正論が何でもダメか?(不寛容社会批判に似てるね)

先日、テレビ朝日で朝の情報番組を見てましたら、

「正論おじさん」というフレーズが目に入りました。

ちなみに同じ「正論おじさん」というフレーズがTBSの情報番組でも流れてました。

「なんだこれは?」とテレビを見ると、ちょっとネーミングがおかしいなと。

これは恣意的だなと思ったので、それを書きたいと思います。

 

「正論おじさん」事件とはなにか?

2019年の6月初旬にテレビで取り上げられた「正論おじさん」ですが、

そもそも、「正論おじさん」とは何者か?

どうも、近所の正義感の強い「おじいさん」のようです。

 

そのおじいさんが何をしたかというと、

地元の商店街の歩道に不法に置いてあるお店の「看板」や「のぼり」を撤去せよと、

お店の主人に注意したりしているそうなのです。

 

これだけなら、まさに正論ですし、法律にのっとって非常にまっとうなことを言ってますよね。

だって、(都内なんか特にそうですが)歩道に看板だけでなく、お店の商品を並べたりして、

歩道が狭くて通りにくくて困ったことってありませんか?

この前も魚屋さんが生臭い魚とか歩道に置いたり、

生臭い水を歩道にぶちまけたり、最悪だなと・・・。苦笑

断然、「正論おじさん」の味方ですけどね。笑

 

民事的に自力救済は法律違反です

じゃ、「正論おじさん」はなぜここまでテレビで話題になったか、

おかしいですよね、「良いこと」をしてるのに。

 

でも、その後の報道で「悪い事」をしていることがわかりました。

それは、商店街の歩道に置いてある看板を、店主を無視して自ら撤去して店内に押し込めたり、

看板を壊したりしている行為です。

とくに、他人のものを壊したら、それは器物破損になりかねませんし、

その程度では刑事的に責任を問えないとしても、少なくとも他人のものを壊したら、

不法行為ですから、賠償(弁償)はしなければなりませんよね。

 

このように他人の意志を無視して自分で物事を解決しちゃうことを法律的には「自力救済」と呼ぶのですが、

これって、日本の法律では認められてないんですよね。

「正論おじさん」は遵法精神だとかなんとか言ってますが、なんと自分が法律を守ってないわけです。

これは、ダメですよね。

 

気になったのは「正論おじさん」のネーミング!

でも僕は、この報道の一番の問題は、「正論おじさん」のネーミングだと思うのです。

やってることが看板壊したり違法なんだから、そもそも「正論」じゃないよねと。

言うことは正論だけど、やってることが違法だからね。

なのになぜ「正論おじさん」なんて名前つけたの? テレビ朝日は。

 

まるで、「正論」が悪いみたいじゃない?

 

正論は、その名の通り、正しい理論なのに、この恣意的ともいえるネーミング。

ここにマスコミのリベラルな思想があるのかなって思っちゃったんですよね。

つまり、なんでもかんでも法律に従うという人間を、

「国家権力の犬」的扱いに位置付けたいのではないかと。

え、考えすぎ?笑

 

「正論をいう人は嫌われる」という嘘

とはいえ、正論を言う人って嫌がられるというのは世の中の風潮です。

これもすでに常套句になっており、その意味も深く考えずに馬鹿の一つ覚えのように、

「正論は言うな」

「正論を言うと嫌われるぞ」

「それは正論だ!(黙ってろ!)」

などと言う人がいます。

 

おかしくないですか?笑

 

思うに、正論というのは本来そうすべきことで、そうすれば世の中も良くなるでしょうし、

まさに正しい事、そういうことを正論というのです。

 

正論は2種類ある(実現性で判断する)

でも、正論でも2つあって、実現が不可能か、または不可能に近い正論と、

すぐに実現できる正論とあります。

 

実現が不可能な正論は、それを主張したところで実現しないわけで、

実現しないことは主張しても無駄なわけです。

もちろん長い時間を掛ければそれが可能であればよいのですが、

そうでなければ、無駄な議論の時間が消費されるだけで世の中は何も変わりません。

「あいつは、何を言ってるんだ?」で終わりです。

 

一方で、実現可能な正論は、主張する価値があります。

正論と言えど、相手がそれを知らないこともありますからね。

あまりに正論過ぎて実行してないだけかもしれない。

または、ただの怠慢で実行してないだけかもしれません。

当然、怠慢を指摘された人は「正論を言うな!」と怒り出すでしょうけどね。苦笑

見苦しいですね。

 

不寛容社会というレッテルと同じです

今回の「正論おじさん」のニュースを見ていて、

真っ先に思い出したのは「不寛容社会」批判をする人たちです。

先ほど書いた自分の怠慢や悪癖を正論で指摘され、

「正論を言うな!」と怒る人と同じ人たちだと思うのです。

 

芸能人が不倫をして、

「たかが不倫をしただけで、そこまでつるし上げられる世の中ってなんだ!?」

「不倫は犯罪か!?」

と怒っているコメンテーターがいましたが、相手の気持ちを考えれば、

それはまったく共感できない批判です。

(犯罪じゃないけど、不法行為です。)

そういう人は、「あぁ、自分も不倫してるんだろうな」って思っちゃいますよね。笑

もちろん、相手が不倫OKなら良いですよ、少数派でしょうけど。

 

「不寛容社会」への批判を、自分の怠慢や愚行、悪癖に対する盾にしようとする人に限って、

「正論を言うな!」

「正論ばかりの社会なんてまっぴらだ!」

とか言いがちだというのが自分の見解です。

 

もちろん、寛容か不寛容か、その辺はケースバイケースです。

まったく実益もないような細かいことをルール通りにキッチリやらなきゃ許さない人とか、

そういう人に対してなら「正論を言うな!」「寛容になれよ!」って僕は言うかもしれません。

何事もバランス感覚ですよね。

 

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