまわっていたところをスサノオが退治する話があります。

実はそれこそが今に伝わるヤマタノオロチの伝説の真相とのこと。

 

戦利品として鉄剣(草薙剣)を手に入れたスサノオは、飛騨のヒルメムチに献上します。

恐らく、「おい姉ちゃん、出雲マジすげえぞ、鉄剣だぞ、めちゃ切れるぞ、飛騨やべえぞ、遅れてるぞ」と警告しに来たのでしょう。笑

意宇(おう)の国のオオクニヌシ

その後、出雲はますます調子に乗り、スサノオの子のオオクニヌシの「やりたい放題」の時代が訪れます。

ちなみにオオクニヌシとは意宇(おう)の国の主という意味だそうです。

 

やりたい放題のオオクニヌシは、飛騨のヒルメムチの娘の多紀理姫と政略結婚したにもかかわらず、須勢理姫を正妻にしてしまいます。

他にもあちこちの女と子供をつくったという逸話が残っているほど、オオクニヌシは女好きとして有名だったようです。

 

しかしこの事件は大問題です。

というのも、飛騨と出雲の政略結婚でオオクニヌシと多紀理姫は一緒になったわけですから、出雲は飛騨を裏切ったも同然なのです。

スサノオは「このバカ息子め!」とオオクニヌシを叱るのですが、そのシーンが古事記ではスサノオがオオクニヌシの結婚を邪魔する逸話として書かれている部分だそうです。

 

つまり、飛騨の口碑では、スサノオは悪者ではないのです。

悪者はスサノオの息子のオオクニヌシと言うことになります。

つまり、飛騨にとって出雲は裏切者の国であるということになります。

 

出雲は常に大陸の文化が入ってくる先進的な富んだ地域だからか、日本の古くからの文化を否定する国になってしまったのかもしれません。

先進文化と、それによる富によって調子に乗ってやり過ぎたオオクニヌシ。

しかし最終的にオオクニヌシが飛騨に出雲の国の支配権を返上します。

このストーリは古事記と同じですが、古事記のようにアマテラスがオオクニヌシを屈服させて出雲を奪った、国を譲らせたというニュアンスではないのです。

オオクニヌシは飛騨を裏切ったから、出雲から追放して指揮権を返上させたというストーリなのです。

 

飛騨の口碑による「神武以前」の歴史

さて、ヒルメムチが予言した、渡来人が攻めてくる地域のもう一つが九州です。

昔の言い方だと筑紫ですね。

 

予言をして危機を事前に知ったヒルメムチは、筑紫に自分の三人の娘を派遣して調査させます。

三人の名は(元オオクニヌシの妻)多紀理姫、多岐都姫、市寸島姫で、これがいわゆる宗像三女神です。

宗像大社や宇佐神宮にも祭られています超・重要人物であります。笑

筑紫までの道案内をしたのは飛騨の分家でもある、伊勢の猿田彦です。

 

そして、八年後に三人の娘の調査結果が出ました。

筑紫には渡来人が増えつつあり勢力を増してきており、そのうち東へ攻めてくることは間違いないとのこと。

これはヤバイですねー。

オモイカネとヒルメムチは夫婦

そこで飛騨の安河原で会議をします。

安河原とは恐らく飛騨・高山を流れる宮川の河原だと思われます。

安らかに会議ができる場所ということで安河原と呼ぶとのこと。

 

そして会議の議長はワライメシ、じゃなくて、オモイカネ(思金神)です。

オモイカネというのは古事記では、岩戸に隠れた天照大神を引っ張り出すアイデアを出した頭脳明晰な神です。

出雲の国譲りなどでも活躍する重要人物です。

 

ところがですね、飛騨の口碑ではオモイカネは、な、なんと、ヒルメムチの夫という設定になっているのです!

伊勢神宮に鏡(アマテラス)とオモイカネが一緒に祭られているのがその証拠とのこと。

なるほどねって思いました。

筑紫へ瓊瓊杵尊を送り、大和へ遷都

オモイカネ、ヒルメムチは、飛騨では日本全国を治めるには山奥過ぎて不便だということで、首都を大和へ遷都することを決めます。

その任務を命じられたのが瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)です。

 

そこで大和を中心に近畿一帯を拓くため、飛騨から大勢の子孫たちを派遣します。

すぐに遷都はできませんから、徐々に近畿一帯を開墾し国力をアップさせようとしたのです。

 

