誰しもが自らのルーツを知りたいと思っているはず。
とくに日本人は、どこかの政治家が単一民族国家だと言っていましたが、そんなわけがないんですよね。
北海道と沖縄には、アイヌ民族や琉球民族もいて、それらを無き者にしたいから、そういう発言があるとさえ思ってしまいます。
しかも、日本列島には、はるか昔から大陸や南方からも渡来人がたくさんやってきています。
顔を見ればわかりますよね、いろんな顔をした人がいますし、中には西洋系に近い人もいれば南方系の顔の人もいる。
天皇ですら、大陸からの渡来人であるという説も存在する程です。
というわけで前置きが非常に長くなりましたが、
今回は千葉といえば南総里見八犬伝に出てくる「犬」の付く名字、
そのルーツを調査してみました。
やはり、タヌコロリのブログですから、やっぱ「犬」でしょう!
というわけで、まず初回は「犬塚信乃」です。
個人的には一番キャラが立ってる登場人物ですね。
あと諸事情もあり犬塚氏には敬意を払ってますので、
まず最初、第一弾は犬塚氏のルーツの探求です!
犬塚氏は千葉氏一族の流れだそうだ
さて、犬塚氏の由来はどこに求める事ができるのでしょう。
やはり千葉なんでしょうかね?
ネットで検索してみると、どうやら千葉氏の一族だったようなのです。
なんと、千葉氏の一族に「犬塚氏」がいるのです。
ちなみに千葉氏とは下総(千葉県)の豪族で、
守護大名・戦国大名となった一族です。(Wikipediaより)
ちなみに愛知県の三河には、三河国幡豆郡犬塚邑(村)という村があったようです。
そして、なんとその犬塚村へ千葉氏の一族が移住したという史実が残っているのです。
そこで改めて「犬塚」を名乗ったからこそ付いた地名だった可能性が高いですね。
千葉氏とは何者なのか?
というわけで、千葉氏がどんな豪族だったのか、調べてみようと思いました。
どうやら千葉氏は、平安京をつくった桓武天皇の血をひく「桓武平氏」の一族で、
中世の房総半島を中心に栄えたようです。
この情報は「千葉氏の一族」というWEBサイトで調べました。
鎌倉幕府の成立後には東北から鹿児島にいたるまで、
全国各地に領地を与えられたようで、その際に三河の国に一部が移住したようなのです。
ちなみに、千葉氏の家紋はというと、次のような月と星を象徴したものになっています。
ここでいう星とは北極星(北辰)を指し、古代中国の思想では天帝を象徴するものだそうです。
これに仏教の思想が入り込み、北辰菩薩となり、七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経により「妙見」と呼ばれるようになったそうです。
「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す目を持つ者ということです。
(また、千葉神社は千葉氏の氏神。)
犬塚家の家紋は「丸に三本矢」
さて、同じ苗字とはいえ家紋は色々あるようですが、
とある「犬塚家」の家紋はというと、
これがまた、まったく上記とは異なる家紋でありまして。。。
星も月もない次のようなものなのです。
これ「丸に三本矢」といいます。
こちら、一つ手掛かりをつかみました。
相良氏系松本氏が、この「丸に三本矢」を家紋としていたのです。
相良氏系松本氏は、相良長利が松本氏を称したことに始まるそうです。
相良長利、相良氏とは藤原南家・藤原武智麻呂の子孫で常陸介藤原維幾の子、藤原為憲を祖とする一族とのことです。
ただ、藤原為憲は、平将門・平貞盛の従兄弟にあたり、藤原氏であるとともに桓武平氏の血縁でもあるのです。
ということは、やはり同じ桓武平氏の一族である千葉氏とつながるんですね。
ということは逆をたどれば、この家紋は千葉氏の一族であることの証でもあります。
千葉・茨城のあたりは平家系、犬塚家の親戚だらけってこと?(笑)
桓武平氏の祖となった上総介平高望(高望王)の子らは常陸国や下総国に栄え、
高望の子で武蔵国村岡(埼玉県熊谷市村岡)に住んだのが、村岡五郎平良文。
良文も最初は鎮守府将軍として奥州に赴任していたそうです。
その子孫、下総権介平常重が平安時代末期に下総国千葉郡千葉郷(千葉県千葉市)へ移り、
その地名から「千葉」を称したのがそのはじまりとされています。
一方、相良氏系松本氏は、藤原為憲を祖とするが、平良文と腹違いの妹?姉?が藤原為憲の母である。
つまり、みんな、千葉や茨城あたりに住む「親戚同士」なんですねえー。
まとめますと、千葉氏の一族の誰かが、親戚である相良氏系松本氏の誰かと婚姻関係を結びます。
そして、そこで家紋が引き継がれ、その後、三河国幡豆郡犬塚村に移住し、「犬塚」を名乗ったと考えられます。
こうしてルーツを調べると面白いですね。