九鬼文書で日月神示が読み解ける件

九鬼文書という古史古伝があるのですが。

ずいぶん前に購入して既に読んではいるのですが。

 

しかし、ブログにまとめるのしんどいね。

なので長らく放置してました。

今回も、まとめたというレベルではありません。苦笑

 

というのも、これ、古事記みたいに歴史物語風になってないんですよね。

基本的には著者の三浦氏の考察本って感じです。

しかも古い本だから「かう思ふ(こう思う)」とか書いてあったりして読みにくい。

そうです、現代仮名遣いじゃないんです。苦笑

 

もちろん神道書としての原文は掲載されてますが、ストーリーがあるかと思ったら、そうでなく、ちょっとだけ期待外れ。

けっこう高い本なんだけどね。苦笑

九鬼文書は古史古伝の偽書扱い

でも、面白いですよ。

興味ある人なら「買い」です。

 

興味ない人、または知らなかった人のため、九鬼文書を端的に説明しますとこんな感じ。

あー、面倒くさいからwikiをどうぞ。苦笑

九鬼文書(くかみもんじょ)とは、古史古伝のうちのひとつ、古代出雲王朝の正統性を主張する偽書九鬼家の遠祖で天児屋根命(アルアメノコヤネノミコト)の時代に記録された神代文字の原文を、藤原不比等が漢字に書き改めたもので、九鬼氏が保管したとされる。天児屋根命は、記紀で皇孫邇邇芸能命(ニニギノミコト)と共に高天原から高千穂に降り立った天津神である。

偽書というのは学会で正式な歴史書として認められてない書物という意味です。

実際に、後世に追記された部分が多いらしいので、やむを得ないところでしょうか。

 

しかし、何度も書きますが、こういうものは「事実かどうか」はどうでもよくて面白ければよいのです。

しかも全部がウソとは思えないですし、ところどころ現実・史実とリンクする部分が見つかったりします。

こうして古代のロマンを感じられる何かがあるってだけでワクワクするのです。

九鬼文書的には聖徳太子は悪者である

実際に偽書とは思えない偶然の一致があったりします。

九鬼文書は先ほども書きましたが、神道の極意的なものが書かれてます。

その神道の祭祀一族といえば物部氏ですが、物部氏が政治に入り込むにつれて、祭祀の業務を中臣氏に移譲するようになったと言われています。

そのうち、仏教派の蘇我氏が現れて、物部氏と中臣氏は蘇我氏と対立するわけですが、最終的には蘇我氏が勝利します。

九鬼文書によれば、その際に、蘇我氏と聖徳太子により、神道の経典が燃やされてしまったというのです。

ちなみに九鬼文書的には「蘇我氏&聖徳太子=悪いやつ」的な書き方になってます。

 

さて、大切な経典を燃やされる前に持ち出したのは、物部氏と中臣氏、そして春日氏、武内氏です。

勘の良い方はお分かりかと思うのですが、これが武内氏の竹内文書、物部氏の物部文書、そして中臣氏(九鬼氏の先祖)の九鬼文書なのです。

それぞれ実際に見つかっているということから、これは偶然の一致にしては出来過ぎてないでしょうか? って話。

ちなみに物部守屋は東北に逃げて、中臣氏は諏訪湖に逃げたとされています。

九鬼文書とウシトラノコンジン

ちなみに、九鬼氏というのは綾部藩の藩主です。

熊野本宮大社の宮司でもあり、前述の通り中臣(藤原)系であります。

元は熊野の豪族で、その後は信長の水軍として活躍したらしいですけど、熊野ってところもポイントですね。

実際、九鬼文書には現皇族の伊勢側でなく、出雲側の主張が書かれております。

 

さらに綾部藩ってのはあの出口王仁三郎氏の大本の本拠地ですね。

なるほど、出口王仁三郎氏の著作に九鬼文書(という書名は書かれてませんが)に書かれているような話がちょいちょい出てきた理由がわかります。

例えば、九鬼文書では宇志採羅根真大神を最高神としているのですが、この読み方はわかりますか?