そして同時に筑紫にはヒルメムチの子の天忍穗耳尊(アメノオシホミミ)を送ることを決めます。

が、天忍穗耳尊は高齢を理由に断り、やはり、その子の瓊瓊杵尊を送り出すことになります。

しかし瓊瓊杵尊は九州も平定しなければなりません。

そこで大和そして近畿一帯の開墾は飛騨の子孫たちに任せて、瓊瓊杵尊は筑紫に旅立つことになります。

これが後に大きな問題を引き起こします。

 

そして再び伊勢の猿田彦の案内で、瓊瓊杵尊はじめ大勢の猛者たちが筑紫の高千穂へ向かいます。

これが天孫降臨です。

筑紫平定に時間かかって存在を忘れられた狭野尊

瓊瓊杵尊は徐々に九州を平定していきます。

しかし、平定までの道のりは非常に長かったのです。

瓊瓊杵尊の子の鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)、そして、その子の狭野尊(サヌノミコト)の代まで長い時間がかかります。

狭野尊とは、そうです、日本の初代天皇である神武天皇です。

 

九州を平定した狭野尊は大和の地に向かいます。

大和への遷都は、狭野尊の祖父の瓊瓊杵尊がヒルメムチと約束したことです。

やっとのこと親子三代で筑紫平定を成し遂げて、遷都のため狭野尊が河内(大阪)辺りまでやってくると、なんと、そこには味方ではなく敵がいたのです。

しかし、その敵とは、はるか昔に飛騨から近畿一帯を拓くために飛騨から派遣された同族の人々だったのです。

敵の攻撃で狭野尊の兄である五瀬命(イツセノミコト)は討ち死にしてしまいます。

 

敵のボスは長髄彦(ナガスネヒコ)でした。

長髄彦のボスは邇芸速日命(ニギハヤヒノミコト)で、邇芸速日命と瓊瓊杵尊とは兄弟です。

しかも、邇芸速日命の妻の兄が長髄彦なのです。

はい、まさにみんな飛騨出身の親戚なのです。笑

つまり、あまりに時が流れ過ぎて、九州からやってきた狭野尊を親戚どころか「敵」と思ってしまったのです。

初代神武天皇の誕生

そこで狭野尊は敵のいる河内(大阪)ではなく、ぐるっと回って熊野(和歌山)からさっと大和へ入ります。

大和に入って、飛騨のヒルメムチから祖父の瓊瓊杵尊が授かった身分証明でもある十種神宝(トクサノカンダカラ)を長髄彦たち敵方に示します。

するとそれは敵方のボスの邇芸速日命が飛騨のヒルメムチから授かった十種神宝と全く同じものだったのです。

これで、お互いが親戚であることが分かったのです。

 

しかし、長髄彦は自分たちが苦労して開いた土地を譲りたくないのか、狭野尊を受け入れませんでした。

結局、長髄彦と戦になりますが、狭野尊は長髄彦を打ち破ります。

そして長髄彦は東北に流され、狭野尊は大和に都を移したのです。

 

山本建造氏の哲学

飛騨の口碑の歴史部分の主なストーリーは、ざっくり以上の内容となります。

もっと詳しく知りたい人は本を読んでみてくださいね。

 

ところで、この「飛騨の口碑」関連の書籍ですが、歴史部分を除くと山本建造氏の哲学にスペースが割かれております。

山本建造氏は自らが超能力者であり、その能力を自ら探求した人生だったようで、独自の哲学をお持ちのようです。

そのメインの概念として、六次元弁証法というものがあります。

これについては本記事では詳しい話は書きませんが、このあたりの内容がけっこうたくさん書籍中に書かれています。

 

また、これらの哲学を前提とした山本建造氏独自の歴史解釈も本の中に含まれています。

ですので、正直なところ、どこからどこまで古老から口伝で授かった「飛騨の口碑」の部分なのか、わかりにくい部分があります。

 

しかも、口伝のすべてを書いたわけではなく、まだ非公開にしている口伝があるとも書かれています。

さらに、一部の内容は紛失してしまい、何十年もあとになって思い出して書いた部分も含まれるとのこと。

それも考慮して読み進める必要があるのです。

飛騨と穢多

また、本書が広く書店に並んでない理由の一つとして、被差別部落についての記述があります。(書店で売ってたらスミマセン!苦笑)

「飛騨」と言う単語は江戸時代の身分制度では下位にの存在である「穢多(えた)」の語源であると書かれています。

これは、飛騨の口碑つまり古老からの口伝ではなく、山本氏の独自の見解です。

 