そうです「ウシトラノコンジン」です。

大本と九鬼文書の最大の共通点です。

九鬼文書では「アマテラス」が三人いる件

他にも共通点はあります。

それは日月神示との共通点です。

 

九鬼文書にはストーリーはありませんが、神様の系譜が書かれています。

神様の系譜ってのは、古事記でも同じような記述が出てきます。

最初に●●●神がいて、次に●●●神がいて、その次が……、みたいに神様が際限なく出てきますが、これです。

 

九鬼文書も同じように書かれているのですが、神様の名前に謎があるんです。

なんと、アマテラスっぽい人がが3人ほど出てくるのです。笑

 

まず、造化神的な位置づけのところに「天照日大神」という神様がいます。

次に、イザナギ、イザナミの三人の子供たちの「天照坐天皇」がいまして、これが記紀のアマテラスです。

さらに、スサノオの娘に「天照大日孁天皇」がいるのです。

まさに三人の天照です。

そうです、ご存知な人ならこの内容を読んですぐに思い浮かぶのは日月神示です。

次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

日月神示

記紀では一人の天照大神として登場していますが、実は三人いたんですよと日月神示に書かれているのです。

歴史書に騙されていることに気付きなさいと言う意味ですね。

まさに、これは九鬼文書のまんまだなと読み解けたわけです。

仏教伝来を「岩戸締め」としているところも九鬼文書の「蘇我氏と聖徳太子」への恨み節と一致します。

もっと色々と掘り下げれば、他にもなにかわかることがありそうです。

が、今後の研究材料&楽しみとして残しておきましょう。(面倒くさがりか。笑)

 

ちなみに九鬼文書と大本について、歴史研究家で今もなお色々と書籍を出されております原田実氏がまとめていますね。

さて、艮の金神を最高神にいただくということで、まず連想されるのは日本新宗教界の 宗家ともいうべき大本であろう。大本発祥の地・綾部は九鬼家の旧領であった。大本開祖 ・出口ナオのお筆先にも「あやべ九鬼大隅守の因縁が判りて来たらどえらいことになる」 と告げるものがある。九鬼家の関係者からは、ナオは九鬼家の屋敷にあった本興稲荷の信 者であり、そこで得た啓示から大本を開いたというする説も出されているが、その確かな 裏付けはない。九鬼家と大本の確実な接触は、ナオの死後、大正八年九月に九鬼隆治が旧 領主として綾部に帰った際、教主・出口王仁三郎に招かれたことを以て蒿矢とする。
だが、両者の関係はたちまち決裂した。江戸時代、九鬼家の藩邸で鬼門除けの札を配っ ていたことは『江戸名所図絵』などにもある。隆治からすれば、九鬼家こそ大本が興る遥 か前から鬼門の神を祭っていた家系だという自負があったのだろう。隆治は大正十年、皇 道宣揚会という教団を設立し、反大本運動を展開していく。九鬼家側の主張では、世界救 世教の岡田茂吉、生長の家の谷口雅春、神道天行居の友清歓真、合気道の植芝盛平など大 本を出て、それぞれ一派を開いた人物の多くが隆治の下で学んだとされる。
『九鬼文書の研究』出版も、目的の一つに第二次弾圧で教勢を失った大本に代わろうとい う目論見があった。だが、当時の体制は『九鬼文献』を大本や『竹内文献』の亜流とみな した。三浦はたちまちジャーナリズムの袋叩きにあい、『九鬼文書の研究』も千部印刷し たうちの九百部以上が没収焼却され、長らく幻の本となっていたのである。
陰陽道を信じた古の王朝人にとって、鬼門への畏怖は具体的なものだった。それは東北 の地に跋扈する縄文人の末裔・蝦夷のイメージと重なっていたのである。艮の金神とは、 王朝人を震撼させた縄文の神だったのだろうか。『九鬼文献』は、この恐ろしい鬼門の神 が、実は創造大成の神だったことを教えてくれるのである。

九鬼文書の神武以前の歴史(ウガヤフキアエズ王朝)

また、系譜についての古史古伝の特徴といえば神武以前の系譜です。

そうです、ウガヤフキアエズ王朝です。

やはり九神文書も、ウガヤフキアエズ王朝の73代目が神武と書かれております。

このあたりは、ウエツフミと同じです。

 

ウエツフミは以前に本ブログでも南海トラフ地震との関連性ということで少しだけ引用しました。

いくつかある古史古伝の共通点の一つは、このウガヤフキアエズ王朝という、神武以前の王朝が記されていることです。

真実の歴史としても神武以前は日本に何もなかったというのは少々信じがたいですからね。

でも、皇国史観を基本にしてきた経緯のある日本の歴史学会では、こういう発想自体が不敬なんでしょうかねえ。

もうちょっと研究を進めてほしいところですが。

 

ちなみに何度も言いますが、九鬼文書にはストーリーが書かれておらず、系図しか書かれてないのが難点です。

ウガヤフキアエズ王朝の物語を知りたい人はウエツフミなどをお読みください。

そっちを読んでから、また九鬼文書に戻ってくると、また新たな発見もありそうです。

というわけで資料としては貴重な九鬼文書、ご参考までに!

 

<九鬼文書>

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