つまり、「穢多(えた)」がなまって飛騨(ひだ)になったというのです。

その理由は、天皇陵の付近には穢多部落、つまり被差別部落が多いという現実があるとのこと。

実際に、神武天皇陵の近隣の飛騨町は被差別部落に落とされているのが、それがその証拠であると主張されています。

 

というのも、もともと飛騨は「飛騨の口碑」のとおり皇室直系の子孫の人たちであり、皇室を守るために常に天皇の近くに帯同していた人たちだからなのです。

天皇を守るために命を懸けて人が嫌がることも進んでしてきた人たちらしいのです。

穢多部落の人は枕元に草履と提灯を常備して寝るそうで、それは天皇に何かあったらいつでも駆けつけるためなのだそうです。

 

天孫族と穢多部落の末子相続

また、「穢多」は江戸時代から始まったものでなく、その歴史は非常に古いそうです。

奈良時代には既に存在していたようです。

また鎌倉時代には「穢多のきもとり」と言って、河原で酔狂していた天狗を穢多が切り殺した話などが残っています。

天狗と言うのは鼻が高く白い肌が赤く日焼けした外国人を指すとされますので、天皇の守護のため酒で暴れる渡来人をやっつけるという話が元になったのかなと思わせます。

 

さらに天皇・天孫の人たちは末子相続が非常に多いです。

それは記紀を読めばわかることですね。

邇邇芸命、彦火火出見尊、そして大国主命。

なぜか末っ子が後を継ぐことが多いのです。

そして実は、穢多部落でも末子相続が非常に多く、そのような研究結果も出ていますので興味ある方は調べてみてください。

穢多部落の人々は天孫の末裔か?気になる日月神示の記述

ということは、穢多部落の人々はまさに天孫の人々の末裔なのかもしれません。

そういえば日月神示に、こんな一節がありました。

四十七と四十八で世新しく致すぞ、三人使ふて三人世の元と致すぞ、三人を掘り出すぞ。世に落ちてます神々様、人民様を世にお上げせなならんぞ。悪神の国から始まって世界の大戦(おおいくさ)愈々激しくなって来るぞ。

日月神示

世に落ちている人民様と書かれています。

もしや、これは古代・飛騨の末裔の人たちのことではないでしょうか?

確かに、すべてが逆・逆・逆を行くこのおかしな世の中。

狂った世の中だからこそ落ちぶれてしまった人たちにこそ、何らかの真実が隠れているのかもしれません。

 

また、山本氏は、このように飛騨を貶めたのは出雲の仕業であると語っています。

前述の通り、出雲(オオクニヌシ)は飛騨にとって裏切者なのです。

その出雲が仕返しに飛騨を貶めて、飛騨を歴史から抹殺し、歴代天皇の悪口を書いたのが記紀であるとしています。

その名残が出雲大社の神示にも残っているとか……。

詳細は本を読んでみてください。

 

でもですね、飛騨は今現在も聖地としてのリスペクトを受け継いでいるのです。

それがイチイの木です。

天皇陛下が即位し、一世一代の儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」を終えた。即位に関わる一連の儀式で使われた「笏(しゃく)」は岐阜県高山市の飛驒一宮水無神社が制作し、上納したものだった。平安時代から、受け継がれてきた伝統は、令和にも引き継がれた

笏は、儀式の参加者が手に持つ長さ40センチほどの細長い板状の道具。水無神社は近くにある霊山「位山」を「奥宮」として、その山のイチイの木で笏をつくり、平安時代の頃から皇室に届けてきたとされている。美しい木目を生かした笏は高く評価されてきたという。

明治以降も代替わりの度、笏を納めてきた。上皇陛下が生前退位の意向を示された2016年以降、樹齢300年近いイチイの大木3本を切り倒し、準備してきたという。

岐阜)即位の儀式で使った笏 岐阜・高山の神社が制作

なかなか歴史ロマンを感じる話だと思いませんか?

口伝だけでなく、飛騨の木々もが隠された歴史をひっそりと語り継いでいるのですから……。

 

というわけで、飛騨の口碑。

もちろん、これは口伝であり、正式に学会で認められた歴史ではありません。

でも、ところどころ「なるほどな」と思わせる部分があり、部分的には自分の中の古代史を考察し直した方がいいかなとさえ感じました。

国を奪われた被害者が出雲だと思いきや、実は飛騨こそが真の皇室本家で被害者だったのです!

今まで「出雲好き」だった自分ですが(笑)、色んな立場から物を見るとこうも違うものかと感心させられた飛騨の口碑。

皆様のご参考になれば幸いです!

 

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